第八節 過去との戦
第65話 死者の洞
「死者の
皆が集められた組合の一室。
アルベルが口に出した言葉をクライヴが反芻する。
「僕はそう呼んでるよ」
その場の全員の前で教壇に立つ教師の様に彼は説明を始めた。
「ふぅむ?名前の響きからすると
腕を組み首を傾げるのはアーベンで上位の経験を有する髭面冒険者。下手を打った謝罪のためにジョニーに酒を奢り、寝落ちした所でミケーネにバシバシ額を叩かれて毛髪の後退を推進された男だ。
彼は頑強な鎧に身を包み、背には身の丈ほどもある大剣を負っていた。一見しただけで戦闘を得意とする人物である事が分かる。彼は自身の仕事から戻ってすぐに、武器も防具も外す暇なくここへ連れてこられたのだ。
「残念ながら違うよ、バルガス君」
冒険者代表としてこの場にいるバルガスの確認に対してアルベルは首を横に振った。
「あれの中は光が意味を成さない闇に満たされている。足を踏み入れてしまえば、自分が立っているのか、それとも寝ているのか。進んでいるのか、その場で足踏みしているのかも分からなくなる。絶対に入っては駄目だよ」
太陽光が差し込んでいたのに不自然な程に内部は黒に塗り潰されていた。それは光の全てを闇が吸い込んでいたためだ。完全なる漆黒の中では平衡感覚も身体そのものの感覚も不確かになる。無策で挑めば二度と太陽を見る事は出来なくなるだろう。
「じゃあ先生、あれは何が危険なんです。近付かなければ良いってワケじゃぁないんでしょう?」
「そうだよ。うん、その通りだ」
ジョニーに問われて、アルベルは微妙な表情を浮かべて頷いた。
「少しだけ話が横に逸れるけれど、僕は五百と五十年生きている。今までこの世界では大体五十年から八十年に一回は大規模な戦争が何処かで起きてきた」
史書に残る文字だけの情報も、長い時を生きるアルベルにとっては記憶の中の事。直接的に関わった時もあれば、遥か遠くの地での出来事を伝え聞いた形もあった。十回未満ではあるが、大勢が死へと邁進する出来事などそれで十分な経験だ。
「その度に、死者の洞は現れてきたんだ」
「戦争が洞窟を生み出す、って事ですか」
「正確には違う、小規模な戦争では発生してないからね。大勢が命を散らした時にだけ、あれは僕たちの世界に現れる」
ふぅ、と一つ息を吐いてアルベルはジョニーを真っすぐ見る。
「戦争では行方不明となる人がいる。多くは脱走か、人目に付かない場所で戦死したか、大魔法に巻き込まれて消滅したか、といった所が多いだろう。でも、そうじゃない可能性が存在するんだ」
「そうじゃない可能性……?」
そうではない、とはどういう事か。ジョニーは意味が分からないと考えつつも、何か、途轍もなく嫌な予感がしていた。
「落ち着いて聞いてほしい。死者の洞からは戦争で死したにもかかわらず行方が分からなくなった者が現れる、死霊術師に操られて。命を奪うために無差別に生者を殺し始めるんだ」
「…………まさか」
ジョニーは俯く。
戦の混乱の中で亡骸が見つかっていない者は多い。それは大規模な人的損害を出した帝国と同盟に限った事ではない。聖殿もまた、戦友によって戦死が直接確認された幾らかの騎士の亡骸が回収されていないのである。
そしてその中にはジョニーが、誰よりもよく知る人物も含まれている。
含まれて、いるのだ。
「死者は死した時の姿をそのままに現れる。
「おい、おいおい、ちょっと待て!まさか三角戦争の精鋭が出てくるってのか!?」
アルベルの言葉を遮ってバルガスが声を上げる。
三角戦争とは誰ともなく呼ばれ始めた、帝国と同盟そして聖殿の三つ巴の悲惨な戦争を形容した名。地理的に逆三角形を描く対立を表すに相応しい名称と言えるだろう。三勢力の総力を挙げた衝突だ、戦場にいた者たちが一線級で無いはずがない。兵士に一人の例外もなく、皆が精鋭だったのだ。
「その通りだよ。そして彼らは間違いなくここを目指してくる。命が沢山存在する、死者の洞から一番近い場所だからね」
「それは、本当ですか」
「うん、残念ながらね」
最悪の肯定にクライヴは額に手を当てて首を横に振った。聖殿と関わりの深い彼は当然、そこにいた騎士たちの実力をよく知っている。そんな彼ら彼女らが無事に帰って来る事が出来なかった戦場、そこで対峙した相手の力が聖殿騎士たちよりも劣るなどとは思えない。聖殿に帝国に同盟、それらの精鋭全てが向かってくるというのである。
そんな者たちと戦うにはアーベンの町は明らかに貧弱なのだ。
「壊せない?」
「昔試したけど無理だね。大魔法を打ち込んでもビクともしなかった」
「殴ったら?」
「人造魔物を全力で衝突させた事もあったけど魔物の方が砕け散ったよ」
リベルの問いに対して首を横に振り、魔導士にして錬金術師は溜め息を吐く。
