第6話 森の中

 ジョニーは森へと入った。

 アーベンの町から西へ少し、そこに大きな森が存在する。遠く山脈まで続く緑の迷宮は、ずっと奥まで進んでしまうと二度と出る事は出来ない場所だ。しかし街道に近い所であれば、町の人間や旅人が植物や果実を採取できる程に穏やかな森なのである。


「流石にあんなモン知らなかったか」


 出発前に異世界と繋がる窓についてクライヴに聞いたが、何を言っているんだ、という顔をされただけだった。興味深い話であると個人的に調べてくれる事にはなったが、有力情報の入手は望み薄である。


 快晴でありながら、日光は枝葉で遮られて薄暗い。自然のままの森林には道など存在しない、そもそも奥へと踏み入るのは冒険者くらいのものなのだから当然だ。鬱蒼とした藪や木の葉が分解されて湿って沈む地面。そういった自然が進む足を遮るのである。


「くそ、鬱陶しいな」


 ナイフで藪を斬る。

 薬士の少女が何処から森に進入したのか、痕跡を調べる事でそれはすぐに判明した。元より限られた人間しか入らない場所、そこに人の足跡があればすぐに分かる。湿った地面に残された可愛らしい大きさのそれは、一般的な冒険者のそれとはまるで異なっていた。


「……こっちだな」


 痕跡を探りながら、その爪先が向いている方向へと進む。


「ん?」


 足跡の幅が急に広がった。それまでは歩いていたが、ここから走り始めたという事だ。こんな森の中で走り出す状況など限られている。何かを見付けたか、何かに追われたか、だ。


「十中八九、魔物に襲われたな」


 そう言いつつ、ジョニーは周囲を確認する。どこにも血の跡はなく、何かが落ちているという事も無い。つまりは少女は無事であるという事だ。


 駆ける足跡を辿り、ジョニーはある場所に到達した。


「沢か」


 地面が抉れているそこは、森の中をうねりながら流れる小さな沢。魔物も動物も、そして人も。水を求めて生物が集まる場所である。彼は水辺に降りる事無く、森の端を伝うように歩いていく。


「水ン中に変なモンが隠れてたら面倒だ」


 形無き粘体生物スライム。呑み込まれてしまえば駆け出しはおろか、ある程度の経験を有する冒険者ですら溶かされる魔物だ。救助にきておいて自分が倒れてしまっては意味が無い。だからこそジョニーは、危険に自ら飛び込んだりしないのである。


 冒険者ジョニー。彼はとても用心深い男なのだ。


「ん?」


 ふわりと鼻孔に入る、何かが燻されたような香り。こんな森の中に在って漂うような匂いではない。となれば、その発生源は人間だ。


「目印、いや鼻印を出してくれて助かるぜ」


 沢の上流から水と共に流れるそれを、ジョニーは追跡していく。


「お」


 彼は発見した。合掌している手のように大きな岩が二つ寄りかかっている所の下で、隠れるようにして倒れる少女の姿を。そのすぐ近くでは、焚火よりもずっと小さな火から白い煙が立っていた。岩に当たった煙は彼女がいる場所を覆い隠すように滞留し、それが少女を守っている事が分かる。


「ありゃ、魔物避けか。薬士なら自生する植物で咄嗟に作る事も出来るな」


 水辺に降りたジョニーは少女へと近付いていく。だが彼女は身じろぎ一つせず、その場で寝ころんだ状態のままだ。


「死んでる、って事は無いだろうな」


 火がまだ立っている事、魔物避けを作成できている事。それから分かるのは、彼女は香りの結界を作るだけの力があったという事だ。毒を受けていたとしても優秀な薬士ならば解毒も出来る、となれば今はただ気を失っているだけと判断できるのだ。


 傍らにまで至り、ジョニーは少女の事を観察する。


「よしよし息は有るな、それに大きな傷は無し。だが飲食の形跡が無い……魔物を恐れてすぐそこの沢にも行けなかった、って所か。となると二日は飲まず食わずか」


 身体を少し揺すってみるが、小さく呻くだけで反応は薄い。魔物から追い詰められ、何とか逃げ切ったがいつ襲われるか分からない。精神的にも肉体的にも疲弊し、食料も水も無い状態で昏倒したのだろう。


「いきなりメシや水は無理だな、となれば……」


 リュックサックを降ろして、細いガラス瓶を取り出す。それは人間の中指程度の大きさと太さで、赤みを帯びた液体が入っていた。液体が零れないように口部分が溶着されており、指で例えるならば第一関節部分がくびれている。


 握った状態で親指で弾き飛ばすようにして瓶の頭を折り、それを少女の口元へと近付ける。


「飲んでくれよ」


 もう一方の手で彼女の口を開き、口腔内へ赤い液体を少しずつ流し込んだ。


 少女の喉が、こくん、と鳴った。


「げほっ!」


 彼女は大きく咳き込んで飛び起きる。


「お、よしよし、気が付いたな」

「けほっ、けほっ」


 喉を焼き、腹の中で熱を持つ液体。それが身体を活性化させ、少女の顔に血色が戻っていく。


「うう……だ、誰……?」


 うつろな意識の中で彼女は、ぼんやりと見える人影に問う。


「安心しな、救助に来た。無理に動かず、そのまま寝てな」

「は、はい……ありがとう、ございます……」


 深く息を吐いて、少女は再び目を瞑る。夢の中へ落ちはせず、ただただ体力を消費しないようにしているのだ。腹の中に入った強壮薬が身体を復活させるまでの辛抱である。


「さて」


 ジョニーはリュックサックから杭を取り出す。安全地帯セーフゾーンを作り上げるための魔法具、彼の探索における必需品。金で買う事の出来ない特殊な品であり、魔法を得意とする古い友人から半ば押し付けられるように渡された物である。


 沢の水で丸くなった石がゴロゴロと敷き詰められた地面、四角形を作るように石の隙間から覗く大地に杭を打ち込んでいく。設置が完了すると仄かに光が生じ、それが大きな四角すいの形を取った。


「これで一先ず安心だな」


 設置完了とほぼ同時に、薬士の少女が焚いていた魔物避けがその役目を終える。ジョニーが彼女の下に辿り着いたのはまさにギリギリ、あと少し遅ければ彼女は魔物の餌となっていただろう。


 彼はどっかと地面に座り、地面の石を退けて両掌を広げた位の大きさの円形の空間を作った。リュックサックから薪を取り出して山に組む。


「っと、火口ほくちになるモンが無ぇな。薪を裂いても良いが……食材探しついでに採ってくるか」


 よっこらせ、と如何にも年を取ったと分かる掛け声と共に立ち上がり、ジョニーは安全地帯から外に出る。水辺から離れて森の中へと入り、彼は採取を開始した。


 そんな時。


≪やっぽ、ジョニ……女の子!?≫


 異世界と繋がる窓が、配信者不在の安全地帯で昨日と同じように開いたのだった。

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