第10話 薬士リーシャ

 ジョニーはリーシャに先導されて森の手前までやって来た。すでに彼は装備を整えており、彼女の用件が済み次第森に入って縞猪を狩りに行く予定である。


 岩に腰掛け、ジョニーはその光景を見ていた。


 木が三本、バキバキメキメキと音を立てながら倒れていく、そんな光景を。


「うーん……ちょっとこっちの配合が多すぎるかなぁ」


 しゃがみ込んでリーシャが手帳に何やら書き込んでいる。彼女の腰には大きめの薬瓶が六つ取り付けられた太い革のベルトが巻かれており、瓶には何かの粉が詰められていた。


「よしっ、じゃあ次はこうして……えいっ!」


 手のひらに収まる程度の緑の球を彼女は投げる。それほど腕力があるわけではないリーシャが投げたそれは、緩やかな放物線を描いて木々の間へと吸い込まれていく。そして。


 炸裂した。


 今度は木が二本へし折れて大地を揺らす。

 爆風が彼女の金の髪をブワリと靡かせた。


「まだちょっと強い……調整してっと」


 ベルトの正面に取り付けられた少し厚みのある長方形バックを開き、中から緑色の植物球を取り出した。袋草ふくろそう、雨水を貯め込むために葉がカゴ状に生育する植物だ。彼女は腰の瓶から薬匙やくさじで粉を掬い取り、それに注ぎ入れる。


 数種の粉を混ぜ合わせたリーシャは袋草の蓋部分の葉を閉じ、緑の球にした。


「そーれっ」


 今度は木が一本、大地に寝そべった。


「うん、このくらいだねっ」

「あー、お嬢ちゃん、ちょっと良いか?」

「はいっ、なんでしょうかっ。どこか悪い所ありましたか、教えて下さいっ」

「いやいや、それ以前の話なんだが……」


 前のめりで近寄って来るリーシャを手で制して、ジョニーは破壊された森を横目に彼女の腰にある装備を指さした。


「色々と聞きたい事はあるが……まず、ソレは何だ」

「これですか?戦う力、ですっ」


 腰に手を当てて、えへん、と自慢げにリーシャは胸を張る。


「あー……質問を変えよう。なんでそんなモンを用意した」

「身を守るためですっ」


 ジョニーの頭に何となく嫌な予感が過った。


「身を守るため、うん、それは分かった。なぜ薬士がそこまでの威力の装備が必要なんだ?」

「ジョニーさんに付いていくためですっ」

「なんでだよ……」


 当然です、と言わんばかりにリーシャは言った。対するジョニーは額に手をやって項垂れる。論理破綻、彼女の言う事はまさにそれだ。


「迷惑だ、付いてくるな。というか足手まとい以外の何者でもない」

「そうならないために用意したんですっ」


 そう言いつつリーシャは、素早い手さばきで先程と同じ緑の球を用意する。くるりと振り返って、森の木々の向こう目掛けて力いっぱい投擲した。


 木が。


 今度は五本吹き飛んだ。


「どうですかっ」


 ジョニーに向き直ったリーシャは、崩れ倒れる木々を背景に自信満々胸を張る。


「分かった、分かったから自然を無意味に破壊するのは止めろ」

「付いていって良いんですねっ」

「違う、そうじゃない。お嬢ちゃんの装備の威力が分かった、ってだけだ」


 否定されて薬士の少女はしょんぼりと、少しばかり気を落とした。そんな彼女の様子を見て、ジョニーは深くため息を吐く。


「なんでそうも俺に付いて来たがるんだ」

「お礼が出来れば、と思って」

「礼はいらんと言っただろ。もし礼がしたいなら薬を用意してくれれば―――」

「あと迷宮領域ダンジョンの奥地にある薬の材料を探しに行けるかな、って」

「ぉし分かった、そっちが本音だな。案外図太いな、お嬢ちゃん」


 予想外の本音にジョニーは苦笑し、リーシャは恥ずかしそうにエヘヘと笑った。


「そういう事なので、是非っ」

「ふーむ。だがこれから縞猪シュトライバーンを狩りに行くんだよなぁ」

「縞猪……という事は森の奥ですね」


 キランと薬士の薄紫ライトパープルの瞳が輝く。冒険者は口を滑らせたという顔をしたがもう遅い、彼女は薬草や薬の事が絡むと途端にアグレッシブになるのだ。それは前回の配信時に、ジョニーはよぉ~く理解していた。


