第2話 君の名は part1

「キモッ」

 と声が聞こえて、本から顔を上げるとカネコさんが立っていた。

「カネコさんってキモッってよく言うよな」

 とぼくは言ってみた。

 キモッと言われるたびにショックで、メンタルが削られているのだ。

 彼女はぼくの隣に座る。

「挨拶やん」

 と彼女が言う。

「普通に挨拶してや。メンタル削られる」

「キモんちわ」と彼女が言う。

「こんにちはの中にキモッが入ってるやん」

「いや、だってキモいんやもん」と彼女が言う。

「そんなにぼくキモい?」

「相当」

 と彼女が言う。

「……」

「落ち込むなよ」

 とカネコさんが言って、肩パン。

「痛っ」

 とぼくは言って、腕を抑える。

「他の人にはキモッって言ってるん?」

「マサトだけ特別」

 と彼女が言う。

 マサトだけ特別?

 彼女を見る。なぜか照れている。

「いや、謎に照れてるけど、キモッって言われたら普通にショックやから」

「なんでやねん。マサトにしか私はキモッって言わんねんで」

 とカネコさんが言う。

「……それってぼく以外の人はキモくないってこと?」

「そうなるわな」

 と彼女が言う。

 ふざけるなよ、と思って、また彼女を見た。

 謎に照れている。なんでコイツは照れてんねん。


「それじゃあ今日も面白い話して」

 と彼女が言った。

「なんの話をしたらええんやろう?」

 とぼくは首を傾げた。

「面白い映画とかないん?」

「『君の名は』見た?」

 とぼくは尋ねた。

 名作中の名作すぎて、見てないわけがないのだ。

「なにそれ? 知らん」

 とカネコさんが真顔で答えた。


「えっ」とぼくが驚く。

「なにを驚いてんねん」とカネコさん。

「日本に住んでた?」

 とぼくは尋ねた。

「帰国女子やけど」

 と彼女が言う。

「ずっと日本におったやん。小学校から一緒やで。それに帰国女子じゃなくて、帰国子女な」

 とぼくが言う。

 カネコさんから肩パンをくらう。

 ぼくは彼女から攻撃を受けた腕をさすった。

「っで」とカネコさん。

「それじゃあ『君の名は』を話させていただきます」

「そうじゃない。君の名はなんなん?」

「は?」

「だから、君の名前はなんやねん、って聞いてんねん」

 君の名は? ってヒロインの名前を聞いているのか?

「……三葉やけど」とぼくが答える。

「それは下の名前か? めっちゃ馴れ馴れしいやん」

 たぶん下の名前である。お母さんがヒロインのことを呼んでいた時も三葉だったような気がする。

「それじゃあ苗字はなんて言うん?」

「知らんわ」

「その映画を見てるくせになんも知らんねんな」

「片桐さん」

 とぼくが適当に言う。

 作中の三葉は絶対に片桐さんではない。

「それじゃあ『君の名前は片桐さん』か?」

「そういうことになると思う」

「苗字を指摘されるってどういう状況なん? 記憶喪失でもしてるん?」

「記憶喪失ではない」

「それじゃあ『君の名前は片桐さん』っておかしいやろう?」

 とカネコさんからの指摘。

「わかった」とぼくが頷く。

「『あの子の名前は片桐さん』やったらどう?」

「それやったらおかしくない」とカネコさんが受け入れてくれる。

 ただ全然違うモノになってしまっている。


「それじゃあ、『あの子の名前は片桐さん』を聞かせて」

 わかった、とぼくは頷いた。

「あっ、ちょっと待って。話が始まる前にポップコーンを用意しな」

 と彼女は言って、学校規定のカバンから袋詰めのポップコーンを取り出した。

「今日はちゃんと用意して来てん」

「どんだけぼくの話を楽しみにしてんねん」

「楽しみにしたらアカンのか」

「別にええけど。そんなに流暢に喋られへんで」

「この映画は3D?」

「3Dじゃない」とぼくが言う。

「なんや。せっかく3Dメガネも持って来たのに」

 と彼女が言って、カバンの中から右のレンズは青、左のレンズは赤の3Dメガネを取り出した。

 喋るだけやから3Dメガネは関係ない、とぼくは思ったけど、口に出しては言わなかった。

「だいぶ古いタイプの3Dメガネやな」とぼくが言う。

「昔の雑誌のフログのやつやから」

「ごめん、この映画3Dやったわ」

 とぼくは言った。

 嘘である。3D映画の話をしたらメガネをかけるのか興味本位で言っただけだった。

「ちょうどええわ。持って来てよかった」

 と彼女が言って、3Dメガネをかけた。

 滑稽だった。彼女の世界はどう映っているんだろうか?


