第34話 槍使いミケーネ

 突き、払い、くるりと回して叩き付け。

 槍の軌道は変幻自在。剣よりもずっと広い間合いを活用して、ロイが懐へと踏み込む事を許さない。槍が真に威力を発揮するのは刺突を可能とする穂先であるが、そもそも槍は長いこんだ。強固な外殻を持つ魔物を相手にする場合は話が違うが、人間を敵とするならば振り回すだけでも十分武器となるのである。


「はっ!」


 翻弄した末の鋭い突き一閃。その一撃はロイの防御をすり抜け、彼の胸当ての中心を正確にドンと打った。


「ごふッ!」


 十分に手加減された一撃であったが、それであっても強烈な衝撃が彼の身体を突き抜ける。一歩二歩と後退ったロイは、そのまま仰向けにドサッと倒れた。


「あっ、ヤバッ。ロイ君、大丈夫!?」

「げほっ、ごほっ、だ、大丈夫……ッス」


 強く咳き込みながら、彼はよろよろと立ち上がる。ミケーネは申し訳なさそうにしながらロイに肩を貸して、彼を長椅子まで連れて行く。


「ミケーネ、もう少し上手く手加減しろ。ロイみたいなヒヨッコが獣人の力で打たれたら、下手をすれば死ぬぞ」

「うぅ……ごめんなさーい」


 流石に申し訳なく思った彼女は素直にジョニーの言葉を受け止める。


 獣人とは、獣の特徴を強く持つ存在だ。正確に言うならば、獣が人間に近付いた生物である。それはつまり、魔法による強化無しの身体能力では只人ヒトを圧倒するものを持っているという事だ。


 肉体の強さは生物としての強さ。只人と敵対していた古き時代では、その力は脅威であったという。それに対抗するために生み出されたのが身体強化魔法であり、それによってようやく只人は彼ら彼女らと肩を並べる事が出来たのである。


「まったく。図体はデカくなったが、細かい技術は成長していないな」

「うぐ……っ。で、でもでもっ!魔法は頑張って上手くなったんですよ!」

「ほぉ~、頭を使う事が苦手だったお前が魔法を」

「そうです!見ててくださいよ~……っ」


 右手を前に突き出し、ミケーネは精神を集中する。んんん、と唸って身体の中の魔力を掌に集め、そしてそれを解放した。


「炎よ、盛れ!」


 虚空にボッと火炎が発し、赤々と燃える。


「ど、どーですかっ!これぞ……修行の成果……ッ!」


 ほぼ全力で魔法を発動させている事で、ミケーネの身体は小刻みに震えていた。


「うむ、中々に成長したな。と言いたかったんだが、小石程度の大きさの火じゃなぁ……」


 炎というにはあまりにも小さなそれは、今にも掻き消えそうに揺らぐ蝋燭の火程度の大きさであった。無情にも少し強めの風が吹いた事で、なけなしの魔力で発生させた火はヒュッと姿を消してしまった。


「ぐ、ぐぅぅ、まだまだ未熟ぅ……」


 その場に崩れ落ちて、ミケーネは四つ這いになる。

 一般的な獣人の例に漏れず、彼女もまた魔法を不得手としていたのだ。


「こ、これでも野営の時に便利なんですよー……」

「火打石は要らなくなるからな、荷物がちょっとだけ減る」

「そうですそうです……へへへ。でも、そのぶん疲れ……」


 ひぃひぃとヘロヘロになりながらもミケーネは笑う。


「ミケーネさん。はい、これどうぞ」

「んぐっ?」


 スッと近付いて、リーシャは細い薬瓶の中身を彼女に飲ませた。不意打ちを受けたミケーネは、促されるままにそれをゴクンと嚥下する。


「おごふっ!?」


 強烈な刺激を喉に受けて、彼女は咳いた。


「にゃっ、にゃにするのっ!」


 ミケーネはバッと立ち上がり、理不尽な攻撃をしてきた薬士の少女へと詰め寄る。その勢いに圧されて一歩二歩後退しながら、リーシャは彼女に弁明した。


「強壮剤ですよ~。ほら、ミケーネさん元気になってるっ」

「ハッ!?た、確かにっ。え、凄い。魔法使った疲労がぶっ飛んでる!」


 言われて気付いた。全身をどんよりと包んでいた疲労感は霧が晴れるように消え失せており、それどころかむしろ魔法を使う前よりも調子が良いくらい。ミケーネは驚きつつ、どの程度身体の状態が良くなったのか確かめるように、その場でピョンピョンと跳びはねる。


