第30話 鉄の鱗
巨木を通り過ぎ、リーシャとロイは奥地へと足を踏み入れる。目的とする素材は薬草、毒草、茸に木の実だ。採取量はそこまでではないがそれぞれがそれぞれの成分と反応してしまうため、持ち運びに少々神経を使う物である。
「は~、そうやって採取するんスね」
慣れた手つきで薬草を摘む様子を肩越しに見て、少年は感心する。ただ引っこ抜いたり千切ったりすれば良い物ではなく、葉を潰さないように優しく持って茎を切っている。すぐに湿らせた布を切断面に当て、更に布を巻いて乾燥しないようにしながらリーシャは採取物を鞄へと入れた。
「これは葉が薬の材料になるんだけど、柔らかいから乱暴に出来ないの。それにとっても乾燥に弱いから、ひと手間掛けないとすぐに悪くなっちゃう」
「なるほど、だからこういう所に生えてるんだ」
説明を受けて、ロイは辺りを見回す。地面が湿り気を帯びている、おそらくは地下に沢の水が染みているのだろう。黒い土は栄養を蓄えており、採取した薬草以外にも多くの草があちらこちらに密集して生えていた。
「一つ聞きたいんスけど、点々と草が集まってるのは何でなんスか?生えるなら辺り全部を埋め尽くしそうなのに」
「大地の気がそこに集まってる、って
「へぇ~、勉強になるッス」
初耳の知識にロイは腕を組んで頷く。ただ漫然と冒険者をやっていたら一生聞く事の無い話、今後の依頼にも活かせそうだ、と彼は考えた。と同時に、ふと頭に疑問が生じた。
「そういえば、今まではどうしてたんスか?師匠と会うまでは奥地には来てないんスよね?」
「うん、そうだよー。そういう時の為にロイ君たちがいるんじゃない」
「あ、そうか。依頼を出してたんスね」
「そうそう。でもお金が必要だし、良い素材も欲しいから、こうやって自分で取りに来れるならその方が良いんだよ」
ふふふ、と案外と現実主義なリーシャは笑う。薬士の仕事は素材が必要であり、自分で特殊な物を手に入れるのは中々難しい。そんな時の為に、
だが彼らは薬の知識を大して持っていない。納品された植物は乱暴に引っこ抜かれた物であったり、持って帰って来るまでに品質が低下している物が殆どだ。だからこそ自分で現地へ赴いて採取できるなら、彼女は積極的にそうしているのである。
しかし以前、今回の様に素材が足りないといって慌てて採取に森に入って
「この辺り、何か見覚えあるッスね~。山へ繋がる道じゃないのに」
「遺跡に行った時に通った場所だよ。ほら、ジョニーさんが配信で荒らしさんを
「あっ、なるほど。よく覚えてるッスね、リーシャさん」
「ふふふ、こんなに沢山の薬草が生えてる場所を忘れるはずがないよ~」
ニコニコとしながらも、細めた目の奥の薄紫の瞳がギラリと輝く。よく知る薬草もあれば、見た事もない植物も存在する。どれが何の成分を持っていて何に効くのか。それを考えるだけで薬士の彼女は昂るのだ。
リーシャから教えられながら、ロイも簡単な薬草の採取を開始した。分からない時は随時質問する彼に、彼女は丁寧に教える。作業効率は時間を経るごとに向上し、昼を過ぎる頃には十分な量が集まった。
「ふぅ~、この位で良いかな」
「結構大変だったぁ……。リーシャさん、いっつもこういう事してるんスか~」
「これも薬士の仕事の一つだからね~」
リーシャは水筒からコップに水を注ぎ、慣れない作業に汗を流したロイに渡す。仕事後の一杯をグイっと飲み干し、はぁ、と彼は一息ついた。魔物が潜む森の中、のんびりと腰を下ろして休めないのが残念だ。
「ん?」
ロイは気付く、遠くで人の声がする事に。ただの会話ではなく、なにやら大声で叫んでいる様にも聞こえる。一人二人ではない、十人以上はいるのではないだろうか。