「ポップコーン食べる?」とカネコさん。

「食べたら喋られへん」

 とぼくが言う。

 彼女はポップコーンの袋を開けて、ぼくの口にポップコーンを入れて来た。

 強制ア〜ンである。恥ずかしい、照れる。

「だからポップコーン食べたら喋られへんって」

 とぼくは言う。その言葉もモゴモゴ言っていた。

「ア〜ンして」とカネコさん。

 顔が熱い。体が熱い。

 ぼくはカネコさんから入れられたポップコーンを飲み込んで口を開けた。

 次のポップコーンを入れてもらうためのア〜ン。

「開けてるやん」とカネコさん。「うわっ、口汚なっ。なんか見た事ない食べカスいっぱい残ってるし」

「ポップコーンや」

 とぼくが言う。

「ポップコーンをそんなに悪く言わんといて」と彼女が言う。

「悪く言ってるわけちゃうんけど」

 とぼくが言っている最中に、ポップコーンを大量に口に押し付けられる。

 うっ、苦しい。

 これはア〜ンなんて生易しいモノじゃない。

 一瞬だけ生死の境を彷徨う。

 どうにかポップコーンを噛み砕き、飲み込んだ。


「死ぬかと思った」とぼくが言う。

「ポップコーンで死ぬか」とカネコさん。

「めっちゃ喉乾いた」とぼく。

 ポップコーンの塩分のせいで喉が乾いてしまった。

「私、お茶持ってんで」

 と彼女が言った。

 ちょうだい、とぼくは言えなかった。

 彼女がカバンからペットボトルのお茶を取り出す。

「ペットボトルのお茶も高くなったよな。嫌やわインフレ」

 とカネコさんが言いながら、ペットボトルのキャップを開けた。

 そして彼女はぼくの事をチラチラ見ながら、グビグビとお茶を飲み始めた。

 わかってはいたけど、お茶はくれるわけではないらしい。

「うまぁ〜」

 とお茶を飲んだカネコさんが言って、ぼくを見る。

 そしてまたお茶をグビグビと飲む。

「めっちゃ嫌がらせしてくるやん」

 とぼくは呟いた。

「うまぁ〜」

 と3Dメガネをかけたカネコさんが、これでもかというぐらいにお茶がうまいアピールをしてくる。

「ちゅうか、お茶減ってないやん」

 とぼくが指摘する。

 彼女はお茶を飲んでいるはずなのに、お茶が減っていなかった。つまり飲むふりだけをしているのだ。

「喉乾いてへんもん」

 とカネコさんが言う。

「あっ、そう」とぼくが言う。

「私の飲みかけしかないけど、もしよかったら飲む?」

「さっきまでカネコさんの飲みかけじゃなかったけどな」

 とぼくがツッコむ。

 そして彼女が差し出す飲みかけのペットボトルを見た。

 間接キス。


「……いや、それは」

 とぼくが言う。

「私、間接キスとか別に気にせいへん派閥やから」

「そんな派閥があったなんて知らんかった」

「一大勢力やで」

 とカネコさんは言いながら、飲みかけのお茶をぼくに押し当ててくる。

「……本当に喉が渇いてまして」

 とぼくは言った。

 間接キスを気にしない派閥に所属している彼女のペットボトルを取ろうとした。


「キッモ〜」

 と彼女が言って、ペットボトルを引っ込めてキャップを閉めた。

「間接キスさせるわけないやん。さっき言ってたのは嘘。間接キスとか別に気にせいへん派閥じゃなくて、その反対勢力の財前教授の派閥に私は所属してんねん」

「財前派閥って、誰やねん」

 とぼくが言う。

 ペットボトルを取ろうとした行為が恥ずかしくて死にそうになっていたけど、なんとか彼女の言葉を言い返すことができた。

「それじゃあ喉が乾いた状態で物語を話して。タイトルなんやっけ?」

「『あの子の名前は片桐さん』」とぼくが言う。

「しょーもないタイトルやな。やっぱり3D、タイトルまで飛び出してるわ」

 と3Dメガネを付けている彼女が言った。

「カネコさんには何が見えてんねん」とぼくが言う。

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