赤髪ピアスは楽器で世界をかえるらしい。

 俺は校内全部に届く音量でセットしたマイクの前に立つ。

 

 息を大きく吸って、全てを吐くような声を載せる。


「麗花ーーーーーー俺の歌を聞けーーーーーーーーーー」


 スピーカーから声が響き、窓際で座って授業を受けている生徒の視線を受け取る。


「部室に来てくれ! 来てくれるまでライブしてやる!」


 ドラム音源を再生して、スピーカーから流れるドラムの音に合わせて、ベースを奏で始め、水華がそれに合わせるようにメロディーを乗せる。


 メロディーが流れる頃には窓際の生徒数名と、近くの生徒が俺らの方を見ており、俺らのクラスの隣、麗花がいるクラスの窓を覗くと、教室の一番奥の席に、金髪ポニーテールの美少女の姿がある。


「青春ってなんだっけ!」


 イントロが終わり、Aメロに入る。


 俺は緊張と興奮で震える指を動かし、ピックを使ってベースを響かせる。


「青春って言葉を聞いて、光と闇を分けることって、知らないのに理解してしまう。頭が無痛になるたびに、不意に景色が浮かび上がる。知らない景色知っている」


 水華のギターが掻き鳴らされ、俺のベースがそれを支える。


 Aメロを終える頃には観客も増え、教室の窓は開き、窓がない体育館の生徒は廊下に出て俺らの様子を見ている。


 人生で一度はやってみたかったゲリラライブと、校庭ライブ。もっとかっこいいだけだと、楽しいだけだと思っていたが、かなり緊張している。


「アニメ、漫画、ドラマに映画、理想一つに埋め込まれ。知らない、知れない、知りたくもない。本当はどうだ、青春幻想、偽物の音、聴くと、胸が、締め付けられるー」


 水華とアイコンタクトを取り、サビを迎える。


 職員室のドアも空き、うるさい教頭が呆然と立ち尽くし、俺らの担任と、海堂先生は楽しそうに俺らを見ている。


 でも正直どうでもいい。緊張も、正直吐きそうなのも、不安も全部今はいい。今は最高の気分。観客が見ている中、最高のライブ、人の目は気にならず、ひたすら水華と合わせること、思いを出すことに集中する。


「青春って言葉を聞いて、どっかのセリフ心に刻んで、理想の青を思い出してく。青春とは免罪符。クソみたいな言い訳で、心を保つ免罪符。どうでもいい感情だって、俺にいらない感情だって、捨てた感情どこに残って」


 金髪ポニーテールは確かに窓際にいて、他の生徒も窓を乗り出して俺らを見ている。


 表情はわからない。だけど音は聞こえているはず。


 なら俺は思いを伝える。音を奏でて、対してうまくない歌と歌詞と演奏で、思いを届ける。聞いてくれ、麗花! 


「青春という好奇心、未だ心に根を張り残って、心の隅に感じてるんだ、青春って言葉を聞いて、陽と陰を分けることって、気づいているけど偽物だって、俺の話を聞いてくれって、話す言葉も偽物だけど、心を満たすリアル全てが、青春ってことだから」


 届ける! 全てを!


「青春って言葉を聞いて、心弾ませ落ちていくって、全部君が教えてくれた。青春って言葉を聞いて、偽物だって気づいているって、処世術の学舎が、俺に教えてくれたことって幸せとは、今のことなんだって!」


 ラスト、水華のギターソロ。


 とても初心者とは思えない音を響かせ、空気に音を乗せ、校内全部に広げる。教頭が靴箱に見えるが、それすらどうでもいいほどのギターアウトロを弾ききり、音を置いて、ドラムが締める。


 演奏が終わると、一瞬の間が開き、誰かが拍手をする。


 その拍手に釣られて他の人も拍手をし、見ている人のほとんどが俺らに拍手を送ってくる。


「最高!」


「かっこよかったぞ赤髪!」


「入学ギター!」


「赤髪土下座! 最高!」

 と声援とディスりを受ける。


 俺と水華は顔を見合わせ、放心とも言えるような表情、笑顔とは違う、達成感の笑みを浮かべる。


「あなたたち! 校庭で何をしているの!」


 放心の俺を引き戻した声の方に顔を向けると、数名の女性の先生と、誰が見ても怒っている様子の教頭が、ズカズカと俺の元に向かってくる。


「水華!」


「あとは頼んだわよ!」


「任せとけ」


 水華はパンツのことなど気にしてない様子の全速力で部室棟に走り、それを追いかけようとした先生がいたので、俺はベースをかき鳴らして注意を向け、見ている生徒は謎のノリで盛り上がり、先生が俺の演奏を止めている間に水華は部室棟に逃げ込んだ。


