第七節 強者
第25話 斧使いリベル
「よっ」
軽い掛け声と共に途轍もない重量の斧が振り抜かれる。右から左へ袈裟に斬った刃の勢いを使って回転し、今度は右から左へ切り上げた。豪斧が風を切り裂き、猛烈な音が訓練場に響く。
「せい」
頭上で斧を指だけでくるりと一回転させ、振り下ろす。当たるスレスレで刃を停止させたにもかかわらず、石造りの地面がバガッと音を立てて破砕された。あまりにも強い斬撃の勢いに、空気が圧縮されて叩きつけられたのだ。
「そそそいっ」
突き、突き、突き。連続の刺突だが速すぎる。常人ではたった一度の攻撃としか認識できない程の速度だ。それを巨大な大斧で、しかも右腕一本で行っている。小さいながら尋常ならざる身体能力、その姿は異常の塊である。
「……すげぇ。なんだよ、あの子」
「はぁ~、あんなに小っちゃいのに凄い動きだね」
訓練場に居合わせた若い冒険者たちが、あんぐりと口を開けて彼女の事を見ていた。自分達が木剣片手に汗を流している隣で息一つ切らさず、汗の一滴も散らせずに少女が巨大な武器を振り回しているのだ。彼ら彼女らが呆けてしまうのも当然である。
「休憩」
動き回っていたかと思ったら突然ポイと斧を放って、リベルは訓練を終了した。彼女の得物はズドンと地面を破壊し、その後に光の粒となって消え失せる。
「お疲れさま、リベルちゃん」
「ん」
リーシャに差し出されたコップを受け取り、長椅子に掛ける彼女の隣にトスンと腰を下ろす。貰った飲み物を一気に飲み干して、リベルは首を傾げた。
「……お茶?なんか違う」
「あ、分かる?
「良いと思う」
水筒からコップに注がれる緑色の茶を見ながらリベルは答えた。二杯目をクピクピと少しずつ飲みながら、彼女は地道な稽古をしている師弟を眺める。
「剣の振りが遅い、隙だらけだ」
「がふっ」
疲れから緩慢になった攻撃の間を突かれ、ロイは胴を打たれた。手加減されたとはいえジョニーの一撃を食らって、彼はよろける。
「ぐっ、まだまだっ」
だがロイは倒れない。日々の稽古を通して、彼は少しずつではあるが冒険者としての強さを得始めているのだ。
「威勢は良いが実力が伴ってないんじゃな」
「あ痛ッ」
スコーンと良い音がした。がむしゃらに打ち込んだ事で大きな隙が生まれ、素早い攻撃を脳天に受けてしまったのだ。悶絶したロイはその場に蹲ろうとしたが、以前蹴り飛ばされた事を思い出して何とか耐えた。
「お、学習してるじゃないか」
指導をしっかりと経験として身にしている若者に感心して、ジョニーはニヤリと笑う。と同時に彼は、動きを止めた弟子の隙を見逃さない。
「が、まだまだだ」
「あっ」
ジョニーの木剣に搦め取られるようにロイの得物が手から奪われる。弾かれた剣は回転しながら飛んでいく。その先には、軽食と言うには大きすぎる
「危ない!」
それに気付いたロイは叫ぶ。だが食事に夢中なリベルの耳には入っておらず、彼女のために三杯目の茶を用意しようとカゴに視線を落としているリーシャも気付いていない。
木剣は鋭い放物線を描く。それは狙って投擲したのと変わらない程の正確さで、リベルの頭部目掛けて飛来する。
当たる。誰もがそう思った、その瞬間。
「ん」
人差し指と中指。立てた二つの指で刃部分を挟み込む形で、少女はいとも簡単に木剣を受け止めた。一連の流れの中で彼女は一度も顔を上げておらず、当然ながら自らに向かって飛んでくる物を認識していないはずであった。であるにもかかわらず、リベルは叩き落すでも躱すでもなく、指だけで剣を防いだのだ。
「わっ、リベルちゃん、大丈夫?」
「ん、問題ない」
一足遅れて状況を認識したリーシャが驚く。彼女の心配に対してリベルは事も無げに答えた。彼女のそんな様子を見て、ジョニーは自身が持っていた木剣をロイに向かってポンと投げる。
「わっ、とと」
「リベル、交代だ。次はお前が稽古を付けてやれ」
「なんで」
「俺とばかりやり合ってちゃ癖が付くからな。たまには別のと打ち合うべきだ」
自分の番はもう終わりと、ジョニーはロイに背を向けてリベルへと歩み寄る。対する斧使いの少女は、随分と不満げな顔で彼を見ていた。
「私の意思」
「そんなモンは知らん」
「ぼーじゃくぶじん」
「お前にだけは言われたくない言葉だな」
ジョニーは肩をすくめてハッと鼻で笑う。
「……しかたない」
丸パンサンドの最後の一かけらを口に放り込み、リベルは飛び降りるような仕草で椅子から立ち上がった。ジョニーは彼女とすれ違いざまに小声で話す。
