第19話 親バカ野郎!

 父は女性を降ろすと、近くのホテルの敷地内に車を止めた。


「ねえ、さっきの人かなり怒ってたけど、大丈夫なの?」


「ああ。カラスウリは何も心配しなくていいよ」


「でも、クレームの電話を入れるって言ってたじゃない」


「たとえ電話をしたとしても、協会は相手にしないよ。こっちにはまったく非がないんだからさ」


 父は自信満々に言ってるけど、本当にそうだろうか。

 今更だけど、私が助手席に乗っていることは、なんの問題もないのだろうか。

 そんなことを考えていると、出入り口から派手なスーツを着た強面の中年男性が出てきた。

 私は男性が車に乗り込むのを確認し、透かさず挨拶をする。


「ご乗車ありがとうございます。どちらまで行きましょうか?」


「○○町まで行ってくれ。で、お前は一体誰なんだ?」


 鋭い目つきで訊いてくる男性に怯えながらも、私は返答する。


「運転手の娘です。訳あって今日、父に代わって接客をしています」


「なんだよ、その訳ってのは? まさか風邪で声が出ないなんて言うんじゃないだろうな?」


「いえ、そうではありません。社会勉強のために、父にわがままを言って、乗せてもらっているんです」


「社会勉強だと? それなら、こんな身内がいるところじゃなくて、どこか別の場所でやれよ」


「分かりました。では次からは違うところでやります」


 途端、男性は文句を言うのをやめて、スマホで何やら検索をし始めた。

 その姿を見てホっとしていると、程なくして男性はまたも攻撃的な目を向けてきた。


「お前、よく観ると、結構美人だな。付き合ってる男はいるのか?」


「いません」


「ほう。じゃあ、好きな男は?」


 それはいるけど、父がいる手前、正直に言うわけにはいかない。


「いませんね。私、あまり恋愛に興味がないんです」


「じゃあ、何に興味があるんだ?」


「お笑いです。実は私、高校のお笑い研究部に所属していまして、お笑いについて日々研究してるんです」


「はははっ! 何が研究だよ。お前みたいな若造に、お笑いの何が分かるっていうんだ?」


「もちろん、まだ分からないことだらけです。それを一つ一つ理解するために、勉強をしているんです」


「こんな若いうちから、そんなことして何になる? それより、男を作って毎日遊び回ってる方が、よっぽど楽しいだろ?」


 ああ、もう面倒臭い。

 こんな人とも、無理して会話を続けなければいけないのだろうか。


「先ほども言いましたが、私は恋愛に興味がないんです。だから今は、お笑いを研究してる時が一番楽しいんです」


「お前、それは少し変だよ。前に壮絶な失恋でもしたのか?」


「してません。ただ単に興味がないだけです」


「ははーん、分かったぞ。お前、両親の夫婦仲が良くないんだろ? だから、恋愛に希望を持てないんだよ」


 両親の夫婦仲は決して悪くなく、むしろいい方だけど、それを言うと話がややこしくなりそうなので、私は男性の言ったことを敢えて肯定する。


「そうなんですよ。なので、どうしても恋愛する気が起きないんです」


 そう言うと、男性は突然父に矛先を向けた。


「おい、あんた。娘がこんな風になったのは、全部親であるあんたのせいだぞ。少しは責任感じてるのか?」


 私が良かれと思って言ったことで、父が謂れのない攻撃を受けている。

 父はこの難局をどう乗り切るのだろうか。


「私と妻は暇さえあればケンカしています。そのせいで、娘が恋愛に臆病になっていることも重々承知しています。でも、私はそれでいいと思っています」


「なんで?」


「その方が私には好都合だからです。私は娘の婚期が遅れれば遅れるほどいいと思っています。そしたら、娘とそれだけ長くいられますからね」


 冗談めかして言ってるけど、これは間違いなく父の本音だ。

 この場の状況を逆手に取ってこんなことを言うなんて、父という人間が計り知れない。


「娘の幸せを考えたら、普通はそんな発想にはならないものだけどな。あんた、自分さえよければ、娘がどうなっても構わないのか?」


「そんなことは言ってないでしょう。私はただ一日でも長く娘と暮らしていたいだけなんです」


「ふん。あんた娘の前で、よくそんなセリフが吐けるな。恥ずかしくないのか?」


「ええ。まったく恥ずかしくないですね。今、娘に気を遣って本音が言えない父親が増えていますが、私はそんな父親になる気なんて毛頭ありません」


 確かに気を遣われるのは嫌だけど、かといって本音をガンガンぶつけられるのも迷惑な話だ。

 今、私は恥ずかしくて仕方ない。


「まあ精々、娘と仲良くやってろよ。この親バカ野郎」


 目的地に着くと、男性は捨て台詞を吐いて降りていった。



 その後、父は街中のタクシー乗り場に車を止めた。


「お父さん、恥ずかしいから、他人にあんなこと言わないでよ」


「悪いけど、あれくらいのことなら、パパはいつも客に言ってるぞ」


「なんで言うのよ!」


「なんでそんなに怒ってるんだ? 客はお前の知らない人なんだから、別にいいじゃないか。それより、お前が恋愛に興味がないなんて、パパ初めて聞いたぞ」


 父がニヤニヤしながら、私を観てくる。


「あれは話の流れ上、言っただけで、本心じゃないからね」


 父は何も答えず、歩行者の動きをじっと観察している。

 多分、私の言ったことを言い訳と捉えたのだろう。

 私は父の横顔を観ながら、男性に『恋愛に興味がない』と言ったことを猛烈に後悔した。


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