第32話 守るもの

 ジョニー・ダルトンは聖殿騎士である、いや騎士であった。


 困窮する者、戦の火に炙られ逃げる者、迫害される者。寄る無き人々の安住の地、それが聖殿だ。奉ずる神は存在せず、人が人を守るための組織である。自らを国とは名乗らぬ共同体なのだ。


 サフィン王国から南、大陸を十字に分ける山脈の接合点にある大きな盆地にそれは在る。その地を、集まった人々を守る者が聖殿騎士。そして彼ら彼女らが守るのは、聖殿へとやってきた者達だけではない。


 世界中で助けを求める数多の者、それを守るのもまた聖殿騎士なのだ。あるいは強大な魔物を討ち、あるいは悪逆非道の賊を捕らえる。国の境を壁とせずに助けを求むる者を救いに行く、弱者の味方なのだ。


 ジョニー・ダルトンは冒険者である。


 素性を隠して各国を探るためにそれになったのだ。騎士であり冒険者である、それが数年前までの彼の肩書であった。しかし今は騎士の職を辞し、一介の冒険者として気ままに生きている。


 彼は何かの為に剣を手にする事を、それで何かを討つ事を、騎士を辞した時に止めたのだ。


 しかし、今。


 彼の手には一振りの鉄の長剣が握られている。


「また、剣を手にする日が来るとはな」


 独り言ちる。誰にも聞こえない程に小さな声で。


 竜が咆哮する。自身に相対する者が一つ増えた事に苛立っているようだ。


「リーシャ、ロイ、さっさと逃げろ」

「ジョニーさん、でもっ」

「お、オレたちも何か―――」


 先程まで足止めが出来たのと同じように、自分達にも何かできる事があるのではないか。二人は傷を負い、竜の声に怯みながらも勇気を奮い立たせる。


 だが。


「お前らが出来る事は無い。アレを相手にしてここまで足止めした、それは見事といって良い。だが、竜と真正面からやり合うなると話が変わる。それに」


 ジョニーは二人に目を向けない、その瞳は竜を映したままだ。


「あいつは、普通じゃない」


 彼は断言する。


「「え」」


 リーシャとロイは驚愕と共に声を上げた。ジョニーに拒否された事に対してではない、鉄鎧竜の事を見て、だ。


 無茶な調合で作り出した強力な爆発と、同時に仕掛けた酸の罠。その二つで竜の両前脚はズタズタになっていた。鱗が剥げ、多少なりと肉が溶けていた。時間稼ぎは出来ていたはずだった。


 だがしかし竜は今、一歩前へと足を踏み出したのだ。


 グズグズだった肉が泡立つように動いたかと思ったら、脚にあった傷が瞬く間に塞がった。皮膚の下から新たな白色の鱗が瞬時に生え、行動不能になるであろう傷は姿を消してしまった。


「異常だ。あれが竜だったとしても、あの回復力は。普通の相手じゃない、誰かを守りながら戦える奴じゃない」

「「……ッ」」


 ジョニーの言葉の意味を理解し、若き二人は悔しそうにグッと俯く。しかしすぐに顔を上げ、いま自分がするべき行動を選択する。


「分かりました。でもジョニーさん、これを渡す位は良いですよね」


 リーシャはジョニーの手に赤色の液体が入った、細い薬瓶を握らせた。先端から少し下の部分がくびれており、その部分のガラスが内部で溶着されている。以前、彼女が彼に助けられた際に飲まされた薬と同じ構造だ。


「なんだ、コレは」

「強壮剤です、それもとびっきり強い奴。もしもの時の為にどうぞ」

「縁起でも無ぇな。ま、貰っておこう」


 フッと笑い、ジョニーはそれを懐に仕舞った。


「この剣、少しの間借りるぞ」

「あ、はいっ!安物で申し訳ないッスけど……」

「剣である事が重要なのさ、ナイフでアレとやり合うのは流石に、な」


 彼はひらひらと剣を振る。日の光を受けて輝くその刃は、ロイには何故か名剣のそれに見えた。自分が振るえばナマクラだが、師ならば竜を斃せるかもしれないと、そう思えるくらいに素晴らしい物に見えた。


「さ、行け。振り返らずに町まで走れ。クライヴの奴が防備を固め始めてるはずだ、手伝ってやってくれ」

「「はいっ!」」


 リーシャとロイが駆け出す。ジョニーも竜も気にする事なく、ひたすらに走る。


 だが一度獲物と認識した存在が逃げる事を、竜が見逃すはずがない。山脈の様に連なり立つ背中の鱗が、爆ぜる音と共に射出された。森の木々の二倍近くまで上昇したそれは空中で向きを変え、彼女達へと狙いを定める。


 が。


「何処に目ェ向けてんだ?」


 竜がその瞳を動かす。いつの間にか自身の顔の下に、もう一つ、がいた。ほんの僅かに意識を向ける対象を変えた、その瞬間に。かなりの距離を一瞬で詰めて、それはそこに入り込んだのだ。


