第6話 悪女のお屋敷事情
「まったく、君は怪我人なのだから大人しくしていてくれ」
「も、申しわけございません」
アンディ様は呆れた顔で私を見た。
抱きかかえられているので、顔が近い。
(うう、お顔がいいのでドキドキしちゃいます)
「? 顔が赤いな。熱でもあるのか?」
「だ、大丈夫です‼」
アンディ様がさらに顔を近づけ私をじっと見たので、慌てて顔を逸らした。
「お嬢様‼ 大丈夫ですか⁉」
青い顔のアネッタが凄い勢いで私に詰め寄った。
「すみません‼ まだお怪我の傷が癒えていないのに」
彼女は今にも泣きそうで、赤茶色の瞳が必死に私を見つめていた。
「アンディ様が助けてくださったから、大丈夫ですよ。さあ、床を拭きに行きましょうか」
「床?」
アネッタに笑顔を向けて言うと、アンディ様に怪訝な顔をされた。
「あのっ、ハークロウ様、実は………………」
慌ててアネッタが彼に説明をしてくれた。
アネッタの話を聞いたアンディ様は、私たちと一緒に自室へ戻ると、魔法であっという間に家具を浮かせてくれた。
「お嬢様、それでは私は絨毯を洗濯に出してまいりますね!」
「待ってアネッタ、一人じゃ重いわよ」
取り替えた絨毯を抱えたアネッタは、私が引き止める間もなく「大丈夫ですよ〜」と言いながら部屋を出て行ってしまった。
「あのアンディ様、ありがとうございました」
自室に取り残された私は、アンディ様に向き直ると、深々とお辞儀をした。
「⁉」
頭を上げると、なぜか彼は目を見開いて固まっていた。
「? それにしても、アンディ様の魔法、凄かったですね」
初めて異世界っぽいことを目の当たりにした私は興奮していた。
アンディ様はいとも簡単に部屋の家具たちを一度に宙へ浮かせてみせたのだ。
「…………別にこんな初歩の魔法、珍しくもないだろう。君は治癒魔法でどんな怪我や病気でも治せるのだから」
「へえ〜それなら、この怪我も治せるでしょうか?」
アンディ様の説明に私はワクワクした。
(そういえば、リリーは大聖女でしたね)
やり方はわからないが、私にも治癒魔法が使えるのだろうか。
「残念ながら、聖女は自身に治癒魔法を施せない。……そんなことも忘れてしまったのか?」
アンディ様が鋭い目で私を見た。
(私の記憶喪失は、まだ疑われているようですね)
私はにこりと笑顔を作る。
「そういえば、お茶もお出しせずに申し訳ございません」
話を変えた私に、アンディ様は冷たい眼差しのまま言った。
「さきほど行儀見習いの令嬢たちが辞めていったみたいだが、誰が茶を淹れるんだ?」
アンディ様の言わんとしていることがわからず、首を傾げる。
「……君が嫌がらせをしてきたせいで、メイドはアネッタと先ほど辞めていった三人だけだっただろう」
「え!?」
まさかの人手不足だった。
「それとも君は、またアネッタに多くを押し付ける気か? あの子が辞められないことをいいことに……」
「それなら、私が淹れます」
「は!?」
驚くアンディ様を置いて、私は再び下のフロアへ向かった。
(少ない人数で業務過多とは、ブラックすぎます)
アネッタは実家に仕送りをしたいと言っていた。
リリーは、そんな彼女の想いを搾取してきたのだろう。
(それに、きっとあの三人はアネッタに多くの業務を押し付けていた気がします)
アネッタの手はボロボロで、働き者の手だった。それに比べあの三人の手は、爪を綺麗に伸ばし、マニュキアで飾り、ピカピカだった。
自身の手をじっと見る。
(リリーは侯爵令嬢だけあって、綺麗にされていますね)
私の手ももちろん、傷一つ無いすべすべな手。爪は形よく整えられ、そこにはルビーのように真っ赤な色が塗られている。
「これではお茶が淹れにくいですね」
先ほどの用具置き場まで辿り着いた私は、辺りを見渡す。
隣にはメイド用の更衣室があった。
「失礼しますね」
扉を開けると、そこにはメイド用のお仕着せがずらりと並んでいた。
(髪を縛るゴムに……あっ!)