「今すぐ演奏をやめなさい! 反省文じゃ済まないわよ!」


 教頭の脅しに俺はビビって大人しく演奏を止めると、教頭と先生数人が俺の方に、他の先生は窓から身を乗り出している生徒を注意したり、事態の収拾つけようと声をかけている。


「入学式の時は玄関だったし、スピーカーに繋がってなかったから不問にしたけど、今回はそうはいかないわよ。すぐに片付けて職員室に来るように。分かった!」


「はい」


 教頭が戻っていくと、他の先生にベースを渡すよう言われ、ベースを渡したあと、先生に監視されながら全ての電源を切り、音が出ないことを確認してから俺の担任の先生と一緒に片付ける。


「虎夜君、なんで校庭でライブしたの?」


「事情があって。言えないですけど」


「そう。もう一人の子は誰? 見たことない髪色だったけど」


「言えません。俺退学になったりします?」


「退学は…………ないと思うけど、よくて大量の反省文。悪くて停学ってところかな」


「そうですか。なら問題ないですね。それ重いんで俺がやります」


 先生が持っているアンプを受け取り、台車に載せる。


「ありがとう。停学で問題ないって、虎夜君にとって校庭でライブするのは、そんなに大事なことだったの?」


「大事です。俺にとっても、他の人にとっても。だけど、俺は後悔したくないので」


「後悔? 何を?」


「青春を」


「そうなんだね」


 先生はシールドとコードを巻き取り台車に載せる。


 台車のストッパーを外した時、ちょうど水華から部室を出たと報告がくる。


「これで全部だね。どこに戻すの?」


「部室棟の軽音楽部。旧音楽室です」


 一応先に部室に入り、水華がいないことを確認してから、台車を部室に戻し、その足で俺は職員室に連れて行かれる。


 職員室に入ると、二台も置かれている空気洗浄機が機能していないのか、空気が悪く、ピリピリとした雰囲気を肌で感じる。


「虎夜君。こっちの部屋で話しましょう」


 ものすごい見幕の教頭が、奥の個室。麗花と話した時と同じ部屋に入るように勧めてくるが、正直入りたくない。怖い。


「き、喫茶店とかで話を」


「早くしなさい!」


「はい!」


 部屋のドアが閉められた途端怒涛の説教が始まり、俺はひたすら、すみません。反省しています。言えません。の三つの言葉でやり過ごし、結局五時限目終了間近まで説教を受け、反省文と書き終わるまでのベースとギターの没収という罰で、今回は許してもらえることになった。


