第16話 初めての接客
「よし、じゃあ次はホテルに待機するか」
父はそう言うと、割と大きめのホテルの敷地内に車を止めた。
「時間的に、そろそろ人が出てくる頃だからな。悪いけど、ちょっと出入り口を見ててくれ」
父がスマホで何やら検索し始めたので、言われた通り出入り口を見張っていると、程なくして四十歳くらいのスーツを着た男性がスーツケースを引きながら出てきた。
「あっ! お父さん、出てきたよ」
「ああ、分かった」
父はスマホを素早くポケットにしまい、車から降りると、スーツケースをトランクに入れ、ドアサービスをしながら男性を車に乗せた。
「ご乗車ありがとうございます。どちらまで行きましょうか?」
「駅までお願いします」
「駅ですね。かしこまりました」
父が発進した途端、私の存在に気付いた男性が父に訊ねた。
「あのう、このお嬢さんは誰ですか?」
「私の娘です。今日どうしても私に付いてきたいと言うものですから、仕方なくこうして助手席に乗せてるんです。もう高校生だというのに、いつまでも親離れできなくて困ったものですよ。はははっ!」
(はあ? あんたが付いて来いって言うから、こっちは来てるんでしょ! あんたこそ、さっさと子離れしてよ!)
私は父を睨みながら心の中で訴えた。
「いやあ、それは羨ましいですね。私にも中一の娘がいますが、今反抗期の真っ只中で、ろくに口も利いてくれないんですよ」
「そうですか。でも、その期間を抜けると、急に優しくなることがよくあるみたいなので、それまでの辛抱ですよ。逆にうちの娘は私にべったりなので、将来ちゃんと自立できるのかという不安がありますね」
(いやいや、べったりなのは、あんたの方だから。こっちこそ、あんたがこの先ちゃんと子離れできるか心配なのよ)
睨みを利かせたにも拘らず、なおもデタラメを言う父に私は辟易とする。
「高校を卒業するまで反抗期が続くとして、後六年も辛抱しないといけないなんて、私には耐えられそうにありません。どうしたら娘に好かれるか、教えてくれませんか?」
「好かれようと思って、娘に媚びる父親が結構いるみたいですけど、そんなことをしても逆効果になるだけです。私はこれまで父親らしく、堂々と背中で語る姿勢を見せてきました。そんな私を娘は尊敬し、将来結婚する時は私みたいな人を選ぶと言ってくれています。なので、お客さんもそのようにすれば、娘さんもそのうち口を利いてくれるようになりますよ」
「分かりました。じゃあ、そうしてみます」
やがて駅に着くと、男性は満足げな顔で降りていった。
途端、私は父に怪訝な目を向ける。
「ねえ、なんであんなデタラメ言ったのよ?」
「本当のことを言うより、その方が話を展開しやすいからだよ。現にそのせいで話が広がったうえに客も満足してたから、結果的には良かっただろ?」
「それはただの結果論でしょ。じゃあ、お客さんが満足しなかったら、どうするつもりだったの?」
「別にどうもしないよ。そもそも、すべての客を満足させるなんて不可能だからな」
開き直りともとれる父の発言に、私は閉口する。
まだ言いたいことはあったけど、これ以上揉めると車内の雰囲気が悪くなるので、ひとまず胸の奥にしまった。
「そういえば、さっきスマホで何を検索してたの?」
そのまま駅に待機している父に訊いてみた。
「今日、イベントがあるかどうか調べてたんだよ。例えば、会館でコンサートが行われると、終了時刻の少し後に行けば客を拾えるからな」
「なるほどね。いうもそうやってアンテナを張ってるの?」
「ああ。タクシーというものは、いかに効率的に働くかで収入が全然変わってくるんだ。だから今もこうして駅に待機してるんだよ」
父にそう言われ、私は合点した。
さっきお客さんを駅まで運び、そのまま待機しているのは、確かに効率的だ。
駅に待機せず闇雲に流して、もし客を拾えなかったら、無収入なうえ燃料も無駄遣いになる。
「次からお前が接客してくれ」
不意に父が言ってきた。
「えっと、まだ早くない?」
「もう三人乗せてるから、やり方は大体分かっただろ? もしうまくできなかったら、パパがフォローしてやるから、とりあえずやってみろ」
「分かったよ」
いよいよ接客することになり、ドキドキしながら待っていると、腰の曲がったおばあさんが杖をつきながら乗り込んできた。
「ご乗車ありがとうございます。どちらまで行きましょうか?」
父の見よう見まねでそう言うと、おばあさんは驚きの顔を向けてきた。
「なんで運転手さんが二人いるの?」
「私は運転手ではありません。それより、行き先を教えてくれませんか?」
「ああ、じゃあ○○病院に行ってください」
「○○病院ですね。かしこまりました」
とりあえず第一段階をクリアし、ホッとしていると、おばあさんが不思議そうに私を観てきた。
「私の顔に何かついてますか?」
「いや、運転手じゃなかったら、なんで乗ってるのかと思ってね」
「話せば長くなるので省略します。それより、病院にはどのような用件で行かれるんですか?」
「ああ、わたしは腰が悪くてね。毎週土曜日に治療してるんですよ」
「そうなんですか。あと、他にもどこか悪いところはありますか?」
「この歳になればもう、体のあちこちにガタがきて、悪いところだらけだよ」
後ろ向きなことなことを言うおばあさんに、私はどう返していいか分からず、その後病院に着くまで一言も喋らなかった。
おばあさんを降ろした後、そのまま病院で待機している父に、私は訊いてみた。
「さっきの接客どうだった? 初めてにしては、よくできたと思うんだけど」
ひいき目に見ても及第点は与えられるんじゃないかと期待していると、父はそんな私を呆れたような顔で観てきた。
「初めてなのを差し引いても、とても合格とは言えない。まあ点数をつけると、30点というところかな」
「ええーっ! それって、ちょっと辛くない?」
「辛くなんかないよ。むしろこれでも甘いくらいだ」
「…………」
父の下した判断は、私の自信を物の見事に打ち砕いた。
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