第7話 アルとフィーネ プロポーズ編・下
頭にくるという感覚は滅多にない。
怒りを覚えても、しっかりと考える時間を置くから。
幼い頃から自分の判断で動く以上、自分の責任と教えられてきた。
だから、一拍置くことを覚えた。
けど。
今は頭に来ている。
「本人が来たか」
「……なぜフィーネを狙った?」
「……僕がシルバーになるためだ」
いつもなら鼻で笑うだろう。
けれど、笑う気にもなれない。
「シルバーになりたいからそんな恰好を?」
「僕がシルバーだ。だからこそ、シルバーが持っているモノはすべて僕のモノ」
自分をシルバーだと勘違いしている異常者。
そこに至る動機が憧れなのか、恨みなのかはわからない。
ただ、一つ言えること。
「お前の言ったことは……シルバーになりたいからフィーネをトロフィー代わりによこせ……今言ったことはそういうことだぞ?」
「そのとおりだが?」
「……」
シルバーの正体はアルノルト。
だからアルノルトの傍にいたフィーネを手に入れる。
自分をシルバーたらしめる要素として。
シルバーが持っていたモノ、シルバーの傍にあったモノ、シルバーの傍にいた人。
それらをすべてかき集めて、自らをシルバーと定義したいんだろう。
他人に迷惑がかからないなら、ただの真似で済む。
だが、奪い取ろうとするなら話は違う。
ましてや、それが俺の妃なら……。
「生きて……帰れると思うなよ?」
腹の底から低い声が出る。
殺気を抑えないのもいつぶりだろうか。
それもただの人に。
これほど怒りを覚えたのは久しぶりだ。
「勝った方がシルバーか」
「シルバーになりたいならくれてやる……だが、フィーネは……決して渡さん」
互いに魔法の詠唱に入った。
奇しくも同じ魔法。
シルバーを名乗る以上は、できるかもしれないと思ったが。
≪我は銀の理を知る者・我は真なる銀に選ばれし者≫
≪銀星は星海より来たりて・大地を照らし天を慄かせる≫
≪其の銀の輝きは神の真理・其の銀の煌きは天の加護≫
≪刹那の銀閃・無窮なる銀輝≫
≪銀光よ我が手に宿れ・不遜なる者を滅さんがために――≫
≪シルヴァリー・レイ≫
七つの光球が互いに銀光を撃ちだし、そして相殺し合う。
それを見て、俺はシルバーの持つ杖を見た。
明らかに別格の魔導具。
おそらく古代魔法文明時代の遺物。
所有者よりもあの杖のほうに膨大な魔力が宿っている。
「……古代魔法文明には記憶の転写なんて魔法があったそうだが……その類か」
「そうだ……僕は古代魔法文明時代の魔導師の記憶を持っている……お前のように紛い物の古代魔法の使い手じゃない! 僕は……私は! 真なる銀滅魔導師だ!!」
言動が少し変わった。
戦闘によって高揚したとかじゃない。
おそらく記憶の転写、もしくは人格の転写。
主人格はもはや杖側。
最初は肉体側の人格だったのだろう。けれど、銀滅魔法を放ったことで逆転した。
多少は主人格の影響は残っているだろうが、それでも主導権は入れ替わった。
古代魔法文明時代の魔導師が施した転写だ。
現代の魔導師が抗えるわけがない。
「現代の魔導師はひ弱だな! いくつも宝玉を持っているようだが、それで足りるか!?」
「ちっ!」
さすがに気付かれたか。
だが、相手とて杖の中の魔力に頼っている。
どちらも万全ではない。
ならば戦い方が勝負を分ける。
≪我は銀の理を知る者・我は真なる銀に選ばれし者≫
≪銀光は天を焼き・銀星は闇を穿つ≫
≪墜ちるは冥黒・照らすは天銀≫
≪其の銀に金光は翳り・其の銀に虹光は呑まれた≫
≪いと輝け一条の銀光・闇よひれ伏せ屈服せよ≫
≪銀光よ我が身に君臨せよ・我が敵を滅さんがために≫
≪――シルヴァリー・フォース≫
互いに大事な一手を切る。
それを見て、シルバーは楽しそうに笑う。
「シルヴァリー・フォースまで使いこなすか! ここまで銀滅魔法を使いこなす者はそうそういなかった! 技量だけならかつての王族に匹敵するぞ! 私を討った王族たちにな!!」
つまり、保険として記憶を転写する杖を残していたわけか。
