第8話 アルとエルナ プロポーズ編



 子供の頃に犯した過ち。

 皇帝の前で膝をつき、大臣たちから冷たい視線を向けられた。

 そんな時、颯爽と現れた黒い髪の妃。

 子供の頃からの憧れだった。

 いつだって穏やかで、常に余裕を持っていて。

 誰かに怯むようなことはない。

 相手が皇帝であっても、当たり前のように自分の意見を告げる。真っすぐ相手を見つめる姿勢はかっこよかった。

 ああなりたいと思えた。

 いつでも目標だった。

 ただ、憧れは憧れ。

 自分はあんなふうにはなれないのだろうな、という諦めもあった。

 目指す努力はしてきた。

 けれど、その姿はいまだに遠い。




■■■




「アル! フィーネ!」


 銀爵家の屋敷。

 皇太子妃レティシアの護衛として皇国に同行していたエルナだが、フィーネの襲撃事件を受けて、帰国していた。

 厳重警戒での帰国。

 元々、護衛についていた近衛第三騎士隊に加えて、東部国境守備軍のアロイスが部隊を率いて警備についた。

 どうにか帝都へ送り届けたエルナは、そのまま真っすぐ屋敷に帰ってきていた。


「エルナ様」

「フィーネ! 怪我はない!? 大丈夫!?」


 ソファーに座るフィーネを見て、エルナは傍に駆け寄る。

 大丈夫です、と告げるフィーネを見て、エルナはホッと息を吐く。


「知らせを聞いたときは生きた心地がしなかったわ……」

「アル様が助けてくださいました」

「こればかりはリンフィアのファインプレイだったな」

「リンフィアが……?」

「リンフィアさんが前日にアル様を呼んではと助言してくださって……」

「それで俺が間に合ったわけだ。さすが近衛騎士隊長、気が利く」

「気が利かない隊長がいるって言いたいのかしら?」

「さぁ? どうだろうな?」

「悪かったわね!」


 エルナは言いながらアルの両頬をつねる。

 その様子を見て、フィーネはクスリと笑う。


「エルナとは言ってないだろ!?」

「言っているようなもんよ!」


 エルナとアルにしか生み出せない雰囲気というものがある。

 フィーネも頑張れば似たような雰囲気を生み出せるかもしれないが、お互いに何か違うと感じてしまうだろう。

 無理をして生み出された雰囲気は、どこかぎこちないものだから。

 だから、今、この雰囲気は二人だけのもの。

 邪魔をしては悪い。


「それでは私はそろそろ出発しますね」

「出発? もう帝都に行くの?」

「はい。十分、休みましたから」

「護衛は大丈夫?」

「はい。レオ様が近衛騎士隊を派遣してくれることになっていますから」

「し、心配だわ……私が送っていくわよ!」

「心配しすぎだ」

「アルは心配じゃないの!?」

「心配だが、いつも厳重警備で動くわけにもいかないだろ。いざとなればまた俺が行く」

「はい、ですから大丈夫です。アル様を信じていますから」


 フィーネは笑顔を浮かべ、それにアルも笑顔で答える。

 いつもどおりの光景。

 けれど、エルナは違和感を覚えた。

 なにか、二人の距離感が少し近いような。

 仲がいいのはいつものことだ。

 だが、何かが違う。

 エルナにはそう感じられた。

 そしてフィーネは屋敷を出ていく。

 しばらくの間、エルナとアルは同じソファーに座っていた。

 互いに何も言わない。

 そんなアルに対して、エルナは我慢できずに尋ねた。


「アル……フィーネと何かあった……?」


 エルナの言葉に対して、アルは少し目を見開くと、すぐに笑みを浮かべる。

 そして。


「俺のほうからちゃんと説明しようと思ったんだが……まぁ、そうだな。正式にプロポーズをした」


 正式にプロポーズ。

 その言葉にエルナはフリーズする。

 エルナとフィーネの立ち位置は曖昧だった。

 皇帝と同等の権利を有する銀爵の妃。それは間違いなかったが、アル自身が二人に告げたのは傍にいてほしい、というものだった。

 それで満足していた。

 けれど、その先があった。

 そしてそれを受けたのはフィーネだけ。

 少しだけエルナの心の中にどす黒い感情が渦巻いた。


「また……」


 そこまで口に出して、エルナは口を閉じた。

 言ってはいけない。

 幾度も見てきた。

 帝都の城の中で妃同士の争いを。

 すれ違う度に妃たちは自分の優位をアピールしていた。そうしなければ不安だったからだろう。