 ギターとベースはケースに入れるために一度部室に持ち帰り、放課後またもってこいとのことで一度返却された。


 危なかった。水華のギターまで没収されたら俺が殺されるとこだった。俺のギターと入れ替えておこう。


「いい。次やったら停学だからね。分かった!」


「はい。すみませんでした。失礼します」


 両手に反省文の束を持って、職員室にいる先生に一礼してから教室に戻って残り数分の授業を受ける。


 入る時に水華と目があったが、特に会話もなく席につく。


 授業中ものすごく見られながら授業を受け、俺が見られている方を見ると相手は目を逸らし、俺が目を逸らすとこっちを見てヒソヒソ話してる。


 いつもならメンタルがきついが、あの歓声を受けたあとだと、それすら心地よく感じる。


「みんな授業中だから集中して……授業を再開します」


 先生の注意を受けても見てくる視線を感じながら授業を乗り切り、麗花が来るかも知れないので、急いで部室で待機する。


 部室で待っていると、数分もしないうちに部室のドアが開く。


「悪いけど私よ」


 ドアを開けたのは麗花ではなく、授業中も確認したが、コスプレ衣装を脱いで普通の制服を着た水華。


「まだ来ていないのね」


「みたいだな」


「来てるよ」


 俺でも水華でもない声に、二人揃ってドアの方を向く。


「話の内容は大体わかるけど、ほんとなんなの」


 金髪のポニーテールに、短いスカートを揺らしながら、眠そうな目をこちらに向けた麗花は、ゆっくりと部室の中に入ってくる。


「れ、ど、そ」


「落ち着きなさい」


「お、おう」


 水華に宥められ、麗花にはとりあえず近くの適当な椅子に座ってもらう。


「で、なに。わざわざ校庭でライブまでして、そっちの人も、馬鹿なの」


「馬鹿とは失礼ね。大体なんで私がライブしたことになっているの。他の人の可能性もあるのに、確認もせずに人を貶すなんてそこが知れるわ」


 麗花の早口の反論に、麗花は水華のことを睨み、水華も麗花を睨みつけ、アニメとかならバチバチと火花でも散っているくらいの睨み合いが行われている。


「あの下手なFからの移動はあんたでしょ。隣の部屋から聞こえてた、下手な、ギターの音と一緒だった」


 麗花はわざと、下手という部分を強調して言い放つ。


「音楽から逃げた負け犬にわかるのかしら? Fコードって知ってる?」


 顔真っ赤とか言われるような煽りはやめてくれ、仲良くしてくれ!


「舐めてんの。あたしギター弾けるし、当然Fも弾ける。ああ、あんたは弾けないんだっけ」


「は」


「あん」


「二人ともちょっとおち」


「うるさい!」


「うるさい!」


 すごい剣幕で怒られた。怖い。


「すみません」


「大体なんであんたは呼んでおいて用件を話さないの? 馬鹿なの」


「だって二人がいきなり」


 二人の、文句あんの、という睨みを受け、俺は二人に対しての文句を飲み込み、本来の話を始める。


「麗花のバイトとかの」


「帰る」


「待ってくれ!」


 俺の話を聞くや否や、不機嫌そうに部室から出て行こうとする麗花の腕を掴む。


「離して!」


 麗花は俺の腕を振り解き、俺から一歩後ろに下がるが、まだ部屋からは出て行かずに、立った状態で俺らを威嚇する。


「俺の話を聞いてくれ。今回聞いて、それでもダメなら諦める」


 麗花は少し考えたように俯き、相変わらず俺を威嚇しながら「分かった」とだけ言う。


「じゃあ私は帰るわね。口を開いたらまた喧嘩しそうだし」


「了解」


 水華が部室から出ていくのを見届けてから話を始める。


「俺には麗花の気持ちはわからない。だから全部俺の想像だけど、麗花は音楽が嫌いじゃない。今でも音楽がしたいと思ってる。違うか」


「違う。あたしもう音楽に興味はない。何度言われてもベースはしない」


「ならなんでメイド喫茶でバイトした。ライブも出て、歌も歌っていた。矛盾だろ」


「なんでそのこと。はぁー確かに歌ったし踊った。でもそれはお金のためであって音楽が好きとか、未練があるとかじゃない」


「お金のためにあんなに楽しそうに歌うんだな」


「あんなに? あんたが来た時は裏にいたし、接客すらしてなかったはずだけど」


「俺が見たのは、ちょっと待ってくれ」


 ヨーチューブで麗花の勤め先のメイド喫茶を検索して、秋葉原のいろんなお店を回って、おすすめスポットを載せているチャンネルのメイド喫茶編を再生する。


「この動画に麗花のバイト先が紹介されている。料理とメニューとかだけで、他はモザイクだからメイドさんはあんまり写ってないけど」


 背の高い料理を撮っている場所までシークバーを動かし、麗花が写っている場所を見せる。


「ここ、端っこにいるギリギリモザイクが外れているとこ。十秒くらいだけど、麗花が写っている」


 動画には、猫耳メイドにミニスカの衣装で踊りながら、お店のオリジナル曲を歌っている麗花と、盛り上がっているお客さんたち。


「なんでそんな動画が……」


 表情がわかるのは数秒だけど、麗花の表情は俺が見たこともないくらい笑顔で、楽しそうに歌っている。


 もしこれが演技なら、俺はもうわからない。


 でも嘘とは思えないくらい楽しそうで、動画ではすぐに麗花は画面からずれてしまうが、料理を写している画面から聞こえる麗花の歌声はとても嫌だけど歌っているとは思えない。


「この笑顔と歌は、本当にお金のためだけなのか」


「……………………それは」


「他にもある。麗花がなんで隣の部屋で寝ていたのか。他にもいくらでもあるはずなのに、わざわざ軽音部の隣の部屋」


「たまたま先生に頼まれごとした時に見つけた。それだけ」


「部室に文句いいにきた時、下手なギター聴かせやがって、みたいなこと言ってただろ。下手ってことは少しは聞いていたんだろ。俺なら本当に嫌いな物は見たくないし、距離を取ろうとする。楽器とか音楽が嫌いなら、軽音部に近づきたくない。でも麗花は」


