第15話 父の仕事ぶり

 土曜日の朝、父は私を助手席に乗せると、そのまま街に向かって車を走らせた。


「平日だと、この時間は駅かホテルで待機してた方がいいんだけど、休日は歓楽街に行った方がいいんだ」


「なんで?」


「休日の前は、朝方まで酒を飲む者が多いからさ。そんな連中は電車やバスに乗る元気が残ってないから、大抵タクシーを利用するんだよ」


「えっ! じゃあ、酔っ払いを乗せるの?」


「ああ。でも、心配しなくていいよ。パパぐらいベテランになると、酔っ払いの相手なんて手慣れてるからさ」


 やがて歓楽街に差し掛かると、足取りのおぼつかないおじさんがこちらに向かって歩いているのが見えた。


「おっ! あれは乗りそうだな」


「なんで分かるの?」


「足元がふらついてるからさ。あそこまで酔ってると、もう一歩も歩きたくないはずだからな」


 父の言う通り、おじさんは車に気付くと、すぐさま手を挙げた。

 それを見て父はおじさんのすぐ横に車を止め、ドアを開けた。


「ご乗車ありがとうございます。どちらまで行きましょうか?」


「ウイー。〇〇町まで行ってくれ」


「○○町ですね。かしこまりました」


 おじさんが乗った途端、車内が一気に酒臭くなり、換気のために窓を開けると、おじさんが私の存在に気付いた。


「ウイー。なんで助手席に人が乗っとるんじゃ?」


「ああ、彼女は私の娘なんですよ。社会勉強を兼ねて、私の仕事ぶりを見せようと思いまして」


「ウイー。あんた、なかなか面白いことするじゃないか。わしはこんなタクシー乗ったのは初めてじゃ」


「でしょうね。日本中探しても、こんなことしてるのは私ぐらいだと思います」


「ウイー。でも、もし態度の悪い客が乗って来て、あんたに絡んできたらどうするんじゃ。娘がいる手前、あんたも言い返すことはできんじゃろ?」


 おじさんの問いかけに、どんな返答をするのかと思っていると、父は意外な言葉を吐いた。


「いえ。私はそのような客には、毅然とした態度で臨みます。なので、ケンカになることもしょっちゅうあります」


「ウイー。あんた、娘の前でそんな姿見せて平気なんか?」


「平気ではありません。でも、我慢してストレスを溜めるよりは、マシだと思います」


「ウイー。あんた、ほんま変わっとるのう。でもわしは、あんたみたいな人間は嫌いじゃないぞ。わははっ!」


 やがて目的地に着くと、おじさんは上機嫌のまま車を降りていった。


「ねえ、さっき言ってたこと、本当なの?」


「さっきって?」


「お客さんとしょっちゅうケンカしてるってことよ」


「ああ、あれは全部嘘だよ。さっきのような酔客はいつ豹変するか分からないから、そうならないよう先手を打ったんだ」


 平然と言ってのける父に、私は目を丸くする。


「なんだ、そういうことか。でも、お客さんにそんな嘘をついていいの?」


「いいんだよ。客はそれが嘘かどうかなんて分からないんだからさ。それより、どうだった。パパの接客は?」


「どうって言われても、まだよく分からないよ」


「まあ、まだ一人しか乗せてないからな。あと二、三人乗せたら、お前とバトンタッチするから、それまでによく観察しとけよ」


 父は歓楽街に戻ると、辺りをゆっくりと流し始めた。


「なんでそんなにゆっくり走るの?」


「客に気付いてもらうためさ。スピードを出していると、酔客にはなかなか気付いてもらえないんだ」


「ふーん。でも、他のドライバーの迷惑になるんじゃないの?」


「この時間帯は、ほとんどタクシーしか走っていないからいいんだよ」


 そのまま歓楽街をゆっくり走っていると、五十メートルくらい先に学生風の若い男性が手を挙げているのが目に入った。


「あっ! あそこ、手を挙げてるよ!」


「ああ」


 途端、父はスピードを上げ、男性のすぐ横に車を止めた。


「ご乗車ありがとうございます。どちらまで行きましょうか?」


「○○町まで行ってください」


「○○町ですね。かしこまりました」


 男性は乗ってすぐ私に気付いたけど、別段何か言うわけでもなく、すぐにスマホゲームをやり始めた。

 普通このような場合は声を掛けにくいので、黙って運転するのかと思っていると、父は構わず男性に話し掛けた。

 

「お客さん、学生ですか?」


「はい」


 男性はスマホに目を向けたまま返事をした。


「あまり酔っていないようですが、お酒は飲まれていないんですか?」


「ああ、俺、顔に出ないだけで、結構飲んでます」


 男性は今度は父の方を見ながら返事をした。

 どうやら、ゲームの方は諦めたようだ。


「昨日、サークルの飲み会だったんですけど、本当はもっと早く帰るつもりだったんです。でも、思いのほか盛り上がって、とても帰るとは言えない雰囲気になっちゃったんですよ」


「ああ、それよく分かります。その状況で帰るなんて言った日には、周りから罵詈雑言の標的にされますからね」


「俺もそうなるのが分かってたから、言えませんでした。現に一人、途中で帰った奴がいるんですけど、そいつはみんなから散々罵られたうえに、帰った後もずっと陰口を叩かれてましたからね」


「なんだかんだ言っても、人の悪口って楽しいですもんね。ストレス解消にはもってこいです」


 家族でご飯を食べている時に、父はよく客の悪口を言ってるけど、あれってストレス解消のためだったんだ。


「ところで、お客さんは何のサークルに入ってるんですか?」


「テニスです。ほぼ遊び目的で入ったんですけど、意外と女子の数が少なくて、当てが外れました」


「そうなんですか。でも、大学にはたくさん女子がいるんでしょ? 私は高卒で、しかも男子校だったから、バラ色のキャンパスライフに憧れてたんですよ」


「言うほど、いいものじゃないですよ。女子が多いといっても、接する機会はあまりありませんから」


 そう言うと、男性は話に飽きたのか、再びスマホゲームをし始めた。

 父もそれ以上は立ち入らず、その後目的地に着くまで男性に話し掛けることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る