 剣閃二つ。左と右に横倒しの弧を描く。

 竜が、鳴いた。


 剣も槍も、魔法であっても傷付かない無敵の鱗。それが易々と切り裂かれ、それどころか太く強靭な二つの前足に傷が生じた。骨に迫る程に深く肉を裂いた剣には血の一滴も付いてはいない、あまりの剣速に血が噴き出すよりも先に魔力を纏わせた刃が通り過ぎたのだ。


 ガクンと竜の体が前傾する。負傷した前脚に力が入らず、その巨体を支えられなくなったのだ。


「おっと、危ねェ」


 ジョニーは素早く後方へ跳ぶ。竜が意図せずに実行したプレス攻撃を容易に躱し、彼は再び攻撃に移ろうと剣を構えた。


 しかし、竜はそれよりも早く動いた。


 背の山脈が噴火する、いやそうなったかのように大量の鱗が一気に空に舞った。その一つ一つが空中で向きを変え、弓に引き絞られた矢の如く、たった一つの的に狙いを定める。


 雨が降ってきた、何もかもを破壊する白色の鉄雨だ。


「チッ」


 駆ける、駆ける、駆ける。

 立ち止まれば竜の鱗の雨に巻き込まれ、刻まれ潰されて肉塊になってしまうだろう。魔法による蘇生にも限度がある、元の形から変われば変わるほど復活は困難になるのだ。竜の鱗に滅茶苦茶にされたなら生き返る可能性は限りなく低くなり、食われて腹に入ってしまえば最早復活は不可能である。


 走り続け、逃げ続け、避け続ける。鉄鎧竜に近寄ろうにも、降り注ぐ鱗の雨がそれを阻む。如何にジョニーが強くとも、長剣一本でそれを凌ぎながら接近するのは無理だ。


 空中で発射を待つ鱗には限りがある。全てを回避しきれば、その時に好機が到来するはず。ひたすらに攻撃を回避しながら、彼はその時を待つ。


 しかし、鉄鎧の竜はそんなに甘くはなかった。背中の鱗が再生し、再び噴火する。撃ち放った数よりも更に多くの鱗が空中にばら撒かれた。


「そんな単純には、行かんかッ!」


 必中のタイミングで飛来した鱗を一刀の下に切り裂き、ジョニーは再び駆ける。と同時に、彼は今この状況を打開する術を思案する。少なくともただ剣で斬りかかるだけでどうにか出来る状況ではない。


 だからと言って魔法を放っても大した効果はないだろう。


 ジョニーは決して魔法が苦手ではない。だが、だからと言って殊更に得意というわけでもない。魔法だけで竜を討ち果たせるような力は無いのだ。


「くッ」


 白鉄の雨の一粒が彼の肩を掠める。ほんの僅かな接触だが当たった物の質量が大きい、彼は体勢を崩す。その一瞬の隙を竜は見逃さない。


 空で撃たれる時を待っていた鱗の全てが、一つの場所へと殺到する。猛烈な質量の滝、大地が粉砕されて濛々と土煙が立っていく。それでも鉄鱗の雨は止まず、ジョニーを完膚なきまでに破壊する。


 雨が、止んだ。

 つい一秒前の轟音と衝撃が嘘のように、巨木の膝元が静まり返る。


 竜は確信する、分不相応に自身に歯向かった愚か者の消滅を。


 だが、しかし。


 鉄鎧の竜は、その鼻先に痛みを感じた。

 ぎょろりとその瞳が動く、そして見る。そこにいる者を、いないはずの存在を。


 ジョニーは剣を振り抜いていた、斬っていた。竜の鱗を切り、肉を裂き、牙を砕き、顎を割ったのだ。体勢を崩したように見せたのは接近の妨げになる鱗の雨を除き、竜に隙を作る為だったのである。


 だが傷は鼻先だけ。長剣の刃の半分、剣で切れる範囲だけだ。


 鉄鎧竜は大口を開ける。

 射出する鱗が無くともその魔物は竜なのだ。強靭にして強力な、世界の覇者なのだ。そのあぎと一つで他の魔物を容易に殺し、その体だけで町を守る壁を粉砕出来るのである。


 目の前、鼻の先。そこにいる者を噛み砕く事など、息をするよりも簡単なこと。


 そう。


 そのはずだった。


 竜の頭の頂からプッと僅かに血が噴き出る。

 背中の山脈を縦走するように、線が走る。

 強靭な鞭のような尾が、二つに分かれた。


「あばよ」


 斬。


 竜の頭が、ジョニーが斬った僅かな切れ目から裂ける。


 裂ける、裂ける、裂ける。

 竜の正中を、一直線に衝撃が割った。


 二つに分かたれた体が自重に耐えられず、ズルリと滑る。

 ドザンと音を立てて、強靭にして凶悪な竜が倒れた。


 遠当て、という技がある。

 離れた相手に衝撃を与える技だ。それ自体は単純で、武芸を真面目に習ったならば威力や命中精度はともあれ出来るようになる。


 空閃くうせん

 遠当ての極みとも言える技。衝撃を相手に伝えて破壊する、魔力を使う事無しに相対する者の硬さを問わずに壊す事の出来る奥義だ。それをジョニーは放ったのだ。そして竜の体を、脳を、心の臓を、一太刀で両断したのである。