それを現代の魔導師が見つけてしまった。
そんなところだろう。
シルバーへの執着を見るに、おそらく魔導具を研究していたヴィムか。
古代魔法への執着がシルバーへと変わったわけだ。
俺を襲うならまだわかる。
だが、シルバーになるためにフィーネを奪おうとするのは予想外だ。
そんな奴がいるとはな。
「どうした! 勢いがなくなったぞ!」
銀属性の魔力弾を放ちながら、シルバーが近づいてくる。
それらを同威力の魔力弾で撃ち落とすが、シルバーの接近は止められない。
懐に潜り込んだシルバーが俺の腹に拳を叩きこんでくる。
ピンポイントでの結界で受け止めるが、それを破壊して、腹に拳がめり込む。
「ぐっ!」
痛い。
とても痛い。
けど、歯を食いしばる。
別に距離を取ればよかった。
それでも接近させたのは理由がある。
ただ一つの理由。
こいつだけは直接殴らないと気が済まない。
「うぉぉぉぉぉぉ!!!!」
俺に一撃を与えて余裕を見せているシルバーの顔面に、俺は渾身の右拳をぶつける。
仮面の一部が壊れて、青年の顔が垣間見える。
可哀想な青年。自分の価値を証明する方法を見つけられなかったのだろう。
ただ優秀なだけではだめだった。
圧倒的な力が欲しかったのだろう。
理解はできる。
だが、それはそれ。
そのためにフィーネを襲ったことは許さない。
「かはっ……」
「はぁっ!!!!」
仰け反ったシルバーの腹に左拳を入れると、そのまま顔面に蹴りを入れる。
少しだけ距離が空く。
その間に転移でシルバーは俺から距離を取った。
「わざと接近させたわけか……」
「どうした? 古代の魔導師はひ弱だな?」
「言ってくれる……その余裕はこれでも持つかな?」
シルバーの右手が下へ向いた。
そこにはフィーネがいる。
俺が何かする前に魔法が放たれた。
銀属性の魔法。
それを止めに俺が動くと想定して、シルバーは動き出す。
けれど。
「お前がそういうことをしてくると……俺が予想していないとでも思ったか?」
予め用意していた転移門が開き、フィーネに向けられた魔法が転移門に吸収される。
そして、それはシルバーの真後ろからシルバーに帰って来た。
「なに!?」
「隙ができたな」
同じ魔法を使う以上、勝負を分けるのはそれ以外の手札であり、魔法の使い方となる。
たしかに古代魔法文明時代の魔導師は脅威だ。
だが、古代魔法文明時代の魔導師といえど、戦闘経験は俺ほど積めていない。
一瞬の隙。
その瞬間、銀色の鎖がシルバーを拘束する。
事前に準備していたものだ。そう簡単には解けない。たとえシルヴァリー・フォースを使用していたとしても。
俺の傍に転移門が開き、そこからフィーネが飛び出してくる。
フィーネを受け止め、俺は告げる。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
囮にする形になったが、フィーネは気にしていないように笑う。
怖くないわけがない。
それなのに。
そんな風に思っていると。
「いつでも……アル様が守ってくださると信じていますから」
「……ありがとう」
お礼を言うと、俺は右手でフィーネを支え、左手をシルバーに向ける。
銀の鎖を解こうとしているが、なかなかうまくいっていない。
当たり前だ。
あらゆる弱体化詰め込んだ拘束。
弱点は発動までに時間がかかること。発動時にラグが発生すること。
そのために隙を作る必要があった。
確実に仕留めるために、動きを止めたかったのだ。
「〝蒼い銀〟を見たことがあるか?」
言葉と同時に魔力を手の平に集め始める。
≪我は銀の理を知る者・我は真なる蒼銀に選ばれし者≫
≪始まりの蒼・果ての銀≫
≪真の蒼は空へ・真の銀は冥府へ≫
≪混ざり合う蒼穹・溶け合う白銀≫
≪いと輝け蒼なる銀よ・永遠に煌け銀なる蒼よ≫
≪蒼銀よ我が手に光を・我が仇敵を滅さんがために――≫
俺の詠唱を聞いていたシルバーは、割れた仮面から垣間見える目を大きく見開く。
理由はわかる。
