第八節 覚悟

第29話 いつものお仕事

 独特の香りが部屋の中を満たしている。薬作りに必要な器具が机の上や棚の中に置かれ、格子状に仕切られていて引き出しが沢山ある薬棚の中には多種多様な素材が収められていた。


「これで良し」


 薬研やげんで乾燥させた魔物の毒袋を細かく挽き、それを薬瓶の中に納めてリーシャは口元を隠していた布と少し厚手の革手袋を外す。危険な作業がひと段落して、彼女はふぅと一息ついた。


「鎮痛薬の材料になりそうだけど量の調整が難しいし、ちょっと危険かなぁ。とりあえずは戦うための道具として探索に持って行こう」


 薬は毒、毒は薬。正しく調合すれば人の身体を癒し、故意に分量を過剰にすれば他を害する。薬士であるリーシャは自身の知識と経験によって素材の特性を見極めて用法を決め、活用しているのだ。


「ええと、組合ギルドに納品する傷薬は……」


 椅子を引いて立ち上がり、彼女は部屋の隅に置いていた蓋の無い箱の中身を確かめる。中に格子状の木板が嵌められており、小型の薬瓶を一度に多数持ち運べるようになっていた。


「うん、大丈夫。数はピッタリだね」


 ポンと手を合わせて、リーシャは頷く。その時、棚に置いていた紙が一枚、はらりと床に落ちた。いけない、いけないと彼女はそれを拾い、何の依頼書だっただろうかと内容を確認する。


「あっ、しまった、忘れてた!」


 そこに書かれていたのは別種の薬の納品依頼だった。納期は明後日、しかしリーシャの腕前であれば、それほど時間の掛かるような調合ではない。


 ただし、素材さえあれば。


「ええと、ええとっ」


 素材名が書かれた薬棚の引き出しを開ける。しかしその中には何も入っていなかった。彼女は溜め息を吐いて肩を落とず。


「うう、気を付けてたのに……。森に採りに行かないと」


 必要な素材を手近な紙に書き記す。不足しているのは二種類の植物。その内の一つは町の店で購入が可能だが、もう一方は用途が限られているため店での扱いが無く、自分で採取に向かわなくてはならない。


 在庫管理を怠けた過去の自分をいつまでも恨んでいても仕方がないとリーシャは気持ちを切り替え、組合へと納品する傷薬を詰めた箱を持って部屋を出た。


 彼女の借家は商人組合からさほど離れておらず、町の中心に近い場所にある。大通りから一本奥に入ってはいるが利便性も治安も良い所であり、少女の一人住まいとしては中々に広い家だ。疫病への備えとなる薬士という生業を持つ彼女に、組合が特別に仕立てた住居である。


 歩く度に箱の中の瓶ががちゃがちゃと音を立てる。よいしょよいしょと苦労しながら、リーシャは納品先の扉を開けた。カランコロンと、ベルが客の到来を告げる。


「おはようございま~す。ご依頼いただいていた傷薬の納品に来ました~」


 挨拶と用件を告げて、彼女は受付へと辿り着いた。


「リーシャ、お疲れさん」

「あ、ジョニーさん、おはようございますっ」


 カウンターに箱をゆっくりと置いて、リーシャはジョニーに挨拶する。彼の手には既に受付印が押された一枚の依頼書があった。


「探索以外のお仕事ですか?」

「ああ。探索はどうしても数日掛かりになっちまうからな。たまには軽い依頼を、と思ってよ」


 そう言ってジョニーはリーシャに依頼書を見せる。そこには北の遠浅の海に生息する貝が生み出す、特殊な力を持った宝石の採取依頼が記載されていた。難易度としてはそれほどではない、おそらくは昼過ぎには採取を終えて彼は帰還するだろう。