「うるさい!」


「ベースはわからない。少なくとも音楽は嫌いではない。本当はまだ好きで、また音楽にか」


「うるさいって言ってんの!」


 麗花は頑なに目を合わさず、どこか居心地が悪そうな様子で、首元の何かを触ろうとして、すぐに手を戻す。


 まるでいつもメガネだけど、今日はコンタクトで、メガネをクイってしてしまう時みたいな、いつもつけているものがない時の動作。


「なら次、これのこと」


 俺はリュックから麗花の忘れたネックレスを取り出し、麗花に見せる。


「それ……」


 麗花は動揺したように目を見開き、ネックレスを見ないように顔を逸らす。


「規則とかあるけど、無理言って店長から借りた。麗花が忘れた本物のネックレス」


「それがなに……なんの。別に」


「彩花ちゃんから色々聞いて、これがどういうものなのかも知っている」


「何が言いたいの」


「最初は捨てたつもりだと思ったけど、店長さんの店に忘れて行ったってことは、何か、また始めるきっかけを待ってたんじゃないか」


「だから……」


「また音楽を始める時に着けようと」


「るさい」


「そう思って、捨てずに音楽スタジオの店長に預けたんじゃないのかよ」


「うるさいって言ってんの!」


 麗花は俺の制服の胸ぐらを掴み、潤んだ目で俺を睨む。


「勝手なこと言って、もうベースはやらないって言ったでしょ! もう音楽はできない! 音楽は諦めたの!」


 麗花は目から大粒の涙をこぼし、言い終わるとゆっくり俺の制服から手を離して、制服の裾で涙を拭きながら俯く。


 前回と同じように否定され、断られた。俺は麗花の本心が知りたい。迷惑でも、俺は麗花との縁をここで終わらせたくない。


「麗花」


 俺は麗花の頭を撫でようと手を頭の上に乗せようとすると、麗花は泣きながら俺の手をパッと払いのける。


「あ、まあ。ああ」


 なんともいえない感じで払われた手を引っ込める。


「麗花、諦めたって、事情があって仕方なくやめたって感じだろ。ならその事情がなくなれば、もう一度音楽をしたいか」


 俺にはカッコ良くスマートに問題を解決することはできない。


 麗花の本心を見抜くこともできない。


 だから今は麗花がどうしたいかを聞きたい。俺は不純な理由で近づいて、問題を解決したかっこいい俺に溺れたくて、女の子にかっこいいと思われたくて、適当に首を突っ込んだ。


 多分俺が好きな音楽を嫌いって言われたのがムカつくっていうのもあると思うけど、俺は単純に麗花とバンドがしたい。


 結局自分のためだけど、さっきの自己犠牲で改めて分かった。俺は主人公に向いてない。俺のために、麗花の演奏を聴いてみたい。


「頼む、本心を聴かせてくれ。これでどうしてもダメならもう誘わない。頼む、麗花は本当に音楽が嫌いなのか」


 麗花は俯きながら袖で涙を拭き、浅い息を吐きながら、震えた声を出す。


「あたしは」


 麗花は少し顔を上げると、目を赤く腫らし、頬には涙の跡ができている。


 麗花は震えていて、目の端に涙を溜めていて、でもどこか違う。何かは俺には分からないけど、なんとなくそう感じる。


「あたしは音楽が嫌いじゃない! またやりたい! また、また……」


 麗花は溜めていた涙を流し、まるで子供のように泣き出す。


 悲しい顔。麗花の表情を見れば、誰が見てもそう感じるような、悲しそうな表情。


「簡単に諦めたわけない!」


 麗花は俺のベースを手に取り、弾こうとするが。


「彩花から聞いたって、私のアレも聞いたでしょ! あの日から震えて弾けない。あんたらの演奏を隣で聞いて、久しぶりにベース持ってみたけど、ベースが怖い。やっぱり怖くて弾けない。なんでか手が震えて、震えるの」


 麗花はベースにかけた手を振るわせ、泣きながらベースを床に置く。


「ごめん。やっぱり無理。無理!」


 麗花はその場に座り込み、涙を流しながら、塞ぎ込んでしまう。


 クソ! なんで、なんで、俺はここで終わらせていいのか、ダメだ。なにか、なんだ。何か、ないのか。


 俺は周りを見渡すが、いい案は思いつかず、麗花を見るが、思いつかず、ポケットに手を突っ込むが、スマホと手紙しかなく……手紙。


 水華の落とし方、じゃない! 今じゃない! 確か近いものって、ベースと近いものってなんだ? ギターか? 違う、ギターは水華だ、説得としてふさわしくない。なら、近いもの、音楽に、バンドに必要で、説得に使えて、ある意味で関係ないもの。


