第64話 あの日

 さあさあと。

 大地を、剣を、鎧を、人を、雨が濡らす。降り注ぐうちは透明だったそれは剣に付いて赤に染まってポタリと落ちる。タッとそれが跳ねた、雫が鎧に当たったのだ。落ちた先に有った人間を打ったのだ。


 一面に人がいる、人間ひとだったが転がっている。


 予想は最悪の形で現実のものとなった。


 帝国軍と同盟軍は山脈十字路で衝突するも早々に膠着状態へと陥り、ほぼ同時に兵を聖殿へと向けたのだ。東西から挟まれる形ではあったが聖殿の騎士たちは高い実力を持っている。始めは三千が二つ、次は五千が双つ、続いて一万が二方面から。第一波を散々に蹴散らし、第二波も余裕を持って排除し、第三波もどうにか押し返した。


 しかし帝国と三王国の国力は聖殿を遥かに上回っている、倒しても斃しても将兵が押し寄せてきたのだ。聖殿騎士団の人数は一万に届かない、それでありながらも善戦は続けていた。


 だが、それも限界。

 聖殿与し易しと考えていた二つの勢力が本気になったのだ。


 第四波、その数は各三万。

 総数六万に東西から攻め込まれたのである。


 聖殿騎士団の損耗は既に甚大。序列上位、一隊を率いる者ですら何人も戦死している。この大兵力を真正面から受け止めて押し返すだけの力など、彼らには残っていなかった。


 そうなった時の選択肢など限られている。兜を脱いで剣を捨てて降伏するか、破れかぶれ玉砕覚悟で突撃するか、援軍などない絶望的な状況で籠城するか、そして希望を胸に万に一つの奇襲に命を懸けるか、だ。その中で選ぶものなど一つしかない。


 騎士ジョニー・ダルトンは西から攻め寄せる帝国軍に対する奇襲作戦の一端を任された。彼があらゆる局面でも対応できるだけの器用さを持ち、同時に一対多の戦闘に長けていたがゆえに。率いる隊もまたそれに合わせる形で組まれており、攪乱と強襲を得意とする部隊であった。


 水が大地に滲み行くかの如く敵軍をすり抜けて後方へと入り込み、前線へ物資を補給する輜重しちょう隊を根こそぎ刈り取っていく。時には敵部隊の長を密かに討ち、敵陣に不可視の存在を認識させて恐怖を伝播させた。


 帝国軍は消耗し、その進軍速度は鈍化する。士気は最低へと落ち込み、いつ軍が崩壊してもおかしくはない状態へと至った。しかし同時にジョニーの部隊も正面から衝突を続ける主力も損耗も激しく、両軍共に限界だ。


 こちらが倒れる前に相手を斃す、それしかない。

 帝国の全軍を率いる指揮官、総大将への奇襲作戦をジョニーは実行する。


 だが。

 それを許すほど、帝国軍は甘くは無かったのだ。


「ぐ……ッ」


 彼はジョニーは剣を握る手を震わせる。

 彼の周囲は死体で満ちており、既にこの場で三十人近くの命を奪っていた。


 白の装備は聖殿騎士団の特徴だ。ジョニーもまた白の軽鎧を身に付け、フード付きの長い白のコートを羽織っていた。これは上級騎士にのみ許された正装であり、個々人で全く違う装束となっている。味方には希望を与え、敵には絶望を見せる白の死神である。


 しかし、彼の周りに転がっている死体は白の鎧を身に付けていた。


 そう、彼は自らの部下の命を奪っていたのだ。

 まだ隊の指揮に慣れない頃から協力してくれた古参も、同年代で半ば友人のようだった者も、手ずから剣を教えてやった少年も。その全てがジョニーの手によって殺されていた。


 彼が幻術の類に掛かったのか?

 否、そうではなかった。


「はぁ……ッ、はぁ……ッ!傀儡師くぐつし……ッ!」


 帝国軍総大将、その二つ名は傀儡師。兵を手足の如く操り、敵を手玉に取って殲滅する非情なる戦術家だ。それが世間の評価であり、それが聖殿の持っていた情報である。


 しかしそれは不十分な認識であった。

 ジョニーは今それを自らの目で耳で、そして手で実感する事となっている。


 魔導士だったのだ、その男は。まるで人形を操るそれのように、魔法の糸で他者を傀儡とする力を持っていたのだ。自らを襲撃した者を戦力として扱える、つまりそれは奇襲戦法への最大級のカウンター能力である。


「……ッ」


 彼の隊はその術中に嵌まってしまった。奇襲を看破され、術式の罠を張られていたのだ。強い魔力を持つジョニーは無事であったがそれ以外の者は意識をそのままに身体を操られ、隊長へと襲い掛かる。


 誰も彼も、助けを求めなかった。自分よりもジョニーが生き残るべき。唯一動く事を許された口でそれを発して、殺してくれと懇願してきたのだ。


 やるしかない、それを、その願いを叶えてやるしかない。


 隊長として守るべき彼らをジョニーは自身の手で斬り、突き、殺していく。泣きはしない、そんな事をしても状況は変わらないのだ。ただただ歯を食いしばるだけである。


 だがしかし、その相手だけは。

 どうしても剣を向けられなかった、彼女だけは。


「フィオナ……ッ」


 そこには最愛の人がいた。自由にならない身体をどうにかして止めようと、しかしそれは叶わずにボロボロと涙を流しながら剣を向けている。彼女を殺す事などジョニーに出来るはずもない、自らを狙った白刃を受け止める事しか出来はしない。