 皇帝の寵愛がなければ、妃に価値はない。

 その他の一人でしかないから。

 子供の頃は醜いと思った。なぜ争うのかわからなかった。

 けれど、今はわかる。醜くなってしまうのだ。

 だから言ってはいけない。

 不満を口にしたら最後。すべて吐き出してしまう。

 今でも十分幸せなのだから、これ以上を望むわけにはいかない。

 望んだ結果、アルが煩わしさを感じてはいけない。自分が争いの種になると知れば、どこかに行ってしまうかもしれないから。

 妃は二人。

 正妻と側室。順番ができるのはしょうがない。

 覚悟していたことだ。

 自分が二番手になることくらいわかっていた。

 いつだって、一番傍にいたのはフィーネだったのだから。


「エルナ?」

「……なんでもないわ。疲れたから部屋で休むわね」


 早口で告げて、エルナは立ち上がる。

 ここにいてはいけない。

 顔をみていると口に出してしまう。

 一度口に出してしまえば、止められない。

 胸にしまっておかねばならない。

 こんな感情は。

 だが。


「アル……?」


 エルナの手をアルが掴んだ。

 そして力強く引っ張った。

 いきなりのことで、エルナはそのままアルに抱きしめられたのだった。


「そういうのはなしにしよう……」

「そういうのって……」

「なんでもない顔じゃない……わかるさ。エルナにわかるように、俺にも」


 アルはそのままエルナを抱きしめた状態でソファーに座る。

 そして。


「言いたいことはだいたいわかるけど……エルナの口から聞きたい」

「アル……私は……」

「大丈夫。俺は帝位争いから逃げなかった。家族が大切だったから。ここからも逃げない。ここでの生活が大切だから。なにがあっても、だから大丈夫だ」


 不満を口に出していい。

 そう言われて、エルナは少し迷う。

 けれど、すぐに胸が苦しくなった。

 その苦しさから解放されるために、言葉が自然と出てきてしまう。


「また……私は後回しなの……?」


 シルバーの正体。

 フィーネは知っていた。エルナは知らなかった。

 知ったのは大戦の終盤。

 不満がないわけじゃない。ただ、抑えていただけ。

 それが溢れてくる。


「フィーネが憎いわけじゃない……アルが憎いわけじゃない……けど、苦しいの……私が二番手だと思い知らされるたびに……苦しいの!!」

「エルナ……」

「私は……アルの一番にはなれないの!?」


 言ったあとにエルナはハッとした表情を浮かべる。

 言ってしまった。

 今更、言ったところでどうにもならない。アルが困るだけだ。

 それを口に出してしまった。

 エルナは目に涙を浮かべて、首を横に振る。


「アル……ちが……こんなこと……言いたいわけじゃなくて……」

「大丈夫。大丈夫だから」


 落ち着かせるようにアルはエルナの頭を撫でる。

 そしてしばらく時間が経ってから、話し始める。


「聞かせてくれてありがとう。妃は二人。差があるように感じさせたのは俺のせいだ。不安にさせたな」

「ちがう……アルが悪いんじゃ……」

「俺のせいさ。二人に傍にいてほしいと言った時から、二人に関することは俺の責任だ。そして俺のことも二人の責任だ。だから、不満があれば言って欲しい。俺も言うようにするから」


 それだけ言うと、アルはソファーにエルナを座らせて、自分は床に膝をつく。

 見上げる形になったアルは、涙を流すエルナに微笑みかけた。


「もっと上手くやれればいいんだが……俺は自分が思うほど器用じゃないらしい。だから、こんな形になってしまってごめんな。これは……物で埋め合わせするとか、思い出で埋め合わせするとか、そういうわけじゃない。エルナに渡すと決めていたものだ」


 エルナの左手を手に取ると、アルは少しおぼつかない様子でポケットから箱を取り出した。

 そして、それを開くシンプルな形状の指輪が姿を現した。

 それをエルナは知っていた。


「それって……」

「俺の祖父が祖母に贈った物で、祖母は父上に譲った。愛する人に渡しなさい、と。父上はこれを母上に贈った。一切、政治に関係なく、ただ一目ぼれをした母上に。そして母上はこれを俺に渡した。愛する人に渡しなさい、と。けど、指輪は一つ。妃は二人。普通なら迷いそうなもんだけど、すぐに誰に渡すか決まった。この指輪は代々受け継いできたものだから……初めて恋をした女の子にしてもらいたい」