「殺すなよ」
「なんで」
「訓練を怖がるようになるだろうからな」
「すぐ蘇生できる」
「死に癖が付くと実戦に悪影響を与える、絶対にやるんじゃないぞ。ああそれと、腕やら足やら斬り飛ばすなよ」
「すぐ治せる」
「食っても吐けるから大丈夫、とはならんだろ。見える傷は治っても斬られた経験は残るんだよ。いいか、冗談じゃないからな。手加減……というか全力で力を抜け」
力を抜く事に力を入れろという、一見すると矛盾する指示。それはまともに戦うなという、リベルにとってはこの上ない程に厄介な話である。それ故に彼女は唇を尖らす。
「ぶう」
「鳴くな」
「ぶうぶう」
不満を露にして豚の様に少女は鳴く。しかしその程度の事でジョニーが譲歩するわけもなく、リベルはヤル気無しの状態でロイの前に立った。
「よ、よろしく……」
「ん」
ロイは少し戸惑いつつも彼女に会釈し、対するリベルは小さく頷いた。自分よりも圧倒的に強い事は理解しているが、どう見ても己よりも年下の少女。そんな相手に斬りかかる事を彼は躊躇する。
「こない?」
「あ、いや、その……い、いくぞっ!」
首を傾げて問う少女の促しを受けて、ロイはようやく彼女へと剣を振るった。頭を狙う振り下ろし、どれだけロイが未熟者であったとしても十分な威力を出せる斬撃だ。
しかしリベルは構えもせず、防ぐ姿勢も見せない。自身の顔面に落ちてくる木の刃を見つめるだけ。当たる、そう思われた瞬間。
「えっ」
ロイは思わず声が出てしまう。彼の剣はリベルのそれに受け止められたのだ。だらりと下げた状態で絶対に間に合わないはずの姿勢から、右腕だけがあり得ない程に素早く動いて一撃を防御したのである。
「ぐ……っ」
くぐもった声を漏らす、それはロイのものだ。それなりに力を込めた斬り込みであった、しかしそれは易々と受けられてしまった。それだけに留まらず、衝突したはずのリベルの木剣は揺らぎすらしなかったのだ。
衝撃は全てロイに返ってきた。強固な石柱か鉄の塊を叩いたかのように、彼の両腕がびぃんと痺れる。
「はぁっ!」
だがそれで屈する程、ロイは既に貧弱ではない。次は最も隙が生じている場所、リベルの右胴へと払い斬りを放つ。先程ジョニーに指摘された剣の振りの遅さを意識して、素早く刃を動かした。
リベルの手の中で木剣がクルリと回る。ロイの剣が胴を捉えるよりも速く逆手持ちとなり、再び彼の一撃を簡単に受け止めた。
「ぐぅ……ッ」
どう考えても力の入らない受け方であるにもかかわらず、またもやロイの手が痺れる。それは逆手であっても、彼よりもリベルの方が圧倒的な腕力を有しているという事である。
「次は、こっち」
「っ!」
今度はリベルが攻めに回る。構えなど無し、刃が描く軌道も滅茶苦茶。自由自在に動く彼女の剣にロイは翻弄される。だがしかし、それでも彼は相手の攻撃をしっかりと見て、繰り出される変幻の斬撃を捌いていく。
「ほっ」
「あっ!?」
が、それも長くは続かなかった。柄尻を強く打ち上げられて、ロイの手から木剣が宙へと射出されたのだ。それは大きな放物線を描き、放たれた矢の様に飛んでいく。
それが刺さるであろう場所には、人がいた。
「リーシャさんっ、危ない!!!」
「え?きゃぁっ!?」
今度はロイの声を認識したリーシャ。顔を上げた彼女の目に飛び込んできたのは、自身目掛けて切っ先を向けて飛来する木剣だった。思わず叫び、リーシャは腕で頭を防御して顔を背けた。
しかし。
「よっ、と」
剣は彼女に当たる事は無かった。横から手を伸ばしたジョニーが柄を握って受け止めたのだ。
「おいこらリベル、ちゃんとやれ」
「なんで私」
「お前の力量なら人のいない所に剣を飛ばす事なんぞ簡単だろうが」
「ぶうぶうぶう」
不満一杯の顔でリベルは鳴いた。駄々っ子のような彼女の様子にやれやれと一つ溜息を吐き、ジョニーは次の指示を出す。
「今日はこの辺にしておくか。ロイ、木剣片付けろ」
「あ、はいっ」
師匠の指示に従い、ロイは剣を持つ少女に手を差し出した。
しかし。
「あ、あの……?」
リベルは剣を渡そうとしない。それどころかその切っ先をある人物に向けた。
「……何の真似だ」
「次はジョニーの番」
眠たげな目の中に宿る赤の瞳が、ギラリと怪しく輝く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます