第3話 記憶を失った婚約者(アンディ視点)

(誰だ、あれは!?)


 グランジュ侯爵家の屋敷を出た俺は、入口を振り返る。

 使用人たちが頭を下げて俺をいつまでも見送っていた。


 グランジュ侯爵と夫人は領地で暮らしており、王都の屋敷には彼女だけが暮らしていた。

 大聖女であるリリーは教会に籍を置き、屋敷から気まぐれに通っていた。


「団長」

「ライリーか」


 聖騎士団の副団長で俺の補佐を務めるライリー・エルミートが馬車を回してくれていた。


「どうですか、婚約者殿の容体は」

「ああ。目を覚ましたよ」


 馬車に乗り込み、ライリーに報告をする。


「しかし、あと少しで教会に踏み込むというときに、とんだ事件が起きましたね」

「……犯人は捕まったのか?」

「いえ。かなり用意周到に計画されていたようです。犯人の顔さえ見た奴はいませんよ。被害者以外はね」


 俺の問いにライリーは渋い顔をした。

 今日、リリーは教会の式典に参加していた。式典当日、街は年に数回のお祭り騒ぎになる。

 俺たち聖騎士団は教会の不正を疑い、今日強行捜査に出る計画だった。


「式典当日なら不意をつけると踏んだのですが……それどころではなくなりましたね」


 捜査の対象でもあった、大聖女で俺の婚約者は今日、何者かに刺され、倒れた。

 幸い命に別状はなく、彼女も目を覚ました。


「本当にたまたまか?」

「団長!? まさか、自作自演だとでも?」


 俺の疑問にライリーが目を剥いた。


「いやいや、彼女、刺されたんですよ? さすがに悪女もそこまではしないでしょう。自分が可愛いんですから」


 俺の婚約者は悪女と呼ばれていた。

 大聖女として、貴族や豪商たちから人気を得るものの、彼女の非道な行いは主に平民から批判を買っていた。


「どうあれ、今度こそリリーを牢屋に入れてやる。それがこの国のためだ」

「そうなればさすがに婚約破棄も認められるでしょうね」

「ああ」


 俺はライリーに頷いた。


 リリーとは彼女が大聖女、俺が聖騎士団団長に就任した二年前、正式に婚約者となった。

 両親たちは侯爵家同士、親交があった。父は彼女を大層気に入り、俺の婚約者にとグランジュ家に打診していたようだ。


「最近の彼女、特に酷かったですからね。団長の気苦労にも終止符を打てますね」


 ライリーの言葉に、俺は苦笑した。

 リリーは幼い頃から我儘で、傲慢な女だった。ただし、自分に利がある人物には猫を被り、信頼を得る。


「父は確証が無いと俺の言葉さえ信じないからな」

「さすが鬼の元団長」


 ライリーも苦笑いになる。


 リリーの猫に騙された一人、俺の父は魔法騎士団の団長だった。

 その下へつく俺にその座を譲り、今は母と領地に戻り、領主として過ごしている。

 父は大聖女になったリリーとの婚約を急がせるために、その隣に相応しいようにと俺に団長の座を譲ったのだ。

 けして俺の実力を認めたわけではなく、婚約を拒否しようとする俺の意志さえも無視した。


「それで? 悪女は刺されて少しはしおらしくなりましたか?」

「………………」

「え⁉ まさか⁉」


 口にしながらも、冗談だったのだろう。ライリーは黙り込んだ俺を見て前のめりになって驚いた。


「……刺されたショックで記憶を失っているらしい」

「え⁉ 本当ですか⁉」


 驚いたライリーが大声で叫んだ。


「団長がそう言うってことは、本当のようですね?」


 父と似て、俺も疑り深い。そんな俺が言葉にしたのだから、彼女の主張を認めたことになる。


「はああ、え? じゃあ、事情徴収とかどうなるんです?」

「彼女の記憶が戻るまで待つしかないだろう」


 俺の返事にライリーはうなだれた。


「逃れるための嘘……では?」

「俺も最初は疑った」

「ですよね」


 ライリーは諦めたように笑った。

 目を覚ました彼女はまるで別人だった。

 人を騙すのが得意な彼女のことだから、最初は演技だと思った。


「……あれは誰だ?」


 思わず口に出した。

 リリーのことは幼いころから知っている。

 あんなに穏やかな眼差しで、口調すら違った。


「団長がそこまで言うなんて。よっぽど変わっていたんですか?」


 彼女はまっすぐに俺を見、「償いたい」と言った。牢へすぐに入るのは逃げだとも。

 俺はあの瞬間、初めて彼女のラベンダー色の瞳が美しいと不覚にも思ってしまった。


「団長? 記憶を失おうが、あの悪女ですからね。気を付けてくださいね?」


 考え込む俺にライリーが釘を刺した。


「ああ。わかっているよ」


 俺はふっと唇に笑みを浮かべて彼に答えた。


「俺が近くにいて見極める」


 そう。いまさら彼女が改心しようが、もう遅い。記憶を取り戻したらまた悪行を繰り返すに決まっている。


「今度こそ終わりにしよう」


 ほだされかけた自身に活を入れるように、俺はつぶやいた。

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