第8話 思い出の味

「どうぞ……」


 ダイニングの椅子にかけて神妙な顔をするアンディ様に、紅茶を注いだカップを置いた。


「君にお茶を淹れてもらうのは初めてだな」

「そうですか」


 目を閉じ、持ち上げたカップを鼻に近付けた彼は、香りをかぐ。

 そして口に運ぶ。


「ど、どうですか?」


 私は待ちきれずアンディ様に聞いた。


「……さっき、茶葉を淹れる前に、ポットにお湯を入れていたのはなぜだ?」


 欲しい答えではなく、私はむくれながら答える。


「冷えた茶器にいきなりお湯を入れると、温度が下がります。あえてそうするお茶もありますが……この茶葉の香りを引き出すためにも、お湯の温度を保つため、そうしました」

「…………そうか」


 アンディ様はそれだけ言うと、再びカップに口を付けた。


(美味しくなかったでしょうか?)


 美味しい紅茶を淹れる正しい手順だったはず。それとも貴族様の口には合わなかったのだろうか。

 頭に人差し指をあて、私が考え込んでいると、アンディ様が口を開いた。


「……この茶葉は、ハークロウ領で採れるものなんだ」

「え!? アンディ様の家の!?」


 こんな素敵な茶葉が? と私の目がギラギラする。


「……気に入ったのか?」


 そんな私を見て、アンディ様の口元が緩む。

 彼へ出す前に一口味見をしてみたが、この紅茶はまろやかで甘みがあって、味も私好みで最高だった。


「君も座って飲むといい」

「いいんですか!?」


 私はポットに残った紅茶をカップに注いで、すぐにアンディ様の向かいに座った。


「では、いただきます」


 彼に断り、手を合わせた後、紅茶を口に運んだ。


「おい……しいです」


 やはり私の好きな味だった。

 ジーンとしながら紅茶を味わう。


「……そうか。俺も故郷を思い出した」


 アンディ様はどこか遠くを見ているように言った。


(寂しいのでしょうか?)


 私はアンディ様に、笑顔になって欲しくて思わず言ってしまった。


「アンディ様! また私がいつでも故郷のこのお茶を淹れてさしあげますので!」

「……そんなことより、君は早く記憶を取り戻すんだな」

「そうでした……」


 アンディ様の冷たい返答にしゅんとする。

 けして忘れていたわけではないけど、私はアンディ様の笑顔に浮かれていたのだと思う。

 アンディ様は、私にそんなことなど望んでいないというのに。


(記憶を取り戻し、償いをする。そして騎士団に出頭しないと、婚約破棄できませんものね)


 彼は義務で私の側にいてくれているのだ。

 少しだけ心を開いてくれたのかもと、けして思ってはいけない。

 彼も償うべきうちの一人なのだ。


「あの、アンディ様……出頭するその時にはもう一度、私のお茶を飲んでいただけますか?」

「……ああ。それをもって俺の任務は終了としよう」


 任務、という言葉に心がちくりとした。


「お嬢さまああああ!?」


 騒がしい声が入り口でしたと思うと、アネッタが震えながらそこに立っていた。


「どうされたんですかあ!? その恰好!?」


 びゅんとアネッタが私に駆け寄る。


「お茶を淹れていたんですよ。あ、そうだ、アネッタにも淹れてあげます」

「え!? そんなこと、私がします!!」


 椅子から立ち上がった私にアネッタがぎょっとする。


「いいですから。日頃の感謝を労わせてください」


 私が座っていた椅子へとアネッタを座らせる。


「ひい! ハークロウ様もいらっしゃるのに、私が座るなど!!」


 アネッタは泣きそうになりながら恐縮していた。


「ならば、俺は帰ろう」

「え! ダンさんの夕食をご一緒にと思っていましたのに」


 立ち上がったアンディ様を、つい引き留めてしまった。


「……いや、仕事があるので失礼する」


 アンディ様はそう言うと、一人でダイニングを出て行こうとする。


「見送りもいい。君はアネッタを労うのだろう?」


 追いかけようとした私に、アンディ様はそう言って立ち去ってしまった。

 それが何だか寂しくて、私はいつまでも彼が出て行った扉を見つめていた。


「……お嬢様は本気でハークロウ様を想われていたのですね」

「……えっ!?」


 アネッタの声で現実に戻る。


「おもおも……想っ!?」


 前世でも、私は恋なんてしたことがない。「仕事が恋人」なんてよく言うけど、まさにそれだった気がする。


(アンディ様のイケメンに耐性がないだけです……)


 自分の顔が赤いことに、頬の熱さで気付く。私は必死に心の中で言い訳をした。


「お嬢様はハークロウ様をその……」

「なんですか?」


 言いにくそうなアネッタに私はにじり寄る。


「バカにしておいででしたので」


 がくりと膝から落ちた。


「お嬢様!? 大丈夫ですか!?」


 アネッタの心配そうな声が遠い。


(確か、アンディ様もおっしゃっていましたね……)


 目覚めたばかりのころ、彼の愛称を女みたいだとバカにしていたと。


(それだけじゃない気がします……)


 私は意を決すると、アネッタに向き直った。


「アネッタ、私がアンディ様にどういう態度だったか、教えてくれますか?」



 私はお茶を淹れ、アネッタと並んで座った。

 躊躇するアネッタに頼み込み、リリーがアンディ様にしてきた暴挙を話してもらった。


 アネッタから話を聞き終えた私は、頭痛で頭を押さえた。


「お嬢様!? 大丈夫ですか?」


 リリーはアンディ様の容姿や愛称をバカにするだけに留まらず、彼の役職が親の七光りだと蔑んでいた。

 しかもそれを本人に、悪びれもせず言っていたらしい。


(嫌われて当然です……)


 アンディ様への尊敬や愛情がちっとも感じない。


「じゃあなんで私は彼と婚約したんでしょう?」


 家同士の政略結婚は貴族ではよくある。でも、リリーは嫌な相手と婚約なんてしなさそうだ。

 その疑問をアネッタがすぐに解消してくれた。


「お嬢様は、これで聖騎士団を思い通りにできるとおっしゃっていました」


 リリーはアネッタなら口外しないと思ったらしく、その心内をよく吐露していたらしい。


「聖騎士団をですか? なぜ……」

「それは私にもわかりません……」


 自分のことなのに、わからなくてモヤモヤする。


「じゃあ、なぜアンディ様は私と婚約破棄されなかったのでしょう?」


 彼の態度からすぐにでも、そうしたそうだった。


「この婚約をお決めになったのは、前聖騎士団団長でハークロウ侯爵様です。お嬢様は侯爵様に気に入られていましたし、大聖女の地位につかれ、誰もが望むお方でした」


 アネッタは言いにくそうに続けた。


「その、侯爵様は疑い深く、でも懐に入ると可愛がってくれるお方。いくらアンディ様が訴えようと、お嬢様に勝ち目があると、よく言っておられました……」


 自分の性格の悪さに、眩暈がした。

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