「ジョニー。もう……もう良いの」

「言うなッ」


 その言葉は聞きたくない。

 だがフィオナは言葉を止めない。


「私を……」

「止めろッ、止めてくれッ」


 首を振る、ギリリと歯を噛みしめる。

 それだけは、それだけは。


「殺して」


 彼の願いは叶わず、彼女の願いは叶えられる―――






「———はッ」


 ガバッとジョニーは勢いよく上体を起こした。ゼイゼイと荒く息を吐き、額から生じる汗を腕で乱暴に拭い去る。いまの自分の状況が把握できず、彼は辺りをゆっくりと見回した。


「おや、起こしてしまったかな」


 焚火の傍で番をしながら手帳に目を通していたアルベルがジョニーに声を掛ける。彼は咥えていた煙草を取って、ふぅと白い煙を吐く。


「……先生。ああいえ、そういうわけでは」


 はははと誤魔化す様に笑って彼は頭を掻いた。


「むしろコイツのおかげで、いつもよりも良く眠れはしましたよ」


 枕として使っていた白いそれをポンポン叩く。先にリベルが引っこ抜き、指示を受けて野営地である黒焦げ原に置かれていたススキの中身だ。その質感から、リーシャはそれを枕として利用する事を思いついたのである。ふかふかでありながら良い具合の反発もあり、彼女達も快適そうにスヤスヤと寝息を立てていた。


「まだ朝までは時間がある、もう一度寝たらどうだい?」


 問われてジョニーは首を横に振った。


「また寝たら、続きを見ちまいそうなんで……」

「そうか」


 アルベルは一言だけ口に出して、見ていた手帳をパタンと閉じて懐へ納める。


「あ、そうだ。飴、食べる?」

「飴……?なんでまたそんな物を」


 菓子など冒険に持ち込むような物ではない。ジョニーは首を傾げる。


「さっき『ぷくぷく』を作った花の残りはリーシャ君にあげたんだけど、ちょっとだけ貰って手慰みに作ってみたんだよ。ほらどうぞ」


 促されるままに手を出すと透き通った琥珀色の小さな塊を渡された。焚火の光にかざすと綺麗に輝く様はまるで宝石の様である。


「……甘いですね」


 それを口へと放り込んでジョニーは一言、呟いた。






 翌朝。

 ジョニー達は東へと向かって歩を進めていた。


「いやー、しっかし野営であんなに良く眠れるなんて。リーシャちゃんの発想に大大大大感謝だね~」

「そうッスね、なんだか良い夢を見た気がするッス」

「おぉ~?どんな夢を見たのかね?さあ少年、白状したまえ。さあさあ」


 ニマニマとイヤらしい笑みを浮かべてミケーネはロイへと迫る。


「え、その、有名な冒険者になって後輩に指導してたッスけど……」

「かぁ~!つまらない、すっごいつまんないっ!そこは女の子に囲まれてる夢を見るのが年頃の男子ならば健全ってものでしょがッ!」

「ええぇ……」


 それの何処が健全なのだろうか。姉弟子の勢いに圧されながらロイは困惑する。


「おい、あんまり騒ぐな。魔物が寄って来るだろうが」

「はーい。ジョニーせんせ、ごめんなさーい」


 絶対に反省していない。相変わらずのミケーネにジョニーは呆れた。


「ん」


 そんな集団の先頭を歩いていたリベルがピタリと足を止める。


「リベルちゃん、どうしたの?」


 リーシャが彼女に問いかけた。昨日、驚愕の事実で年上と分かったが呼称は変わっていない。今まで通りで構わない、とリベルに許可されてほぼ強制されて呼び方は継続となったのである。


「なんか……変」


 リベルは首を傾げた。


「リベルの勘は馬鹿に出来んな……ミケーネ、リーシャとロイに付いてろ。先生」

「そうだね、確認に行こう。リベル君、どっちから『変』を感じる?」

「あっち」


 指さされた方向に三人は進む。

 そしてそこで不可解なものを発見した。


「洞窟……にしては、なんだこの違和感」


 平坦な草原の中でそこだけ地面が人の背丈の三倍程に大きく盛り上がっており、隆起面が裂かれたかのように洞が口を開けている。だがしかし一見しただけでそれが不可解である事が分かった。


「中、見えない」


 おおよそ腕一本。そこから先がまるで塗り潰されているかのように黒なのだ、闇で満たされているのだ。空には太陽が昇っており、多少の雲は有るが光は世界を十分に照らしている。それなのに洞窟の内部が確認できない。


「……そんな」


 頭に手を当て、アルベルは眉間に皺を寄せて首を横に振る。


「先生、どうしました?」

「戻ろう、町へ」

「え?」

「早く。急がなければ」


 アルベルは踵を返した。今まで見た事の無い彼の様子にジョニーとリベルは顔を見合わせ、一人進んでいく彼の後を小走りで追う。


「アル爺、あれなに」


 リベルが問うとアルベルは険しい表情で答えた。


「詳しくは町で、アーベンで話すよ。大勢の協力が必要だ」


 彼はそれ以上を口に出さない。

 疑問は多くある。しかし長く生きてきたアルベルが余裕の無い表情をしている以上は、あの洞窟がある事が尋常ではない事態だとは理解できた。リーシャ達の下へと戻ったジョニーは彼女達にも状況を共有する。


 そんな彼らを待つ事無く、アルベルは来た道を戻っていく。


「まさか、こんな所に現れるなんて」


 苦々しい顔をして、彼は嘆いた。

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