第4話 前世の償い
前世で私はブラック企業に勤めていた。
仕事に頑張る従業員のやる気を搾取するだけで、給料も少なかった。
そんな中、派遣で働く女の子が上司からパワハラを受けていたのを、皆で見ないふりをした。
その子は徐々に病んでいき、会社を辞めた。
そのことが明るみに出て、その上司は退職した。しかしその派遣の子に謝罪は一切なく、上司は退職金をたんまりもらったと聞いた。会社は辞めさせることで事態の収拾をはかったようだが、それは世間体だけだ。
派遣の子の心の傷は癒えていない。それは見て見ぬふりをした私たちも同罪だった。
あのとき助けに入っていられたら、と後悔しても遅い。同じ場面に遭遇しても、私はきっと行動に出られないだろう。
日常を忙殺され、そんな感情さえ忘れ去った私は皮肉にも過労で死んだのだろうか。
「う……痛いです」
刺された脇腹を押さえながら私はベッドから身体を起こした。
「夢じゃないみたいですね」
ベッドサイドの手鏡で自身を覗き込むと、美人な顔が映っている。
私はどうやら、悪女に異世界転生してしまったらしい。
(異世界で罪を償え、ということですかね)
このリリーは、お金持ちで美人と何でも持っているのに、悪いことをしまくったあげく、恨みを買って刺されたらしい。
「悪いことに小さいも大きいもないですからね」
前世での償いはもう叶わない。その代わり、私はこの世界でやらかしたことを償おうと心に決めた。
「失礼いたしますお嬢様」
「ええと、あなたは」
鏡をベッドサイドに戻し、私は昨日出会ったメイドに目をやった。
リリーよりも年下で小柄な彼女は、今日も私を見て震えている。
「アネッタと申します。その、湯あみはできないと思いますので、お身体を拭かせていただきます」
顔を伏せながら、彼女は道具一式を私に示した。
そういえば、この怪我ではお風呂にも入れないと思い至る。
「アネッタさんですね! ありがとうございます! 助かります!」
「うえ!?」
アネッタはその真ん丸の瞳をぱちくりさせて、その場で固まった。
「……お嬢様、本当に記憶を失われたのですか?」
「そうみたいです……」
おずおずと尋ねるアネッタに、私は無理やり笑ってみせた。
「そうなんですね……ハークロウ様からお伺いはしていたのですが……」
きょどきょどしながらもアネッタはお湯をはった桶を私の近くまで運ぶ。
「あっ……!」
そのとき、アネッタが手を滑らせ桶をひっくり返してしまった。
ばしゃりと絨毯を濡らす。ベッドに座るように足を投げ出していた私の元にもお湯が広がってきた。
「も、申し訳ございません!!」
驚く間もなく、アネッタが濡れた床に頭を付けて土下座した。
「どんな罰でも受けます! だからクビだけはご容赦を!!」
「アネッタさん、濡れちゃいますよ!」
私は慌てて彼女の元へ跪いた。
「えっ……」
きょとっとするアネッタを立ち上がらせる。
「火傷はしていないですか?」
「あの? お嬢様……私に罰は……」
「ええ? そんなのありませんよ。さあ、床を拭いちゃいましょうか」
ぽかんとするアネッタに私は腕まくりをする。
「鞭打ちは?」
「そんなことしません!」
「じゃあ、何食抜きましょうか!?」
「ご飯はちゃんと食べましょうね!?」
矢継ぎ早に尋ねるアネッタへ全力で否定した。
(リリーってば、本当にそんなことをしていたのですね)
昨日アンディ様に聞いた話を思い出し、私は苦笑した。
「でも……でも、それでは私はクビになってしまいます。ここを追い出されたら私、家族への仕送りが……」
涙ぐんだアネッタが、がくりとその場に手を付いてうなだれた。
リリーはクビをちらつかせながら、アネッタに酷い仕打ちをしてきたのだと、彼女の悲壮な表情でわかった。
「アネッタさん……私はあなたをクビにはしません」
彼女と視線を合わせるように、私もその場に膝をついた。
「……! お嬢様、お召し物が濡れてしまいます!」
私は慌てるアネッタの肩に手を置き、彼女を落ち着かせるように言った。
「着替えれば済むことです。それより、私はあなたに酷いことをたくさんしてきたようですね。覚えていないからと、謝ったからと言って許されるとは思いません。でも……」
泣きそうに私を見つめるアネッタに、私は心から謝罪した。
「本当にすみませんでした、アネッタさん。これからはあなたが安心して働けるよう、酷いことはしないと誓います。……破ったら、私を刺していただいて構いません」
「……それはシャレになっていませんよ、お嬢様」
私の言葉にアネッタはくすりと笑ってくれた。
「じゃあ、一緒に床を拭いてくれますか?」
「私、替えの絨毯をお持ちします!」
アネッタは笑顔になると、ぴゅんっと部屋を飛び出して行った。
「いたた……」
動くとまだ痛い自身の脇腹を押さえながら、私は立ち上がる。
アネッタは替えの絨毯を持ってくると言ったが、家具をどかしたりしないといけないので、二人では無理そうだ。
(傷口が開かないように重たい物を持つのは無理そうですね)
応援が必要だと感じた私は、アネッタを追いかけることにした。
転生してから初めて、私はこの自室を出た。
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