第26話 木剣試合
木剣の切っ先を向けるリベルに対し、手にある剣で自身の肩をトントンと叩くジョニー。少女は眠たげな目でありながらも眼光鋭く相手を見、年長の男は面倒臭げに嫌そうな顔をする。
「手伝った、だから勝負」
「どういう理屈だ」
「お礼?」
「飯を奢ってやるから、それで手を打て」
「
懐柔は一瞬で失敗し、ジョニーは溜め息を吐く。戦闘に関してこうなったリベルは、何をどうしても意思を曲げる事は無いと彼はよく知っていた。相手にせずに背中を見せれば、次の瞬間に飛び掛かって襲ってくるのは明白である。彼女に常識などという物は期待してはいけないのだ。
「……仕方ねぇな」
乱暴に頭を掻き、ジョニーはリベルへと歩み寄る。
「師匠、頑張ってくださいっ!」
「あーはいはい。適当にやるから離れてろ」
応援するロイをシッシッと虫でも退けるように追い払った。
ジョニーとリベルは木剣を手にして対峙した。ロイの稽古とは全く異なり、まるでどちらも抜き身の剣を手にしているかのように一瞬で空気が張り詰める。ロイとリーシャのみならず偶然居合わせた冒険者たちもまた、その緊張に呑み込まれた。
リベルは先程とは違い、片手で剣を軽く上げてジョニーを見ている。構えというには緩すぎるが、少なくともジョニーを相手するのにそれが必要と考えているという事だ。
対するジョニーは木剣を両手で持ち、切っ先をリベルに向ける。物臭でいい加減。そんな彼はそこにはおらず、戦いへと本気で向き合う冒険者の姿があった。
チリリと、ひりつくような空気が満ちる。ジョニーとリベルは、相手の動きを僅かでも逃さぬように警戒する。瞬き一つ、息一つ、それですら初手の隙になると理解しているのだ。
消えた。
そう表現する事しか出来ない、リベルがジョニーの視界から消失した。
右足半歩。ジョニーは咄嗟に身体を動かす。
リベルは、そこにいた。姿勢を低くして数歩の距離を一足飛びで縮め、右手に握る剣で突きを放ったのだ。ジョニーの胴を狙った一撃は体捌きによって回避され、かなりの前傾姿勢で突っ込んだ彼女は隙だらけとなる。
彼がそれを逃すわけがない。ジョニーはリベルの首目掛けて剣を振り下ろす。突撃の姿勢からでは回避は不可能、急所への一撃で勝負は一瞬のうちに決する。
かに思えた。
左手を大地に付ける、そして握る。五指が石造りの地面を破壊して食い込み、そこを支点としてリベルの身体が時計回りに百八十度旋回した。驚異的な腕力を使って、突撃の勢いを無理やりに回転運動へ変換したのだ。
ジョニーの剣は空を切る。対してリベルは反撃に出た。
大地を蹴り、右手に握る剣を下から上へと振る。彼女が狙うのはジョニーの首だ。木剣の切っ先が超高速で地面を削り、先端にボッと炎が生じた。
「ぬぅッ!」
強化魔法を漲らせて両脚と上体に力を込め、ジョニーは身体を後方へと無理やりに退く。下がる彼の頭部に、リベルの豪速の剣が迫る。
「はずれた」
ギリギリで身を反らせたジョニー。先端に炎を生じさせた剣は彼の顎スレスレを通り過ぎる。必中と言える攻撃を回避され、リベルは少し驚いた。ジョニーは身体を捩って跳び、体勢を整えて彼女から距離を取る。
斬り、突き、薙ぐ。
避け、躱し、回避する。
二人はまるで演武でもしているかのようだ。どちらも相手の剣を受ける事はせず、それでいて正確に隙を突く。絶対命中の一撃をも回避し、ジョニーとリベルは戦いを継続する。
ジョニーは理解していた。相手の剣をまともに受け止めたら自身の得物が破壊される事を。どれだけ体勢が崩れた状態であったとしても、苦し紛れの攻撃であったとしても、それは常人の剣を遥かに超える猛獣の一撃なのだ。
リベルはよく知っていた。相手の剣を受けたなら、その一瞬を切っ掛けとして畳みかけられてしまう事を。どれだけ押していようが、如何に手数で勝り翻弄しようが、衝突したならば覆されてしまう可能性があるのだ。
互いに相手を知るからこそ、相手の出方を読む事が出来る。しかしそれ故に、どちらも相手を倒せない。足を止め、動きを鈍らせれば一撃を貰う。それを理解しているからこそ、ジョニーもリベルも攻撃の手を止めないのだ。
だが、それをいつまでも続ける気は無い。
仕掛けたのは、ジョニーだった。
「ふっ」
鋭く突く。狙うのはリベルの顔面だ。
その攻撃に対して彼女がどう出るか、彼はそれを読む。
身体を低く沈ませて回避、と同時に突撃。狙うのは足。剣で薙いで体勢を崩し、飛び掛かって首を斬る。リベルはそう来るとジョニーは確信し、相手の動きを見るよりも先にそれを阻止する。
「ッ」
下から上へ、目視不可の神速の蹴りが放たれた。そしてそれは正確に、完全にリベルの顎に突き刺さる。衝撃は彼女の脳天へと突き抜け、軽いその身体を宙に浮かせて吹き飛ばした。
おお、と試合を観る冒険者たちの口から声が漏れる。リベルの小さな身体に加わった力は、彼女を己の背丈の三倍以上にまで浮かび上がらせた。
勝負あり。誰もがそう思った。
いや、一人だけそう考えていない者がいる。
ジョニーだ。
彼は剣を構え、上空へと跳んだリベルを待ち構える。くるり、と。薄紫色の髪の少女が宙で後方に一回転する。彼女は眼下のジョニーに目を向けた。
宙に浮いたなら、次は落下する。周囲の者達はそう考えた。
しかし。
「えっ」
リーシャの口から驚きの声が漏れる。
リベルは逆さの状態で一瞬だけ静止したのだ。まるでそこに見えない天井があるかのように両足で宙を踏んだのである。眠たげだった少女の目はパチリと開かれ、その表情には僅かな笑みが浮かぶ。
彼女はグッと身体を縮め、そして地面へと真っ逆さまに、跳んだ。
木剣を振りかぶる。その剣の身に魔力が集中し、炎を纏ったかのように赤く赤く輝く。周囲の空気が魔力の集中に引き摺られて風が生じる。リーシャの髪が風に靡き、椅子に置いていたコップが落ちた。リベルが砕いた地面の欠片が宙へと吸われ、彼女の持つ剣に当たって塵となる。
ジョニーもまた、脇構えにした剣に魔力を伝わせる。リベルのそれとは違って静かに、されど強く力が宿り、森を駆け抜ける風を思わせる深い緑に刃が光る。僅かたりとも漏れ出ない魔の力は剣の身の中で渦を巻き、その様はまるで旋風の巣だ。
赤と緑、二つの刃が空中で衝突する。雷鳴のような、凄まじい音が訓練場に響いた。 両者の力が一点に集中し、生じた衝撃波が地面を砕く。
「うわぁっ!?」
ロイは長椅子から転げ落ちて叫んだ。周囲の冒険者たちもまた身を屈め、ジョニーとリベルの戦いの巻き添えにならないように自身を守る。余裕を持って二人の試合を観られるような者は、この場にはいなかった。
剣を持つ者はどちらも決して譲らない。相手に力負けしてしまえば、確実に自身の身を斬り裂かれてしまうからだ。
交差する二つの刃は更に輝きを強くする。同時に、生じていた雷声もまた大きく響く。衝撃波は更に地面を破壊し、ジョニーの足が地面を踏み砕く。
パァン、と。
何かが爆ぜた高い音が大気を震わせた。
風も衝撃も、一瞬のうちに消滅した。自身の身を守っていた観衆たちは、おそるおそる状況を確認する。
ジョニーは、剣を振り抜いていた。
だが、リベルもまた同じく剣を地面まで到達させている。
しかしどちらも。
傷を負ってはいなかった。
木剣の刃が無くなっている。二人のあまりの力に耐えきれずに、折れるを通り越して木っ端微塵に爆ぜた上に燃焼して消滅したのだ。それ故にジョニーもリベルも、相手に攻撃を到達させられなかったのである。
右手を握って拳を作る。
左足で一歩踏み込んで相手の腹を目掛けて、全開の力を込めてそれを―――
「これ以上はやらねぇぞ」
ジョニーが言った。リベルは殴りつけようとした前傾姿勢のまま、その動きを停止する。
「……ダメ?」
「ダメだ」
上目遣いで問う彼女に対して、彼は一言だけで答えを告げた。
「…………残念」
元の眠たげな目に戻ったリベルは拳を解く。そんな彼女のもう一方の手には、いつの間にか出現させた
拍手が起きる。二人の凄絶な試合への、居合わせた者達からの賛辞だ。まだまだ経験の少ない者ばかりのアーベンの冒険者たちに、非常に上質な見取り稽古を経験させたのである。
ジョニーは肩をすくめ、リベルは欲求不満な様子で地面の瓦礫を蹴り飛ばした。
「それ、直しておけよ」
彼女によって壊された地面を指す。
「ジョニーも壊した」
「お前が無理やり戦わせたせいだろ」
「ぶう」
「鳴くな」
どうせ直す事になったなら良いだろう。そんな感覚でリベルは。
「えいっ」
再び握った拳を振るい、十数歩先にある壁を破壊して蜘蛛の巣を作り上げた。八つ当たりも甚だしい蛮行である。気持ちを抑える事無く行動する彼女の頭をジョニーはペシンと叩いた。
こうして突然の
なお、壊した木剣はジョニーが弁償する事となったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます