(二)ー4
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歳三は江戸で奔走し、勝安房も大久保一翁も嘆願書をいてくれたらしい。その気持ちだけで十分だと、何のてらいもなく思える。むしろ、斬首という結果になったことで、やはり本人の望み通り切腹させてやるべきだったと歳三が苦悩しないか、その方が心配だ。
勇にとって歳三は、優秀な部下であり信頼できる共同経営者でもあったが、何よりもまず、気の置けない友だった。出自も出身地も同じだが、結局人として気が合う者同士だったのだろう。雑談しても話の種が尽きない。しかしそれは、多摩の話題など他愛もないものばかりだった。
付き合いはそれほど長いわけではない。考えてみれば、出会ってからまだ十年も経っていないのだ。
多摩の日野宿の豪農で、天然理心流の高弟であり勇と義兄弟の契りを結んだ佐藤彦五郎という人物がいる。九年前の早春、いつものように出稽古に赴いた佐藤家で彦五郎に、妻の弟だといって紹介されたのが歳三だった。
本人も彦五郎も明白には言わなかったが、どうやら江戸の商家で十年働き、初登りをして、そのまま雇止めになったらしい。
江戸の商家は、十歳から十五歳ぐらいまでの子供を丁稚として受け入れる。丁稚は約十年無給で働き、その後いったん故郷に返される。これを初登りというが、大事なのはそこから先だ。
初登りとは、帰郷を許すとともにいったん解雇するということだ。再雇用された者だけが店に戻って働き続けることができる。そうして手代となり、さらなる昇進を目指すわけだが問題は解雇された者だ。店名と氏名が江戸の商家の間で出回り、どこにも雇ってもらえない。そういう暗黙の了解があるらしい。
歳三は明るく気立てが良く、何よりもよく気の利く青年だった。こんな男をどうして店は手放したのか。考えられる理由は一つしかない。美男すぎて嫉妬されたか、店主の妻女か娘かが歳三に懸想し、危険視されたかだ。
歳三は天然理心流に入門し、薬の行商を始めた。そうして江戸の勇の道場にも書中顔を出すようになり、昔からいる弟子や食客連中ともすぐ打ち解けた。
今となっては歳三を侮辱する論理だったとはわかっているが、五年前の浪士募集に勇や仲間たちが応じ、それに歳三も加わった時勇はひそかに、歳三だけを案じていたのだ。他の者たちは皆、身分が低いとは言っても中間や足軽などあくまで武士身分だ。井上源三郎さえ、八王子千人同心の息子という武士の要素を持っている。
しかしそんな、武士の要素を何一つ持たなかった男が結局、あの時ともに旅立った仲間の中で唯一人生き残ったうえに最後まで勇と行をともにすることになった。
何もしてやれなかった、献身を踏みにじることばかりをしてきたという思いばかりが先に立つ。
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