第10話 反逆退職

 ***


 絶叫するや否や、瀕死であるはずの人間の周りを魔力の奔流がほとばしる。同時に、凝縮された風魔法の球が浮かび上がってきた。


 私はとっさに人間を放し、距離を取る。アレを至近距離で食らえばひとたまりもないだろう。


 一体どこにそんな力を隠し持っていたのか、球はどんどん大きくなっていく。もはや回避可能な規模ではないと判断し、障壁を展開する。


「―――魔法『ウインド・バースト・ディストラクション』!!!」


 直後、球が爆発した。轟音と衝撃波が辺りに撒き散らされ、私の障壁に何度も打ち付けられる。魔力の暴風の嵐は周囲の床や壁を巻き込み、根こそぎ破壊していく。


「グッ……」


 このままでは障壁は長くは持たない。とはいえ、もはや逃げ場などどこにも無い。魔法の攻撃範囲が余りにも広すぎる。


 どうすれば……。このままでは……。私は、死んでしまう。


 目の前の人間は、死の淵に追いやられてもなお、決して諦めるとはなく、大魔法を放って私を倒そうとしている。


 対して私は、死の淵に追いやられて、どうすることもできなかった。


 いや、違う。どうしようとも思わなかったのだ。


 あの人間と私。一体何が違うのか。


 娘を殺されたと人間は言っていた。その悲しみと憎しみの力が、人間を奮い立たせているのだろうか。


 それは、私には到底理解できない感情なのだろう。家族を殺された痛みなど、我々モンスターには理解しようがないはずのものだ。


 しかし……。それでも……。


 障壁が粉々に砕け散った。間髪入れずに、風の刃が私に向かって飛んできた。


 私は死を覚悟して目を瞑った。



「―――魔法『ディスターブ・マジック』」



 突如、音が止んだ。


 風の刃は一向に飛んでこない。


 私は目を開けた。人間が発動していた魔法が、跡形もなく消え去っていた。


 一体何が起こったのか、理解できずに立ち尽くしていると、後方の頭上から声が降ってきた。


「うーん、ギリギリセーフ? まさに間一髪って感じ?」


 声の方向を見上げると、そこにはジュリア様が浮遊していた。よく見ると、突き出された彼女の右手の周辺に淡い紫色の魔力粒子が漂っていた。人間の魔法は、彼女によって無効化されたらしい。


「ワタクシは別に助ける必要かったと思いますけど。あそこでオーリスが死んだ方が展開的には自然でしたわ」


 ジュリア様の下にはルイーゼ様が立っていた。ドレスに付いた砂埃をはらう仕草をしていた。


「あー、まあそう言うなよ。オーリスに死なれたら色々と困ったことになる。魔王城が回らなくなるぜ多分」


 反対側から別の魔王軍幹部の声が聞こえた。振り返ると人間の向こう側にノア様が立っているのが見えた。


「ワイらが寝とる間に何おもろいことやっとんねん。ワイらも混ぜてもらうからよろしく頼むで。言うてももう、大体終わっとるみたいやがな」


 ノア様の傍には人型の影…クロノス様もいた。


 魔王軍幹部が勢ぞろいしていた。それはつまり、人間の命運がここで尽きることを意味していた。


「でさでさ、どうするの? 誰が人間に止め刺すの?」


「ワイに決まっとるやろ!」


「もちろんワタクシですわ!」


「えー? あたしが人間の魔法防いだんですけど? ここは普通あたしだよね」


「…あー、ここまで人間を追い込んだのはオーリスなんだし、最後までオーリスにやらせてやろうぜ?」


「「「えーーー」」」


「まぁ、そう言うなよ。代わりと言っちゃなんだが、先ほどこの世界に勇者とかいうのが降誕したらしい。お前らにはその相手を頼みたいんだが」


「おー勇者か。よー分からんが面白そうやん」


「少しは歯ごたえのある相手だといいのですけど」


「勇者っていうぐらいだから流石にちょっとは強くないと困るよねー」


「…そんなわけでオーリス、人間に止めを頼むぜ」


「……了解しました」


 斧を構え、ゆっくりと瀕死の人間に歩み寄る。幹部達は今も雑談しているが、それでもジュリア様によって今も人間の魔法は封じられている。完全に積みだ。人間は戦いに敗れ、私によって殺されるのだ。


 人間は呆然と立ち尽くしていた。もはや抵抗する力すら残っていないようだ。


「……ごめんな、アリア、ここまでのようだ…」


 ポツリと、人間が呟くのが聞こえた。アリアというのが彼の殺された娘の名前なのだろうか。


 私は幹部達に聞こえないように小声で人間に話しかけた。


「……おい、人間」


「何だ、モンスター」


「いいか、よく聞け、チャンスは一度きりだ」


「……?」


「魔王の居場所は私も知らない。だがこの魔王城のどこかに居ることは確かだ。魔王を倒すにはこの城ごと破壊するより他に手は無い」


「……!」


「城の下層の中央に魔力炉がある。厳重に警備されていることになっているが、何分、我々も人手不足でな、ここ最近はもぬけの殻だ。それに今の状況なら混乱に乗じて楽にたどり着けるだろう。お前の右隣に開いている穴から降りていくのが速い。魔力炉を魔法で刺激すれば大爆発を起こせるはずだ」


「……」


「今から斧を振り上げると同時に、ジュリア様を攻撃する。そうすれば彼女の妨害魔法は一瞬途切れるだろう。その隙をついて、お前は風魔法を使って全力でここから離脱して魔力炉を目指せ。長くは持たないだろうが、幹部達は私がここで足止めする」


「……本気で言ってるのか?」


「残念ながら本気だ。自分でもどうかしてると思うがな」


「……どうして?」


「さぁな、自分でも分からん。ただ、何となくお前に賭けてみたくなった。それだけだ」


「そうか、ありがとう、オーリス」


「さぁ、ぐずぐずしているヒマは無い。やるぞ」


「ああ」


 まさか、私が魔王軍を裏切るなんて、つい数時間前には夢にも思わなかった。代り映えのしない日がずっと続いていくのだろうと思っていた。まさか自分がこうも簡単に揺らいでしまうなんて。


 私は斧を大きく振り上げた。と同時に振り返り、ルイーゼ様に向かって魔導砲を打ち放った。ああ終わった私の人生。


「―――でさー、その時のソイツの表情がもう死ぬほど面白くて―――って、は?」


 魔導砲がルイーゼ様に直撃する。が、その寸前に障壁を展開されたようだった。恐ろしい反応速度だ。しかし読み通り、妨害魔法は解除されたようだ。


「魔法『エアリアル・オービット』!」


 人間が風を体に纏い、空中を滑るようにして下層に向かっていった。


「テメェ、オーリス! まさかお前が裏切るなんてね! まぁまぁ面白いじゃん!」


 ジュリア様の反撃の魔光弾を大きく後方へジャンプして回避し、ノア様とクロノス様を魔導砲で牽制しつつ、さらに彼らの後方へ跳ぶ。


 魔王軍幹部の4人と対峙する。


 後10分もしない内に間違い無く私は死ぬ。だというのに、未だかつて無いほどの高揚感を味わっていた。手が震えているのは恐怖が理由だからではない。口元が不気味な笑みに歪んでいるのが自分でも分かった。


「……ははッ」


 思わず笑いが漏れた。斧を構え、魔力を込める。


 じゃあな! クソ魔王軍にクソ上司共!!

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