 エルナの左手の薬指に指輪がそっとつけられる。

 魔法が掛かっているのか、サイズはピッタリだった。

 煌びやかな宝石がついているわけじゃない。

 もっと高価な指輪はたくさんあるだろう。

 けれど、憧れの妃がつけていた指輪。

 そしてアルがくれた指輪。

 それだけで。

 エルナには一番の指輪だった。


「どれだけの言葉を贈っても、エルナにとってはすでに使われた言葉に思えるだろうけど……それでも言いたい。聞いてくれるか?」

「アル……」


 エルナが小さく頷くと、アルは深呼吸をする。

 愛の告白は二度目だ。

 ただ、慣れるものじゃない。

 慣れてはいけないものだろう。

 相手を想い、緊張する。

 だからこそ、言葉に重みが出るのだ。

 これから何度同じことがあろうと、そのたびに緊張するだろう。

 そのたびに相手を想うのだから。


「ずっと……傍にいてくれてありがとう。いつだってエルナは傍にいてくれた。いつだって俺の騎士であってくれた。近衛として、勇爵家の人間として。間違っていたとしても、決して俺を見捨てず、味方でいてくれた。だから、甘えて、傷つけた。二度としないとは言えない。俺はそういう男だから……けど、努力はする。精一杯、エルナが傷つかないように。情けない俺だけど、それでも頑張るよ。だから、これからも傍にいてほしい。〝俺の騎士〟ではなく、〝俺のエルナ〟になってほしい。一番安心して背中を預けられるのは、レオでもなくて、エルナだった。けど、これからは背中を預け合うんじゃなくて、向かい合って抱き合いたい。もう、幼馴染の淡い恋じゃない。愛している。どうか……俺の妻になってほしい」


 言い終えたアルは、ジッとエルナを見つめた。

 様子を窺う。

 駄目だとは思わない。その程度の信頼はある。

 けれど、百パーセントではない。

 数パーセントかもしれない。

 けれど、数パーセントで初恋の女性に振られるのだ。

 気が気じゃない。

 そんなアルの言葉を聞いていたエルナは、静かに呼吸を整える。


「……ねぇ、アル」

「うん?」

「……二人っきりのときは私が一番? 私だけを見てくれる?」

「もちろん」

「それならいいわ。喜んで――〝私のアル〟」


 笑顔の後、二人は強く抱き合った。

 ホッと息を吐いたアルはゆっくりとエルナの顔に近づく。

 エルナはそっと目を閉じて、唇が重なる。

 軽く重ねたあと、唇が離れた。


「アル、あの……?」


 何か呟こうとしたエルナの唇に、アルは人差し指を押しあてた。

 今は、言葉はいらない。

 そのままアルはエルナにキスをした。

 深い、深いキスを。

 愛情が伝われとばかりに。

 けれど、人間は呼吸する生き物だ。

 いつまでは続かない。

 音を上げたのはアルのほうだった。


「はぁはぁはぁ……」


 息を吸うアルに対して、エルナは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。


「私の勝ち」


 舌を小さく出しながらエルナは告げる。

 そんなエルナを見て、アルも笑う。


「今回は、な」

「何度やっても一緒よ」

「たまには勝てるかもしれないだろ?」

「相変わらず負けず嫌いね?」

「エルナほどじゃないさ」


 二人で軽口を叩きながら、また唇が重なるのだった。




■■■




「それで? どうなったのかしら?」

「さぁ、どうでしょうな? その後は警備に回りましたので」

「あら? 紳士なのね」

「アルノルト様の性格を存じ上げているだけです。私が見ていると気づけば、妃のために私を外すかと。その程度はやってのけるでしょう」


 そこに気を遣えないような執事はいらない。

 主のプライバシーを守るのも執事の仕事だ。

 ミツバに報告しながら、セバスは告げる。


「やれやれね……まぁ、そのうち孫が見られそうで安心だわ。けど、北部はどうしようかしら? シャルロッテさんからレオの側室への要望が届いているのだけど?」

「側室になりたいと?」

「それが一番と思ったのでしょうね。まぁ、政治的にはいいでしょうけど」

「同じことを繰り返すのはいかがなものでしょう?」

「わかっているわ。だから、アルのところにと思っていたの。互いに相手を慕っているでしょ? けど、二人の妃といい感じになったところにもう一人というのも……」

「個人的な意見を言わせていただいても?」

「なにかしら?」

「アルノルト様ならば勝手に介入するかと」

「それもそうね。放っておこうかしら。ひどいことになりそうなら……私が北部に滞在しましょう。そうすれば北部貴族も安心するでしょうし」

「それはそれで皇帝陛下が荒れますな」

「荒れさせておけばいいのよ。一人の女性がたかが帝国の一部地域のために、人生を捧げるよりましでしょう? 私には愛する夫もいるし、愛する息子たちもいるのだから。幸せは十分味わったわ」


 そう告げるミツバに対して、セバスは頭を下げる。

 この情報が少しでももれれば、二人の息子は動くだろう。

 それをわかっていて、言っているのだ。本気で。

 怖いお方だ、と思いつつ、セバスはその場をあとにするのだった。


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