第28話 頂と失望

≪ジョニーさん、こんばんおおおっ、絶景!≫

≪山の上?すっげぇ見晴らし良いじゃん!≫

「お、来たな。暇人ども」


 風をしのげる大岩の横で野営の準備を済ませた所で、異世界の住人たちがやってきた。彼らは自身の持つ端末から見える異世界の景色に感嘆の声を上げる。


 鼠と蜂の大軍に襲われたのち、ジョニーとリベルは無事に山の頂に至っていた。道中の地図作成に時間がかかった事で今は黄昏時だ。まだ眺望を楽しめる程に明るい周囲も、もうしばらくしたら夜の闇に沈んでいく事だろう。


≪それは……昆虫の腹、でしょうか?≫

「お、流石は先生、よく分かったな」

≪うげ、虫ッ!?≫

「蜂、私と同じくらいの大きさ」

≪リベルたんと同じ大きさとなると……恐ろしいでござるなぁ≫


 虫嫌いな視聴者は総毛立ち、そうでない者もただでさえ危険な蜂が巨大化した姿を思い浮かべて身を震わせた。彼らが恐怖する様を笑いながら、ジョニーは毒針を除去して殻に割れ目を入れた蜂の腹を焚火に放る。


≪というか、虫って美味しいですぅ?≫

「ん?まあそこそこ、ってトコだな。猪やら鹿やらの肉があるならそっちを食うが、別に嫌って避ける程マズいモンでもない」

≪うげぇ、旨くても絶対にイヤッ、食うくらいなら餓死する方がマシッ≫

≪てか、リベルちゃんは良いのかよ、晩飯がそんなんで≫

「……?」


 視聴者の問いの意味が分からない様子で、リベルは首を傾げた。


「食えれば何でもいいって奴だぞ、コイツ」

「そこまでじゃない」

「戦ってる最中に蜂を解体して、生で食ってた奴が何を言うか」

≪生!?虫を……なま、ヴォエッ≫

≪ひぎいやぁっ、鳥肌が立つだろが!≫


 彼女の蛮行が明らかとなり、異世界の住人達は阿鼻叫喚の渦に叩き落される。


「虫、食べない?」

≪私の地元では蝗を佃煮で食べたりしますが、一般的な食材ではありませんね。別の国では貴重な食材として常食されている事もありますが。≫

「美味しいのに」


 そう言ってリベルは火に入れる前の蜂の腹に手を伸ばす。その手をバシンと叩き落として、ジョニーは食材を焚火の中へ脱出させた。


「調理前の物を食おうとするな」

「食べられるから大丈夫」

「歩けるから問題無し、で崖を進もうとするような奴のンな言葉で納得するわけ無いだろが」

≪そもそも崖は歩けないんでござるが……≫


 肩をすくめる配信者と困惑する視聴者。そんな両者の事など気にせず、岩に腰掛けているリベルは足をプラプラさせて退屈そうに景色を眺めている。登ってきた山の肌を辿っていくと麓に広がる森に繋がり、その中の所々に石造りの遺跡の姿が見える。


 奥地との境である巨木を見付けると、その先にはアーベンの町があった。山頂から見える人々の住処は広がる迷宮領域と比べるとあまりにも小さく、人の背丈の二倍程度の高さしかない防壁は意味を成さないと思えるほどに貧弱だ。


 この地が王国の中でも端の端、人よりも魔物が主たる住人である地という事がよく分かる。


「ほれ」

「ん」


 鍋で煮出した茶をジョニーはコップに注ぎ、リベルへと差し出した。受け取った彼女は一口、それをコクリと飲んだ。


「これ、リーシャの」

「身体の疲労に良いんだとよ」


 稽古の時に飲んだお茶である。試作ではあったが、稽古で疲れるであろうジョニー達の事を考えて作ったものだったのだ。リベルはもう一口、それを口に含む。


≪リーシャちゃんのお茶ッ、どんな味?≫

「おいしい」

≪味を教えて下さい……≫

「すっきりしてる」

≪ダメだっ、ジョニキ、代わりに食レポ!説明しろ!≫

「あァん?そうだな……」


 異世界人たちに乞われて、ジョニーは味を伝える事を意識して茶を飲んだ。ふぅむと唸って、彼は少し考えてから説明する。


「色味はこんな感じで薄い緑色だ。渋みは殆どない、リベルの言う通りに飲み口はスッキリだな。ほのかに甘みがあって、香りは……そうだな、桃が思い浮かぶ感じだな」

≪お~、なんだかおいしそうですぅ≫

≪説明がお上手ですね、ジョニーさん。≫

「まあ、この程度を言葉や文章に出来なかったら探索依頼の報告なんぞ不可能だからな。森を抜けると山があって山頂から町が見えましたー、じゃ報告にならん」

≪それは確かに≫


 当然だ、とジョニーは鼻で笑った。


「ジョニー」


 プラプラさせていた足で、リベルが彼の腕を軽く突く。


「声を掛けられれば分かる、足で突くんじゃない。少し早いが、まあもう良いだろう」


 そう言ってジョニーは焚火の中から蜂の腹を取り出した。赤褐色と黒だった殻は熱を加えられて鮮やかな赤色に変化し、割れ目から覗く身は真っ白だ。染み出る水分が殻に触れてジュウと蒸発し、香ばしくも甘い香りを周囲に漂わせる。


