(二)ー1

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 生まれてから青年の時期まで人生の大半を過ごした多摩の緑濃き風景も、若先生と呼ばれながら必死で切り盛りしていた道場の汗臭いにおいも、栄えある新選組の局長として都で過ごした絢爛たる日々も、さらには最後に歳三の顔を見たわずか二十日足らず前のあの日も、すべてが何十年も前の事のように思える。当の自分は三十四年しか生きていないというのに。

 天網恢々疎にして漏らさず。それでは自分のこれまでの行動を罪悪であったと認めることになり、従ってくれた隊士たちをも辱めることとなる。そうわかっていても、どうしてもその言葉が脳裏をよぎる。

 灯台(油を入れた皿を一定の高さに掲げる灯火具)の頼りない明かりだけが室内を照らし出す。季節はすでに初夏に入り、閉め切るのはやや辛い時期になっている。

 外気も外光も入らない密室なので運ばれる食事で大まかな時刻を知るしかないが、それからすれば今は夜なのだろう。しかし眼が冴えてまったく眠ることができない。

 締め切られたふすまの向こうにはもちろん見張りがいるが、座敷牢などではない普通の部屋だ。しかし逃亡は不可能なようにされている。

 今勇の足には足かせが嵌められている。通常の正座もあぐらもできず、足を伸ばして投げ出すよりほかにない。手は自由だがこれでは何もできない。よほど逃亡を恐れているのか、あるいは懲らしめたいのか。

 前者のつもりであれば無意味なことだ。自分にはもはや、永らえる気などないのだから。

 武士たるもの執念深くなくてはならぬ。最後まで挽回の意志を捨ててはならず、諦めは不覚悟の至り。

 それはわかっている。子供のころ、刑場に向かう前に食あたりを案じて柿を避けたという石田三成の故事を聞いて深く感動したものだ。

 だが今、自分が深く意気消沈しているのは、決して気弱なせいばかりとはいえない。逃げ口上を並べるわけではない。以前から幾度も頭の隅にちらつき、そのたびに排斥してきた一つの観念が、今やはっきりと形をとって居座っている。

 自分たちの戦いは、自分たちが戦うことは、正義ではない。自分たちが戦い続けることは、この国のためにならないのではないか。

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