小物がしまってある引き出しを順番に開け、私は爪切りを見つけた。
すぐにパチパチと爪を切っていく。
前世の私は爪を伸ばすのが嫌いだった。
接客業で食品を扱う者としてそれは当然で、私自身も切らないと気持ち悪さを覚えた。
「あとは……」
着ていたネグリジェを脱ぎ捨て、お仕着せに着替える。
そして長い髪をゴムで後ろに束ねる。
「これで準備はばっちりですね」
更衣室を出た私は、キッチンを探した。
このお屋敷は広いのに、人に出会わない。リリーが原因で人手不足なのだろうか。
しばらく進むと、厨房に行き当たった。下のフロアは規則性があって、目当ての場所がわかりやすい。
それとも、リリーの奥底の記憶で行きつけているのだろうか。
「あの~、お茶を淹れたいのですが……」
厨房にはガタイのいい男の人が一人、作業をしていた。
私はやっと出会えた屋敷の人にホッとした。
「ああ? また新しいメイドか?」
緑色の短髪は清潔で、白いコックコートを着たその男性は、緑色の瞳を私へ向けた。
「お茶の準備はそこを使ってくれ。厨房のこちら側には入るなよ」
私をじっと見た後、彼は親指で隅にあるコンロを指した。
「ありがとうございます……ええと」
「俺はダンだ。この厨房を仕切ってる。てか、皆辞めちまって俺一人だがな」
「一人で……大変ですね」
私はダンさんに会釈をすると、コンロに近付く。
「なあに、お嬢様が使用人を辞めさせるおかげで、賄いの準備は少なくて済むしな」
「使用人が辞めなければ、賄いが多くても大丈夫なのでは!?」
あっけらかんと笑うダンさんに思わず突っ込んでしまった。
「俺は平民出身でね。偉そうな料理長がいなくなって清々してるのさ。運の良いことに、俺の料理はお嬢様の口に合っているようだし、給料も良いし。まあときたま、気に食わない料理を出すと皿が飛んでくるがな」
「全然良くないですよね!?」
ここにもリリーの被害者がいた。
でもダンさんは明るく笑う。
「クビになっちまうと、家族を養えないからな。ここは求人を出しても人が集まらないし、来てもすぐ辞めちまうし……行儀見習いで来てたどっかのお嬢様も、今日出て行ったみたいだしな」
(うう、私が辞めさせてしまったんですよね)
アネッタをいじめていた人たちなんて、いなくなっていい。
でも、人手不足のせいで、アネッタやダンさんみたいな人たちに苦労をかけている。
(せめて、自分ができることは自分でしましょう……)
しゅんとしながら、コンロに火をつけようとするも、勝手がわからない。
前世のようにつまみもボタンも見当たらない。
「あの~、これはどうやって火をつけるのですか?」
「ああ? やっぱりあんたもどっかのお嬢様だったか」
ダンさんは私のすぐ横に来ると、コンロにはめ込まれた石に手をかざした。瞬間、火が付く。
「魔法ですか!?」
「……魔法石も見たことないのか? とんだ箱入りのお嬢様だな」
興奮する私に、ダンさんは呆れながらも説明を続けてくれた。
「これは火魔法がこめられた魔法石。それを埋め込んだコンロは、魔道具だ。貴族の家ならあるだろう?」
前世に魔法なんてありませんでしたとは言えず、私は苦笑してお礼を言った。
鍋でお湯を沸かしている間に、茶器と茶葉を用意する。
(そういえば、アンディ様のお好みを知らないですね)
ずらりと並んだ茶葉は、厨房の奥の戸棚にきちんと管理されており、私は人差し指を頭に付けた。
「……お嬢様なのに、爪は短いんだな」
ダンさんが考え込む私をじっと見降ろして言った。
「はい。お茶を淹れるのに、不潔ですからね。爪の間にはそれはそれは菌が溜まっていて……」
「ぶはっ!」
渋い顔で説明途中の私に、ダンさんが吹き出した。
「まさか、貴族のお嬢様からそんな言葉を聞くなんて!」
ひーひー笑うダンさんに、私はむっとした顔を向ける。
「大事なことですよ……。おしゃれは自分のため、身だしなみは人のため、と言ってですね……」
口酸っぱく何度も聞いてきた教訓。でも、私は素敵なことだと思う。
笑っていたダンさんは目を細めると、私の頭に手を置いた。
「そうか。君みたいな良いメイドが仲間になって嬉しいよ。辞めるなよ?」
まるで「お父さん」のような彼の優しい笑顔に、私も笑みがこぼれる。
仲間として認められた嬉しさでふわふわする。
「そうだ、君の名前は?」
「私は――」
ダンさんに答えようとしたところで、イケメンボイスが怒鳴り込んで来た。
「リリー、君はっ…………! 何をしているんだっ!?」
「アンディ様!」
怖い顔で口をぱくぱくさせているアンディ様。
「何って、お茶を――」
驚いた私は説明をしようとする。
しかし今度は、隣のダンさんが顔面蒼白で叫んだ。
「リリー……お嬢様!?」
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