「数量ピッタリですね。いつもありがとうございます、リーシャさん」

「良かった~。あの、もう一つ依頼されていた薬についてなんですが材料を切らしてしまって。これから森で採取してから作るので、納期ギリギリになりそうです……」


 クライヴから礼を貰っておきながら、返すものが謝罪となってリーシャは申し訳なさそうにする。


「そうでしたか。貴女には常々お世話になっていますので、多少の納期遅れであれば目を瞑りますが」

「いえっ、お仕事ですからちゃんとやります!」


 有難い申し出に甘えることなく、少女は信頼にこたえようと意気を吐いた。


「若いのに偉いな、リーシャ」

「その言い方はおじさん臭いですよ、ジョニーさん」

「む……。面と向かって言われると中々クルものがあるな……」


 真正面から言葉で鋭く突かれて、ジョニーはほんの少し傷付く。そんな彼の反応を見て、リーシャはくすくすと笑った。


「こんちはー」


 入口扉のベルが鳴る、来客だ。


「あ、師匠、それにリーシャさんも。おはようございますッス」


 先んじて室内にいた二人に気付き、腰に鉄の長剣を佩いた少年はペコリと頭を下げる。


「おうロイ、おはようさん」

「おはよう、ロイ君」


 ジョニーは片手を軽く上げて、リーシャは微笑んで彼に挨拶を返した。少年は二人へと歩み寄る。


「依頼探しか」

「はい、師匠の探索に付いていくばっかりじゃ生活出来ないッスから」


 でも大した依頼は請けられないけど、と彼は頭を掻きながら言葉を続ける。そんな彼の顔を見て、リーシャは何かを閃いた様子でポンと手を叩いた。


「そうだっ。ロイ君、ちょっと頼みたい事があるんだけど……」

「え、なんスか?」

「これから森の奥地に採取に行くの、だから護衛を頼みたくって」

「っ!了解ッス、任せて下さい!」


 初めて依頼人から直接依頼をされて、ロイは驚きつつも背筋を伸ばしてドンと自身の胸を叩く。しかし気合を入れ過ぎてダメージを受け、彼はゲホゴホと咳をした。


「ったく、そのザマで大丈夫かぁ?ちゃんと守れよ」

「ちょ、ちょっと不安もありますけど頑張りますッス!」

「こらこら、依頼主の前で不安とか言うなよ、お前」

「あ、しまった!?リ、リーシャさんっ、絶対に守りますからご安心をっ」

「ふふっ、分かってるよ。よろしくお願いしますっ」


 師匠から注意をされてロイは焦りに焦る。リーシャは少し冗談めかして、依頼人として彼に頭を下げた。


「ふむ、交渉は成立したようですね。話している内に簡易で依頼書を作りましたのでリーシャさんは報酬額を、ロイさんは受任サインをお願いします」

「「分かりました」」


 二人は同時に返事をして、それぞれ依頼書にペンを走らせる。


「あっ、そうだ。ジョニーさん、リベルちゃん見かけてませんか?ここしばらく姿を見ていなくて。新しい料理をご馳走したいんです」

「そういえばオレも気になってたんスよ。何回か稽古つけてもらってた一方的にボコられたんで、お礼に何か出来ないか聞こうと思ってたんで」

「彼女は強力な魔物の素材……というよりも死骸を組合に押し付けてきた。いつの間にかいなくなってしまって、対価を支払えていない。ダルトン、彼女を連れてこい」


 三人は首輪役の冒険者へと質問を投げかけた。


「俺が知るわけがないだろ。あいつは強い人間や魔物を探して旅してる、どうせこの町でそれが見つからずに次の町にでも行ったんだろうよ」


 ジョニーはやれやれと肩をすくめる。


「そうですか……。ちゃんとお別れしたかったな……」

「お礼言いたかったッス」

「支払いが出来んとなると問題だな、さてどうするか」


 三者三様に少女の事を考えて、自分の出来なかった事を嘆いて俯いた。


「ま、平和になって良い事だ。縁があればまた会う事もあるだろうよ」


 お役御免となった男は苦難からの解放を祝って笑う。


「師匠、薄情すぎるッスよ」

「じゃあ次にあいつが来たら、お前が面倒見ろよ?」

「さ、さーてっ!そろそろ行きましょう、リーシャさん!」


 ロイは無茶無謀な要求を華麗に躱して依頼主を促す。リーシャは苦笑し、ジョニーとクライヴに会釈して出口へと歩いていった。彼女達を見送り、ジョニーもまた自身が請けた依頼の地へと向かう。

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