「悪い情報はまだある。死者が現れるまで、そんなに時間が残されていない。腕一本先ですら洞窟の中が見えない状態という事は、今にも闇が溢れようとしている証拠だ」
良い情報はまるで存在しない。だからこそアルベルは有無を言わさず、ジョニー達に町まで戻るように指示を出したのだ。
「町の人々を避難させるのは難しそう、か……。不確実な情報では納得しない者は多い、そもそもが死者の洞を説明するのが難しい。それに、周辺の小規模な村を見捨てるわけにもいかない」
顎に手を当ててクライヴは思考を巡らせる。町の人々に情報を広めるだけでも相当な労力となる、そのうえ点在する村にまで伝えて納得させて避難させるには時間が足りない。
「戦うしか、無いッスね」
ロイが覚悟を決めた顔で呟く。
周辺の村の一つには彼の実家も含まれるのだ。死者の洞から現れる者達を放置すれば確実に全員殺される。だからと言って自分の家族だけを逃がして他を見殺しにする事などロイには出来ないのだ。
「そうなるね。しかしこの状況で執政官殿が不在というのは厄介だ、町全体の統率が難しい」
アルベルは腕を組んで唸る。
アーベンはサフィン王国の町だ。
「間に合うかは分かりませんが組合名義で王都に急使を出しましょう。半日で王国を縦断できる
玉章燕とは手のひらよりも少し大きい位の体長を持つ魔物ツバメ。銀の羽を持つ、人に飼育される有益な鳥である。馬よりも遥かに速く、記憶させた場所へと情報を伝える事が可能なのだ。持たせられる物の重さにはかなり制限があるが、此度の状況を
「僕からも一筆加えよう。こういう時は『黎明の錬金術師』の名前が便利だからね」
「助かります」
世に名高き魔導士にして、世界唯一の錬金術師。そして彼は長きにわたり聖殿を支えてきた外交官でもある。そんな彼が自身の知識と経験に基づいて危機を伝えようとしているならば、それを無視できる者はいないはずだ。
「戦いに関しては僕に策がある、今まで何度か死者の洞の対応はしてきたからね。バルガス君、冒険者たちに状況を伝えてほしい」
「そりゃ良いが、逃げ出す奴らも相当数出ると思うぞ?」
「僕の名前を、黎明の二つ名を出してくれても構わない。戦いの経験は流石に必要だけれど、正直に言うと数が要る。直接戦闘に参加しなくても良い、作戦のために協力してくれればそれで十分なんだ」
「……それならヒヨッコ共が怖気づく事も無いか。仲間と一緒に手伝ってるうちに、戦いへの意識も変わるだろう。分かった、任せといてくれ!」
「うん、ありがとう」
バシンと拳と掌を打ち合わせたバルガスにアルベルは感謝を伝えた。
「あっ、オレも!オレも手伝わせてくださいッス!」
「ヒゲさん!アタシも皆を説得するの、協力するよ!」
ロイとミケーネが手を上げる。彼らにはジョニー達以外にも少なからず冒険者仲間が存在する、願い出れば協力してくれる者もいるだろう。協力者から更に情報を広めてもらえば、あっという間に町中の冒険者に伝わるはずだ。
「リーシャ君には薬の作成をお願いしたい。傷薬に強壮剤、色々と必要だ」
「はい!他の薬士にも伝えますね、必ず協力してくれるはずです。たとえ渋られても協力させてみせます!」
「ははは、頼もしいね」
胸の前でグッと拳を握る薬士の少女。頭が良い上に案外と押しの強い彼女の事だ、利益優先な薬士相手でもどうにかして協力させてしまうだろう。
「さて」
アルベルはチラリとジョニーとリベルを見る、が声を掛けたりはしない。
「じゃあ、それぞれ取り掛かってくれ。クライヴ君、行こうか」
「ええ」
彼らに促されてバルガスを先頭にリーシャ達が部屋から去っていく。しかしそこにジョニーとリベルは続かない。椅子に掛けたまま立たない彼らを見て目を伏せ、クライヴは部屋を出て扉を閉めた。
「……」
残されたジョニーは俯いたまま眉間に皺を寄せている。
万が一、万が一に、だ。彼女が自分の前に現れた時に剣を向ける事が出来るのか。自問自答しても答えは出ない。しかし
何よりも、自分以外に彼女を任せるのは我慢ならない。ジョニーはそう考えつつも同時に自分では彼女の相手が出来ないかもしれないという不安が頭の中に、胸の中に、渦巻いていた。
「ジョニー」
「分かってる」
リベルの声掛けに彼は即答する。どれだけ悩んだとしても、最愛の人の相手は自分が務めるしか無いのだ。隣の薄紫髪の少女に任せる事は不可能である。心情的なものだけではなく、それには理由が存在するのだ。
「覚悟を、決めないとな」
彼は目に強い光を宿して顔を上げる。
リベルはそんな彼をチラリと見て立ち上がり、一足先に部屋から出て行く。
一人残されたジョニーの手は、震えていた。
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