赤山蜂ロトベルクビーネの腹焼き、完成だ」

「なにそれ」

「料理名があるとサマになるかと思ってな」

「焚火に入れて焼いただけ、私でも出来る」

「ぐっ。生で食ってた奴が何を言うか」


 配信を見ている視聴者向けに恰好を付けたジョニー。リベルの尤もな言葉を受けて少しだけ傷付き、何の効果も発揮しない事を理解しながらも彼女に反撃の言葉を吐いた。


≪虫だけど旨そうッ、悔しい、でもお腹が鳴るぅッ!≫

≪海老みたいですぅ≫

≪伊勢海老が比較にならない程に大きな海老と考えると……でも蜂なんですよね≫


 これは虫である、蜂である。その先入観さえ取り払う事が出来れば、ジョニー達が食べようとしている物は魅力的な食材だと認識できる。しかしその先入観が頑強で、中々都合よく視聴者たちの脳内から消えてはくれなかった。


「コイツについても説明した方が良いか?」

≪そうですね、お願いします。≫

「任せとけ」


 得意げにニッと笑って、ジョニーは焼かれて脆くなった蜂の殻をナイフで砕き割る。中身に刃を入れるとプチュリと小さな音がして弾力ある身が震えた。切り分けていくと中心部からトロリとクリーム状の液体が滴る。完全には火が入り切っていないが元々生でも食べられる食材だ、この程度ならば問題は無いだろう。


 雑に八つに切り分けた身の内の一つにナイフを突き立てて持ち上げ、ジョニーはそれにガブリと噛みついた。咀嚼嚥下してから、彼は感想を口に出す。


「弾力はあるが柔らかくて僅かに甘みがある、中心のまだ液状の部分は更に甘いがくどくは無い。焼いた殻の香ばしさで燻製みたいな風味が付いてて、酒が進みそう……ああクソ、なんでここに酒が無いんだよ」

≪わあ、ジョニキが自分の食レポで自滅してやがる、ザマァ≫


 チッと舌打ちするジョニーの様子を見て、視聴者たちは笑った。


「もぎゅもぎゅ」


 そんな彼の隣でリベルは素手で蜂の身を持って齧り付いている。切り分けていないそれは彼女の小さな口に不釣り合いな大きさだが、リベルは口の周りが汚れる事など気にせずにドンドンと食べ進めていく。


≪リベルちゃん、食べっぷりが気持ち良いですぅ≫

≪もっと一杯食べさせてあげたくなるでござるなぁ≫

「ごくん。何かくれる?」

≪アアア、これでご飯どうぞッ!≫


 空中に出現した銀貨が、ちゃりんと一枚地面に落ちた。


「お、なげぜにありがとな」

≪待ったッ、それはリベルちゃんの!盗むなッ!≫

「この配信で得たモンは俺の物だ」

「泥棒、良くない」

≪そーだそーだッ、リベルちゃんの言う通りッ!≫

「うるせえうるせえ、分かったよ」


 両者からの苦情を受けてジョニーは得た収入を彼女に渡す。なげぜにを貰ったリベルはそれを自身の脇に置いて、残りのご飯を食べ終えた。


 それからしばらく今日の探索での大立ち回りなどを駄弁って、彼はいつもの挨拶で配信を締める。


「チャンネル登録、高評価、よろしくな」

≪ジョニキ、元気でなー≫

≪リベルたんも息災で!≫

≪次の配信も楽しみにしております。≫


 窓がフッと消失し、今日の配信は終了したのだった。






 ジョニーは使ったコップを水の魔法で洗う。蜂の殻は高火力の火の魔法を生じさせて、燃焼させて灰に変えた。彼は蜂の身の油が付いたナイフを丁寧に洗っていく。


「ジョニー」

「なんだ」


 頭上からリベルの声が聞こえる。椅子代わりにしていた岩の上に立ったようだ。


「ここなら誰にも迷惑掛からない」

「何の話だ」


 ブオンと何かが風を切る轟音が生じる。


「分かってるでしょ」


 トンと彼女は岩から飛び降りて数歩進み、リベルは振り返る。それと同時に、ジョニーの前髪を何かが揺らした。彼はゆっくりと顔を上げる。


 そこには。


 斧の先端の槍の穂があった。


「分からんな」


 ジョニーはリベルの目を真っすぐ見て、そう言った。

 彼女の赤の瞳が、怪しく光る。


「戦おう、最後まで」

「嫌だね」


 即答。リベルの望みをにべもなく断った。

 彼女の目に失望の色が差す。


「なんで?」

った、殺られたは御免だ」

「…………そう」


 ジョニーの答えに、リベルは斧を光の粒に変えて消滅させる。要望を断られた彼女は岩に背を預けて座って目を瞑り、あっという間に眠ってしまった。それを確認したジョニーもまた、座った姿勢のまま身体を休める。


 翌日。


 彼が目を覚ますと、リベルは姿を消していた。

 貰った銀貨を岩の上に残して。

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