「お、お、おお~っ。お酒をガブッと飲んでじっくり寝た次の日くらい身体の調子がいい!」

「うーん。ミケーネさん、そういう日の体調の良さは多分まやかしですよ……?」

「そうなの!?」


 酒による眠気からの睡眠は熟睡に繋がらない。それでありながら調子がいいと感じるのは、ただの気分の問題である。人体の専門家とも言える薬士から言われて、ミケーネは跳び上がって驚く。


「ま、まあでも、いま身体の調子が良いのは本当だからっ」

「あはは、それについては疑って無いですよ。ちゃんと成分を調べたうえで薬を作ってますから」


 未知の植物を入念に観察し、それが持つ薬効や毒素を調べ、そして自分自身で効き目を確かめる。そういった事をしているリーシャは、個人の体質による違いはあったとしても摂取した人物にどんな効果が生じるのかは把握しているのだ。


「はぁ~、リーシャちゃんは凄いねぇ」


 ミケーネは少女の頭を撫でる。


「わぁ、気持ちいいです~」

「ふっふっふ、ちゃんと肉球お手入れしてるからねぇ。結構自信あるよ~」


 むにむにふにふにとした感触がリーシャの頭に伝わる。他の物では形容しがたい、癒される柔らかさだ。


「……なにしてる?」


 そんな彼女達に興味を持ったのは、暇に飽かして訓練場へとやってきたリベルだ。ジョニーはひらりと手を振って彼女に挨拶する。


「おおっ、なんかカワイイ子が!」


 小さくて人形のような少女を発見して、ミケーネは猫の目を輝かせた。と同時に彼女も撫でてあげようと飛び掛かる。


「ん」


 リベルはサッと容易く、猫を躱した。


「こら、止めろミケーネ」


 猶も突撃しようとする彼女の襟首をジョニーがとっ捕まえる。ジタバタジタバタと藻掻くものの、先生相手では分が悪いとミケーネは大人しくなった。


「ロイ。稽古、する?」

「その申し出は有難いんスけど……いたた」

「怪我?」

「さっきミケーネさんとやった時に、良いの貰っちゃって」

「ふーん。じゃあ一人でやる」


 トコトコと訓練場の端へと歩いて行こうとするリベル。


 しかし彼女を止める者がいた。


「待った!ならばアタシが相手をしてあげよう!」

「「え」」


 自信満々で言い放たれた言葉に、リーシャとロイが驚愕から思わず声を漏らす。


「あの、止めた方が……」

「ダイジョーブ、ロイ君みたいな事はしないから!」

「いやそういう事じゃ」


 止めようとする二人に対して、その意図を理解する事無くミケーネは胸を叩いた。


「やる」

「ちゃんと手加減してあげるからねっ」


 意気揚々と彼女は槍を持って肩を回す。


「槍?」

「うん、私の得物はコレ。あ、剣の方が良かった?」

「じゃあ私も槍」


 誰かが片付け忘れて転がっていた木槍をリベルは拾い上げた。


「よーっし、ではではっ」

「待て」


 手加減頑張るぞ、とリベルに歩み寄ろうとしたミケーネの肩にジョニーが手を掛ける。くるりと振り返らせて、彼は彼女の目を見た。


「悪い事は言わない、本気で行け」

「え、いやさっきジョニーせんせ、上手く手加減するようにって」

「いいから全力でやれ」


 前言を撤回する先生に釈然としない思いを抱き、怪訝そうに首を傾げながらミケーネはリベルの下へと歩んでいったのだった。

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