「あの森の奥にはですね―――」

「はい、そこまで。分かった、とりあえず付いてくるのは許可しよう。ただし、足手まといになったら置いていくからな」

「そんな事をジョニーさんがしないのは分かってますから大丈夫です!」

「一度会っただけで随分な信頼を得たもんだ」


 思わぬ同行者を得た事に再び深くため息を吐いて、彼は肩をすくめたのだった。






 森の奥、そこは木々の緑が目に鮮やかな自然の宝庫。だが、それと同時に数多の魔物の巣窟である。大小さまざまなものが生息し、領域へと入り込んだ相手に襲い掛かるのだ。


 しかし冒険者にとっては得る物の多い場所である。稀有な薬草もあれば、高価な果実も存在し、自然の力が凝集した宝石を見付けたならば一攫千金も夢ではない。襲い来る魔物についても、打ち倒してその身の一部を持ちかえれば良い金になるのだ。


 だからこそ、冒険者たちは人の入らない自然の迷宮へと挑むのである。


「えいっ!」


 リーシャの手から離れて放物線を描いた緑の球は、彼女を見付けて駆けて来ようとした鼠の魔物に直撃した。と同時に、如何にも毒々しい黒紫色の煙がボンと広がる。


 途端に鼠は目を限界まで剥いて、涎をダラダラと垂らしながらゴフゴフと荒い息をしたかと思ったら、その場にバタリと倒れて死んだ。


「今の……何だ?」

「二種類の薬草粉を混ぜ合わせて作った、肺の動きを止める薬ですっ」

「可愛い顔して、やる事が恐ろしい」


 ニコニコと輝くような笑顔を見せるリーシャの後ろでは、苦悶の末に落命した鼠が転がっている。藪の向こうにいた鼠がガフッと鳴いた。肺止めの薬が拡散した煙が風に流れて無関係な魔物にも影響し、ついでに仕留めてしまったのだ。


「まあその調子なら心配はないか」

「はいっ。瓶の中の薬草粉が無くなったら周りの薬草採取して補充できるので、どこまででも付いて行けますよ!」

「言動も恐ろしい。どこまで付いてくる気だ、全く」


 肩をすくめるジョニーに対して、リーシャはくすくすと笑う。どこまでも、というのは彼女の冗談であったようだ。


「しかしまあ、薬草の粉でそんな事が出来るとはなぁ。魔法の方が戦うには便利じゃねぇか?」

「魔法はそこまで上手じゃなくて。なので私が得意な事で頑張ろうかな、と!」


 グッと両の拳を握って胸の前で軽く上下に振る。頑張るぞ、との意思表示である。気合十分、やる気全開、行動力暴走中だ。そんな彼女の様子を見て、ジョニーはずっと生じていた疑問を口に出す。


「薬士なら自分で採取に向かう必要は無いだろ。それこそ組合経由で冒険者に採りに行かせた方が楽というか、安全だ。なんでまた自分で」

「私、旅薬士たびくすしなんです」

「ほぉ、今時珍しいな」


 一所ひとところに留まらず町村まちむらを巡る薬士くすりし、それが旅薬士だ。国の境を気にする事なく西へ東へ、人のしがらみにかかわらず北へ南へ。病に困った人の下へと足を向ける人々だ。


 しかし調薬は特殊な技術である。それであるが故に知識を持つ者は限られている。貴族や豪商が手元に置いておきたいと思うのが当然であり、実際多くの薬士は一つの町でその力を尽くしているのだ。


 そんな中で旅薬士として動いている者は、そう多く無い。それぞれが信念を持ち、それに従って世界を巡っているのだ。


「今までは隊商さんとかと一緒に動いてたんですが、それだとどうしても行ける範囲が狭いんです。先日の一件は良い機会だと思って。自分一人でも色んな所を探索できればもっと良い薬が作れるはず、色々な人の助けになれる、と考えてて」

「ふむ、なるほどな」


 年若いリーシャの真っすぐな目に宿る力を見て、ジョニーは一つ頷いた。


「そういう事は先に言え」

「えへへ、ごめんなさい。気がいてしまって」

「アーベンにはしばらく留まるのか?」

「元々は次の旅の資金が貯まるまで、と思ってたんですが探索を学ぶためにそうします。なので、これからよろしくお願いします、ジョニーさんっ」


 薬士の少女はペコリと頭を下げる。十代半ばという年齢でありながら確たる信念を持つリーシャに感心し、ジョニーは口元に笑みを浮かべた。


「おう………………おう?ちょっと待て、俺から学ぶ気か?というか今後も付いてくる気か!?」

「はい!」

「なんでだよ」

「アーベンの冒険者は未熟な人が多いから学ぶならジョニーさんが良い、って組合受付のクライヴさんが」

「あンのヤロウ……」


 リーシャ嬢が探している、彼は確かにそう言った。だがその原因が自分にあるとは明かしていなかった。完全に嵌められた事を認識し、ギリリと歯ぎしりする。


 許可を出してしまった以上は仕方ない、放っておいて勝手についてこられても面倒だ。そう考えたジョニーは渋々といった表情を浮かべて、リーシャの学びに寄与する事としたのだった。


 そんな彼らのいる場所から更に奥へと入った森の中で。


 大きな影が、がさりと動いた。

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