「はぁッ、はぁッ、ふぅ……」


 膝に手を当て、ジョニーは荒く息を吐く。その額からは汗が流れ、大地にポタポタと落ちて行く。なんとか息を整え、彼は竜に背を向けて歩き始めた。


「はー……どうにか、なったな」


 コキコキと首を鳴らして、ジョニーは安堵の溜め息を吐く。


 だが。


 ズズと彼の後ろで何かが蠢く。


「おい、嘘だろ……?」


 ジョニーはゆっくりと振り返った。


「脳と心臓を真っ二つにしたんだぞ、なんで生きてるんだ」


 ボコボコと音を立てて傷口から肉を溢れさせ、鉄鎧竜は両断された体を繋いだ。歪に一つとなった体からは自慢の鱗がボロボロと抜け落ちる。二本の後ろ足で立ち上がり、圧倒的体躯の魔物はジョニーの前に復活した。


「……チッ、しぶといヤロウだ。今度は微塵切りに―――」


 苦虫を噛み潰したような顔で彼は吐き捨てるように言う。


 が、その言葉が終わるよりも早く、竜の体がの字に曲がった。

 巨躯を支える二つの脚が大地から離れる。


 そして、吹き飛んだ。


 木々を圧し折り、大地を体で削りながら鉄鎧竜は何度か跳ねて転がっていった。


 何かが、竜がいた場所にいる。小さな小さな影だ。


「……ハッ。やっぱり、来やがったか」


 突然現れたそれを見上げて、ジョニーは笑う。いや、笑うしか無いのだ。巨体の竜を一発殴って吹っ飛ばすなど、非常識にもほどがあるのだから。


「リベル」


 呆れを内包した笑みを浮かべて、彼は頼もし過ぎる援軍の名を口に出した。少女は地に降り立ち、ジョニーへと歩み寄る。


「ちゃんとる気で、戦う覚悟、出来た?」

「お前……ほんッとうに時々『らしい』事をしたり言ったりするよな」

「何のこと?」

「ハハ、そうだよな。お前はそういう奴だよな」


 がしがしと乱暴に少女の頭を彼は撫でる。それを鬱陶しがって、リベルはジョニーの手をバシッと払いのけた。


「お、そうだ」


 懐から何かを取り出し、彼はそれを親指でピンと弾いた。クルクルと空中で数度回転したそれは彼女へと飛んでいく。少女はそれを掴み取った。


「銀貨?」

「おうよ。泥棒にはなりたくないからな、返しておくぜ」


 ニヤリとジョニーは笑う。リベルは仕方がないといった顔で、忘れ物をポケットへと仕舞い込んだ。


「そういえば」


 わざとらしく、彼は何かを思い出したような仕草をする。


「聖殿騎士団が大混乱してたって聞いたぞ。何でも序列一位、騎士団長サマがある日突然いなくなったとか」

「私には関係ない話」


 じろっと彼を見て、少女は言った。


「じゃあ」


 今度はリベルの番。特に表情を変えるでもなく、彼女はジョニーを見る。


「序列七位が急に辞めて大変だった。……ってその人が言ってたって聞いた」

「それこそ俺には関係ない話だな。それにそいつは直接団長に辞める事を伝えた、って聞いたぜ?」

「さあ?そんなの知らない」

「んじゃ、俺も知らねぇな」


 ジョニーは肩をすくめ、リベルは一つ溜息を吐いた。


「私はただのリベル」

「それじゃ、俺もただのジョニーだ」


 フッと彼は笑い、彼女は眠たげな目を向ける。


 殺しても死なない竜が咆哮する。


 ジョニーは懐から強壮剤を取り出し、その頭を弾いて飛ばして中身を飲む。


「ゲホッ、ゴホッ。リーシャの奴、マジで強烈なの渡しやがったな」


 喉を焼くような刺激を受けて、彼は咳き込んだ。


「ん」

「ほれ」


 手を差し出したリベルに、ジョニーは薬を渡した。残った中身を一息で飲み干し、彼女は瓶をポイと捨てる。


 竜が四足を全て使って駆け出した。その瞳は、ただただ敵だけを映す。


「さぁて、んじゃ行くか」

「ん、やる」


 リベルは斧を出現させて構える。ジョニーもまた、剣の切っ先を竜へと向けた。


「今日の晩御飯のために、ヤる」

「俺はァ……そうだな、今日の安酒のためにヤるか。ああ、あと」


 ニヤリと笑って冒険者は、いや、彼は少し前にもう一つの肩書を得ていた。


「配信の話のネタに、なりやがれッ!」


 配信者は咆える。


 二人は同時に大地を蹴った。

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