見たことがないのだ。
「なんだ……その魔法……? そんな魔法は銀滅魔法には……」
「いつまでも……古代の魔法のほうが優れていると思っていたか? 人は先へと進む生き物だ」
蒼と銀の魔法陣が浮かび上がり、それが混ざり合い、一つの大きな魔法陣を形作る。
その色は蒼銀。
見たことがない銀滅魔法。
それによってシルバーの行動が止まる。
まさか古代魔法文明の滅亡の果てに、新しい古代魔法が生まれるとは思わなかったんだろう。
衝撃に備えて強くフィーネを抱き寄せると、フィーネも察して俺の首に手を回してきた。
「いつでも」
「了解」
二人で笑い合うと、俺は深く息を吸い込んだ。
そして。
≪シルヴァリー・ブルー・グリッター≫
蒼銀の光がシルバーに向かって放たれる。
遠くからでもわかる巨大な光線。
それがシルバーを飲み込み、そのまま城の一部も消し去って、遠くまで伸びていく。
輝く蒼銀。
美しいその光のあとは何も残らない。
すべてが終わったあと、静かに空へ佇んでいた俺は転移門を開いた。
城は壊してしまったし、地上では後処理やらなんやらで大慌てだろう。
それでも。
フィーネと共にこの場を離れたかった。
そのまま俺たちは自分の屋敷に転移したのだった。
■■■
転移したのは俺の寝室。
屋敷で待っている時。伝令が来て嬉しかった。
フィーネが俺を呼んでくれたから。
張り切って宝玉をたくさん詰め込んだ。
おかげで問題なく戦えたわけだが、今の戦闘でSS級冒険者への報酬分の宝玉は消えた。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
その程度、いくらでも稼げるし、補充できる貯蓄も十分ある。
胸を張って言える。
それ以上のものを守れた。
「アル様……?」
何も言わない俺に対して、フィーネは小首をかしげる。
そんなフィーネを俺はそっとベッドに押し倒した。
びっくりしたようにフィーネは目を見開く。
「君が……傍にいるのは当たり前だと思っていた……」
「アル様……」
「誰かに奪われることも、君が俺の傍を離れることも……考えてなかった。ずっと続くと思っていた。何か動いてしまえば、この幸せが崩れるから……何もしないのが正解なのかと思ってた……」
「アル様、私は……」
「……」
信じていないわけじゃない。
けれど、考えていなかった可能性を提示されて、心が乱される。
いつまでも続くと思っていた。
いつまでも傍で笑ってくれていると思っていた。
それが危ういバランスの上に立っていると気づいてしまった。
今ある幸福が特別なのだと、当たり前ではないと、気づいてしまった。
落ちるフィーネを見て、恐怖が勝った。
そんな目に遭わせた相手に対して、怒りが勝った。
事態を収めたわけじゃない。怒りに任せて倒しただけだ。
心にわいてきたどす黒い感情をどうすることもできなかった。
フィーネを奪われるのが嫌だった。
「俺は……君を誰かに渡したくなかった。君が俺の傍を離れることを許容できなかった。怖かった。落ちていく君を見た時、心臓が止まるかと思った……君を失いたくなかった」
「アル様……」
「これは我儘なんだろう……それでも……君が一番近くで笑いかける相手は俺がいい。君の笑顔は……俺に向けるものであってほしい。傲慢でも、貪欲でもかまわない。フィーネ……君の傍にいるのは俺がいい」
自分が何を言っているのかわからなくなってくる。
心がざわつく。
心臓が高鳴る。
落ち着いていられない。
何を伝えればいいのかわからない。
でも、心の中に湧き出てくる想いを伝えたかった。
「俺は三年もいなくなる男だ……同じ展開になれば、同じことをするだろう。誰かを悲しませる決断でも、俺は必要ならする。そういう男だ。幸せになる権利があるとは思えない。誰かと共に歩む資格があるとは思えない。それでも……誰かが君と歩くのは嫌だ」
フィーネの青い瞳が揺れる。
不安にさせてしまっている。混乱させてしまっている。
人間というのは困った生き物だ。