「リーシャさん」
「ロイ君?」
護衛としての役目を果たそうと、ロイは鉄の長剣を抜く。こんな森の奥で、冒険者相手に野盗が仕事をするとは思えない。となれば、なにか強力な魔物と戦っている可能性がある。
「ここから離れた方が良いかもしれない―――」
その時、何かが吼える。狼でも、熊でもない、聞いた事の無い魔物の咆哮だ。姿を見なくともそれが巨大な存在だと分かる、大気を、森を震わせる声である。
「きゃっ!?」
続いて何かが大地を叩いて破砕する。その衝撃は二人がいる場所まで届き、リーシャはよろめいた。
「ひ、ひぃぃッ!」
「あ、あわわッ」
なりふり構わずに藪を掻き分けて、男女二人の冒険者が転がり出てきた。腰が抜けている様子だが、それでも何とか遠くへ行こうと這いずり続けている。彼らを心配して、リーシャとロイは駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「どうしたんスか!?」
彼女達よりもずっと年上の冒険者たちは震えながら、問いに答える。
「ば、化け物が、化け物が出たッ!」
「依頼の品だ、確かめてくれ」
ジョニーはこぶし大に膨らんだ袋をカウンターに置く。その中には艶やかな黒い珠が沢山入っている。見た目よりも重さがあるようでドザッと音がする。
「流石、早いな。だが少し待ってくれ、
「あらら、マジか。どのくらいで戻りそうだ?」
「朝一で森に行っているから……そうだな、あと一時間もすれば帰って来るだろう」
静かに秒針を進める柱時計を確かめてクライヴは言う。
「ふーむ、微妙な時間だな。というか、なんでまた町の外へ?」
「地中から中々大きな魔石を見付けた冒険者がいてな、それの鑑定だ。ガッチリ埋まっているようで、仲間数人ではどうにもならないらしい」
「ほほぅ、中々幸運じゃねぇか、そいつら」
数人で儲けを山分けにしたとしても、しばらく仕事をしなくても暮らせる程度の金にはなる。彼らの運にあやかりたいものだ、とジョニーは笑った。
「メシはもう食っちまったし、何かする事も無ぇし……ここで待つか」
「ならば茶くらいは出そう」
そう言って受付は、奥にいる組合員に指示を出す。
その時、入口の扉が乱暴に開かれた。ベルがその音色を大きく乱す。
「た、大変ですッ!」
「どうした、そんなに慌てて。魔石に何かあったのか?」
飛び込んできたのは森に赴いていた組合員だ。彼女はゼイゼイと息を切らしており、此処まで全力で走ってきたという事が一目で分かる。クライヴは席を立ち、何事かと問う。
「も、森に、森にッ」
「落ち着け。ああ、ちょうどいい。君、茶を彼女に」
「は、はい」
ジョニーのもてなしとして淹れられた茶が、急報を携えて駆けてきた組合員へと渡される。彼女はそれを一気に飲み干して一息つき、伝えなければならない事を口に出す。
「
「なんだと!?」
予想外の情報にクライヴが驚愕する。竜が現れたのだ、驚くのも当然だ。
「あの森に鉄鎧竜だと?そんな話は今まで一度も……。む、待て、なぜ君が奥地の事を知っている。魔石が見付かったのはもっと手前だったはずだ」
「奥地から冒険者たちが逃げて来たんです。一人二人じゃありません、見た限りでも十人以上、まだまだ逃げ遅れている者がいると言っていました」
「なに?今日、森へ入る依頼を受けている者は多くなかったはずだ」
訝しんで彼は、依頼書とそれを請けた者達の名を確認する。
「森の奥地、予兆無しで竜、か」
顎に手を当て、ジョニーは呟く。彼の頭の中には、とある考えが浮かんでいた。
「はぁッ、はぁ……ッ」
