(二)ー2
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多摩の中農の三男坊として生まれ、本来ならば一生部屋住みで終わりかねなかったのが、江戸の剣術道場の養子に迎えられるという僥倖に恵まれた。
そうして道場師範としての振る舞いも板についたころに、黒船が来航した。まだ若く、反面、将来の近藤家当主としての自負心が固まっていた心をそれは大きく揺り動かした。
ただの道場主で終わるのではなくいずれは天下国家の役に立つ人間になりたい。
その思いから、道場経営や自身の稽古で忙しい合間を縫って懸命に書を読み、知識を増やそうとしてきた。それは京都に上り新選組局長となってからも変わらなかった。
しかし内面を磨くには書を読むだけではもちろん不足で、優れた人間と交わることが絶対に必要だ。そういう人間と関わる機会も、ないことはなかった。山南敬助、芹沢鴨、伊東甲子太郎。
学問と見識に優れ、天下国家を弁えたそういう人間に会うと心酔し、昔からの仲間もそっちのけにする勢いでひっついてしまう。しかしやがて飽き足らなくなる。反目が生じる。なぜなら自分は、幕府の人間だからだ。
直参武士でもなんでもないが、天領に生まれ育ち長じては江戸に暮らし、将軍様の息吹を感じながら蓄積された誇りは血肉とも骨とも化している。天下国家の衣服をどれほどまとっても、いずれ違和が生じてくる。なぜそうなってしまうのだろう。天下国歌とはすなわち幕府の事ではないのか?
その矛盾が心中に立てるかすかな軋み音は、京に上って以来何度も聞いた。だが自分はそれに向き合うのではなく、その軋み音を立てさせる者を悪と認識し、殺した。
軋みの音が立ったのは、尊王論者と関わった時ばかりではない。もう三年も前の慶応元年十一月、当時は朝敵だった長州を問責する幕府の役人に、勇も同行した。
新選組局長という立場を先方に忌避されて結局広島までしか入れなかったが、長州への腹立ちとは相反する思いが一抹、胸中に生まれていたのは否定できない。初めて見る瀬戸内海や広島の風景に触発されたせいだ。
平和な時であっても、京大坂ぐらいは物見遊山で赴いたかもしれない。しかし広島や長州などに行くことは決してなかっただろう。この動乱の時勢ゆえに、かつてない世界を知ることになった。そしてここが日本の端というわけではなく、この先には九州、隣には四国がある。徳川を生来の主君とは思わない者たちが何百年も生活している土地が広々と広がっている。それも確かに「日本」なのだ。
しかし当の自分は、その観念を即叩き潰した。芹沢鴨や山南敬助を殺し時のように。何の容赦もなく。
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