こんなに想っているのに、言葉にしないと伝わらない。
そして上手く言葉にもできない。
けれど、それが人間なんだろう。
今ならわかる。
きっと、父上も兄上たちも。
なんて言えばわからなくて。
それでも自分なりに伝えたんだろう。
自分の心の声を。
「俺は……君が淹れてくれる紅茶が好きだ……君の声が好きだ、君の笑顔が好きだ……傍にいて、黙っていて、ただ穏やかな時間が好きだ。無茶を言ったとき、困ったように笑う君が好きだ。どんなに辛くても……君が待っていてくれる場所が好きだ。よく周りが見えている君が好きだ。困っている誰かを見たとき、助けようとする君が好きだ。真っすぐな君が好きだ。君を守りたい。君を守れる自分でありたい。君の傍にいたい……」
傍にいてほしい。
それがどれほど特別なのか、気づいたから。
だから。
「俺も君の隣に立つから……君にも傍にいてほしい。手を差し出すから、握り返してほしい。名前を呼ぶから、呼び返してほしい……」
言葉は呪いとなる。
誰かを縛り付けてしまう。
その責任を背負うのは重い。
けど。
そんな重さも平気だと思えてしまう。
母上は自分の判断なのだから、自分の責任だと言った。
きっと、それは間違っていない。
正しい教え。
だけど、世界には一人だけの責任じゃないこともある。
二人で分かち合うこともあるだろう。
この言葉もきっと――。
「――愛している、フィーネ。どうか……妻になってほしい」
「……はい、私も愛しています。永遠に誓います、アル様に愛を」
そっと顔を近づけると、フィーネが目を閉じた。
先ほどまでの心のざわつきはない。
抱えていた想いを吐き出したから。
伝えられたから。
心は軽かった。
ゆっくりと静かに唇を重ねる。
壊れ物を扱うように。
何度も唇を重ねる。
やがて影と影が重なる。
そしてゆっくりと時間が流れていくのだった。
■■■
「母上! 父上が旅に出る皇子の護衛につけと……」
「一人で旅をさせるわけにはいかないでしょう? 皇子なのですから」
「それはそうですが……僕ですか?」
金髪の少年が困惑しながら告げる。
そんな〝息子〟にフィーネは笑いかける。
「自信がありませんか?」
「そりゃあ……いきなり皇子の護衛って言われても……」
「大丈夫です。雑に言っているようで、困ったらお父様が駆けつけますから」
「本当ですか?」
「そういう人ですよ、昔から」
クスリと笑うとフィーネは金髪の少年を見つめた。
金色の髪に青みのある黒目。
その容姿は若かりし頃の父親にそっくりで。
「そういえば皇子は髪色以外は陛下にそっくりだそうですよ。そうなると、あなたも変装が必要ですね」
「変装してまで護衛する必要が……? そもそも皇子から良い噂を聞きません……強引だとか、粗暴だとか……」
「伝聞は伝聞です。何事も自分の目で確かめるべきでは?」
「はぁ……」
味方にはなってくれない。
もはや受け入れるしかない。
諦めて、金髪の少年は肩を落とす。
そんな少年の後ろから声がかかる。
「早くしないと置いていくわよ! ぐずぐずしない! お父様からの指令なんだから! しっかりやる!」
桜色の髪の少女が少年を急かす。
「ま、待ってよ……! すぐ行くから!」
「それじゃあ行ってらっしゃい」
「もう……何かあっても知りませんからね?」
どうにでもなれと言わんばかりに告げると、金髪の少年は踵を返す。
そして魔法で黒一色の鎧を身に着ける。
兜によって顔も隠れた。
そのまま自分の愛剣を腰に差す。
そして。
「行きますけど! 行きますけどね! 困ったら助けてくださいね! 父上!」
「……気が向いたらな」
顔は見えない。
けど、ニヤリと笑っているだろうことはわかった。
そのことに少年は天井を仰ぐ。
父も母も無茶ばかり言うし、妹は強引だし。
「やれやれ……」
再度、ため息を吐きながら少年は歩き出すのだった。
黒騎士として。
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