またもや打ち破られる勢いで入口扉が開かれる。入ってきたのはジョニーと近しい年齢の髭面冒険者、彼とジョニーは顔見知りだ。
「おい、一つ聞きたい」
「な、なんだ……?」
「遺跡の奥の巨大な赤い魔石の付いた扉、お前らアレにちょっかい掛けたか?」
「なんでそれを!?あっ」
「バカ野郎がッ、ありゃどう見ても碌なモンじゃねえだろが!お前、何年冒険者してるんだ!?大人数引き連れて余計な事して、出したモンに対抗も出来ずに逃げ帰って来やがったか!」
「ぐ……ッ、め、面目無ぇ」
男は何も反論できず、ジョニーは溜め息を吐いた。
「クライヴ、まずいぞ。冒険者が次々と
「なんだと!?……ダルトン、お前はどうすればいいと考える」
眉間に皺を寄せながらクライヴが問う。ジョニーはすぐさま答えを出した。
「全員で荷物纏めて逃げるべきだな。ここの簡易な防壁じゃ、竜の突進を止められん。衛兵と冒険者を合わせても戦力が貧弱過ぎて森で迎え撃つのも困難だ」
「そうか……」
肩をすくめる彼の様子に、この町の権力者の一人である組合の代表者は唸る。
「君、彼らの手当てを頼む」
「はいっ」
第一報を持ち込んだ組合員と髭面の冒険者はどちらも怪我をしていた。前者は途中で転んで、後者はおそらくは竜に襲われた際に。茶運びをした組合員は彼らを奥の来客用の部屋へと連れて行った。
「…………何の真似だ」
二人だけとなった受付で、クライヴは深く深く、ジョニーに対して頭を下げていた。
「この町は王国の北の果て、完全に破壊されたなら再興は不可能だ。王国にそこまでの余裕は無い、組合も利益が見込めん以上は手を出さん」
床を見たまま、彼は言葉を続ける。
「だが、この地に住む者たちはいる。先祖伝来の畑を耕し、細々と生きている者たちが。彼らは我らの仕入れ先であり、そして客だ。商いを行う者として、彼らを見捨てる事など出来ない」
「だからなんだ、俺には関係の無い事だ」
「それは理解している」
クライヴは顔を上げ、真っすぐにジョニーを見た。
「しかし、それでも。お前を頼らせてほしいのだ、ジョニー」
「…………」
名で呼ばれた男は、己を見る者の事を睨みつける。しかしそれでも、クライヴは怯まずに助けを乞う。
「国の境に遮られずに、世界の弱き者たちを救う、聖殿の騎士であったお前を」
「分かってるのか」
睨む瞳に更なる鋭さを宿して、冒険者は低い声で言う。
「それは俺が一番嫌うやり方だ」
「分かっている、当然だ、当然理解している。それでも乞わせてくれ、助けを」
「…………断る」
深く息を吐き、彼は一言で答えを告げた。
「ジョニー」
「くどい。俺は
フイと視線をクライヴから逸らす。
その時、またもや冒険者が転がり込んできた。
「む、君、大丈夫か」
「は、はい」
新米に毛が生えた程度の歳の冒険者は、クライヴの問いに弱々しく頷く。怪我も無い様子で、どうやら鉄鎧竜とは交戦していないようだ。
「傷は無い、か。よく無事で済んだな」
「彼女達のおかげ、です。足止めしてくれなかったら、俺達は……」
ピクリと、それを聞いていた男の耳が動いた。
「彼女達?」
「薬士の女の子と剣士の、はぁはぁ……、二人、です……。そ、そうだ!まだ奥地で戦ってるはずっ、た、助けをっ」
己の身の安全が確保された若き冒険者は、見捨てる形になってしまった相手の事を思い出す。戻ったとしても自分では何もできない事を十分理解して、彼はクライヴに助けを求めた。
「ジョニー」
「…………チッ」
舌打ち一つ。
それを返事として、ジョニーは駆け出して行った。
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