「ごめん、誘ってくれたのに、ごめん。無理だよ。無理!」


 麗花は部室を飛び出そうとした時、俺は手でドラムのクラッシュシンバルを勢いよく叩く。


 シンバルの音が部屋中に響き、麗花はドアの前で足を止める。


「無理ならベースは弾かなくていい」


 麗花は呆気に取られたように俺を見つめる。


 俺はドラムの椅子に座って、近くに置いておいたスティックを手に取る。


「音楽はベースだけじゃない。弾けないものは弾けない。俺の言葉で変わるなら、彩花ちゃんとかの言葉でも弾けるようになってる。なら無理に弾く必要はない。俺が頑張れって言って、麗花はベースを弾けるようになるのか?」


「無理」


「なら他に何かやってみないか? ギターならリードが空いてけど、いっそ一気に転向してドラムとかどうだ」


 ドラムでテンポの速いエイトビートを叩く。


「こんな感じで」


「でもそれじゃあ意味が」


「意味ってなんだよ。確かに麗花のベースは聞いてみたいけど、別に今じゃなくていい。本調子じゃない時に聞くより、本当にやりたくて、楽しい時のベースが聴きたい。ならそれまではバンドでもして楽しく待つ」


 俺は麗花にスティックを差し出す。


「どうだ。水華との相性はまあ、あれだし、青春アンチ曲を歌っておいてなんだが、俺と部活という青春を謳歌してみないか」


 麗花は目を赤くして、涙の跡をつけて、それでもさっきみたいな悲しい顔ではなく、笑顔で俺に笑いかける。


「アニメの主人公みたいな言い回し」


「主人公よりかっこいいだろ」


 麗花は俺が差し出したスティックを取らず、笑顔なのに涙を流す。


「え、麗花どうした。俺何か」


「違う、あんたは悪くない。嬉しかった。嬉しかったけど、ごめん。やっぱり無理」


「ならキーボードとか、他にでも」


「楽器のことじゃなくて、お金のこと。スタジオ代とか、だからごめん」


「そのことか、なら」


 あらかじめ部室に置いておいた書類の束を、机ごと麗花の前に持ってくる。


「っと。はいこれ」


 麗花は書類を上からパラパラ目を通していく。


「これって」


「いろんな制度の書類。遺族年金とか、多分もらっているのもあるだろうけど、就学支援とか、修学旅行のお金が補助されるのとかもある」


「遺族年金? 就学支援?」


「もらってないのか」


 麗花はもらっているのか、もらっていないのか、わからないといった感じで首を傾げる。


 人間限界だと視野が狭くなるっていうけど、マジかよ。


 麗花の見届け人の親戚はどうなってんだよ!


「じゃあもう全部持って帰って書類の中にある名刺に電話して、色々相談してくれ」


「名刺?」


「俺の姉の名刺。国際弁護士で優秀らしい。今はニューヨーク州の資格取って、そこを拠点にしてるけど、今ちょうど日本に来ているから」


「でもこんなに大量の書類、あんたが集めたの」


「まあ、多少な」


 本当は毎日ネットで調べまくって、役所とかに行きまくってもらいまくった。カッコつけたいから、言わないけど。


「麗花の親が税金払ってたんだから、払った分制度使って取り返してやるくらいの気

持ちで全部の書類もらってきた。そしてスタジオ代を安く済ませる方法はこれ!」 


 書類の中から、店長さんにもらったバイト募集の紙を勢いよく引っ張り出す。


 勢いよく出しすぎて、紙の端からビリっと音がする。あ、ちょっと千切れた。


「これって、店長のスタジオ?」


「そう。連絡したらまだ募集しているって」


「スタジオで働けば社割が使えるってこと」


「メイド喫茶はやめなくてもいいけど、深夜はやめた方がいい」


「これであたしも、バンドができる」


「ああ。もちろんやらなきゃいけないこと、申請やその他色々あるけど、一ヶ月以内には全てできると思う」


 麗花に向かってもう一度スティックを差し出す。


「俺らのバンドに入りませんか」


「今度は普通」


「カッコつけてないからな」


 麗花はさっきまでの笑顔とは違う、どこか落ち着いた笑顔。微笑みと言った方が近い表情で、俺が差し出したステックを掴む。


「よろしく。虎夜」


 ただそれだけの言葉。


 でも麗花の表情を見れば、それだけで十分と思える。


「よろしく。麗花」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る