第9話 変わった婚約者(アンディ視点)

「浮かない顔ですね、団長」


 団長室にライリーが入室してきたので、俺は視線を向ける。

 俺の手元には母から送られてきたハークロウ領の茶葉が握りしめられていた。


「ああ、また奥様からですか。『未来のお嫁さんに』でしたっけ?」


 俺の表情から勘違いしたライリーが続けた。


「その猫かぶりの悪女は、確か不味いと言って捨てたんですよね」


 ライリーは侮蔑で眉根を寄せ、険しい顔をしている。


「ああ……」


 俺は彼に返事をしながらも、今日のことを思い浮かべた。

 美味しそうに紅茶を飲む彼女は演技に見えなかった。


 昔、母からの紅茶を一緒に飲んだとき、彼女は不味いと言ってその場でメイドにカップを投げつけた。

 俺が持参した茶葉を体面のためだけに棚に一つ納め、あとは処分した。

 それからもときどき母が送ってくる紅茶は、到底彼女に渡す気にはなれず、俺は部下に譲ったり自分で飲むなどした。


「どうですか? 彼女は記憶が戻りそうですか?」

「いや……」


 リリーの記憶が戻る気配はない。

 だが、彼女は自身の過去を聞くと受け止め、償おうとする。


「彼女は使用人をかばっていた」

「は!? あの悪女が!?」


 ライリーが驚くのも無理はない。俺だって信じられない。

 しかし実際、彼女はアネッタをかばっていた。今まで重用していたあの貴族令嬢たちではなく、平民の彼女をかばったのだ。それは厨房で働くダンにも同じで、彼女は使用人に対して分け隔てなく丁寧に接していた。


「あの悪女が!? 団長が来るのを見計らって演技したんじゃないですか?」


 俺も最初はそう思った。

 しかし彼女は、俺にお茶を淹れるためにお仕着せにまで着替えた。それがおもてなしだと、彼女の目が言っていた。

 着飾ることが好きな彼女は演技のためにそこまでするだろうか。


「彼女はあの長い爪を切り落としたぞ」

「え!? あの、魔女の爪を!?」


 綺麗に長く伸ばした爪を、派手な色で飾り立てるのが彼女は好きだった。

 ある日、その爪で彼女は人に傷をつけた。

 故意ではないが、大聖女として人と触れ合うことが多い彼女に、俺は爪を切るよう提言した。


『なぜ私が他人のために美しさを損なわないといけないの?』


 彼女はそう言って、俺の言葉を聞かず頑なに爪を切らなかった。

 その出来事は聖騎士団の間でも有名で、騎士たちは密かに彼女の爪を「魔女の爪」と呼んでいた。

 それが今日、彼女はお茶を淹れるためだけに、その爪をいとも簡単に切り捨てた。


(まるで別人のようだ)


 今日、リリーが目を覚まして二度目の訪問だったが、彼女は目覚めたときのままだった。

 アネッタを慈しみ、使用人を大切にし、同じ目線に下りる。俺を客人として丁寧にもてなす。

 穏やかに話す彼女はまるで聖女――――


「団長?」


 ライリーの呼びかけで、自分の思考が彼女に染められていると警告を鳴らした。


「……そのうちボロを出すか、記憶が戻れば元の不遜な彼女になるだろう」

「ですね!!」


 自身に言い聞かすように言った言葉に、ライリーが大きく頷いた。


「そうだ、また例の病が確認されました」

「……そうか」


 ライリーが手元の書類を差し出し、暗い表情をした。


「教会はどう動きますかね」

「…………」


 ライリーの言葉に俺は頭を悩ます。

 この国は冬を迎える直前、教会の式典の後にある病が流行りだす。


「今年は被害をなるべく抑えたいが……」


 それには教会の協力が必須だ。そして、それが難しいこともわかっていた。


「教会は手が回らないと言っていますが、明らかに優先順位をつけていますからね」


 国の主要人物を優先するのは仕方ない。

 しかし教会は金を積む貴族を優先して治療院に入れ、手が回らないからと国民の多くを隅に追いやり、蓋をしてきた。


「……俺たちは魔物討伐で留守にしないといけないからな」


 この頃同時に、魔物が活発になる。聖騎士団はそれらの討伐に人員が割かれるため、これに関して何もできない。

 せめてもと外れの治療院に寄付をしているが、毎年多くの命が奪われていることに俺は心を痛めていた。

 リリーに聖女の力を使ってやって欲しいと言ったこともあるが、突っぱねられた。


『私に病がうつったらどうするの? この国は立ち行かなくなるわよ』


 大聖女としての地位に驕り、この国の民を救おうとしない彼女に俺は辟易とした。

 そして、どうやら教会に集まる寄付が中抜きされているらしい、と情報を掴んだ。


「どうして冬の前にだけ流行るのでしょうか……」


 魔物が冬眠前、活発になるのはわかる。しかしこの病はわからないことだらけだ。式典は四季の節目で行われているのに、病が流行るのは冬の前の式典後だけ。国事のため、式典を取りやめることもできない。


(もしかして教会だけは何か掴んでいるのかもしれないな)


 教会は基本、不可侵の領域。しかし俺たち聖騎士団だけは、同じ聖なる守護を受けた者として教会に参入できる。

 外れの治療院の現状、状況証拠はあるが、「手が回らない」それが教会の言い分だった。

 あとは金の流れだ。教会に捜査として突入する式典当日、リリーの事件が起きたわけだが。


「とにかく、俺たちは魔物を鎮静させ、リリーの記憶から証言を得ないと」

「……記憶を取り戻した悪女が証言する確証はありませんよ」

「……わかっている。いざとなればこの身をかけて拷問でも何でもしてみせるさ」

「団長!!」


 俺の覚悟の強さが伝わったのか、ライリーは息を呑み、黙った。

 大聖女である彼女を拘束するには、それなりの覚悟が必要だ。万が一、言い逃れを許してしまった場合、その者の進退に関わる。


(俺は団長を辞してでも彼女を、教会を止めなければいけない)


 それほどの覚悟があった。

 しかし心の奥底では、彼女に酷いことをしたくないと願っていた。

 どうか、今のままの彼女で罪を償って欲しいと――――。

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