第9話 落語の良いところ
今日の一時間目は数学だった。
数学が苦手な私にとって、朝一の授業はきつい。
ていうか、いつの時間でもきついのはきついんだけど。
まだ完全に起ききっていない脳を働かせながら、黒板に書かれた問題と格闘していると、竹本先生が誰ともなく言った。
「この問題、誰にやってもらおうかな」
途端、生徒たちは下を向いたり、ソッポを向いたりする。
すると竹本先生は「じゃあ今日は16日だから──」と言い、出席簿を開いた。
この流れから、出席番号16番の生徒を指名するのかと予想していると、事は思わぬ方向へ進んだ。
「16から4を割ったら4だから、出席番号4番の池本、前に出て問題を解いてくれ」
(ええー⁉ なんで私が当てられるの? ていうか、割るって何!」
私は心の中でぼやきながら前に出て、改めて問題文に目を向ける。
けど、ただでさえ難しいのに、こんな血が上った状態では解けるはずもなく、私は早々にリタイアした。
「今、とても考えられる状態ではないので、他の人に当ててください」
「ん? それはどういう事だ?」
「心の準備ができていなかったという事です」
「君は心の準備ができていないと、問題が解けないのか?」
(なに、この先生。すごく面倒くさいんだけど)
このままでは埒が明かないので、私は素直に謝ることにした。
「すみません。私には、この問題は難し過ぎて解けません」
「最初からそう言えばいいんだよ。じゃあ──」
その後、出席番号16番の生徒が指名され、その生徒はスラスラと解いていた。
多分、自分が当てられると思って、予習してきたのだろう。
ていうか、ここで16番を指名するのなら、最初からそうしてよ!
私はこの日から益々数学が嫌いになった。
今日の部活のテーマは落語。
落語は大きく分けると、古典落語と新作落語(創作落語)の二種類がある。
古典落語は江戸時代から明治、大正にかけて作られたもので、演目の数はなんと八百以上もあるという。
その中で現在高座に掛けられているのは三百から四百で、江戸時代から現代にかけて、数えきれない噺家たちが練りに練り、磨き上げ選び抜いて伝えられたのが古典落語だ。
一方、新作落語は主に大正以降に作られたものを指し、演目の数はハッキリとは分からないみたいだ。
「あたし、落語って少ししか観たことないから、よく分からないわ」
吉田さんがそう言うと、福山君が大きく頷いた。
「俺もだ。そもそも、テレビでほとんどやっていないもんな」
「私も二人とほぼ同意見ね。ていうか、ほとんどの若者は落語をまともに観たことはないんじゃないかな」
私は二人に追従する形で本音を吐き出した。
実際、これまで友達や家族と会話した中で、落語を話題にしたことは一度もない。
「まあ、若者が知らないのは仕方ないよ。さっき福山が言ったように、テレビであまりやっていないからね。かといって、動画を観るほどの興味は持てない。その原因は何だと思う?」
三場君の問いかけに、透かさず吉本さんが答える。
「古臭いから?」
「なるほど。ヨッシーらしい直球な回答だな。で、あとの二人は?」
「単純に面白くないからかな」
福山君が平然とした顔で辛辣な言葉を放つ。
「それは手厳しいな。まあ、それについては後で話すとして、池本さんはどう思う?」
「話が長いのが原因の一つだと思う。漫才だとネタが次々と出てくるから、その中につまらないものがあっても、まだ観ていられるけど、落語って一つのネタを最後までずっとやるから、そのネタがつまらないと、すぐに観る気がなくなっちゃうんだよね」
「なるほど。じゃあ今から、三人の意見を一つずつ掘り下げよう。まずはヨッシー。どういうところが古臭いんだ? もっと具体的に言ってくれよ」
「着物を着てやるところかな。あと、センスと手ぬぐいを使うところもね」
「着物を着るのは、落語が江戸の文化を語る芸だから仕方ないんだ。江戸時代は着物が普段着だっただろ? だから、着物でやった方が客も想像しやすいんだよ。あと、センスと手ぬぐいは落語家にとって欠かせないものだ。知ってるか? センスと手ぬぐいだけで、何十通りのものを表現できることを。だからたとえ古臭かろうが、この先もずっとこのスタイルでやっていくと思う」
「まさか、そういう意図があるとは思わなかった。今の話を聞いて、ちょっとだけ落語に興味が湧いてきたわ」
「それはよかった。じゃあ次は福山。どんなところが面白くないんだ?」
「俺が最初に落語を観たのが小学校低学年の時だったから、まだ意味がよく分からなかったんだよ。それ以来まったく観ていないから、食わず嫌いな部分もあるんだよな」
「なるほどね。じゃあ今観たら、落語のことを好きになるかもしれないな」
「ああ。今度一回真剣に観てみるよ」
「是非そうしてくれ。じゃあ最後に池本さん。話が長くて一つのネタをずっとやり続けるところが若者に敬遠される原因って言ってたけど、確かにそれは一理ある。漫才やコントに慣れている今の若者に、落語のスタイルが合わないのは仕方のないことだ。でも僕は、落語の良いところをもっと知ってほしいんだ」
「良いところって?」
「落語とは話をちゃんと起承転結に分けて、強弱をつけながら話す芸だ。話の入りは状況説明が多くなるから、どうしてもつまらなく感じてしまうんだ。でも、そこからどんどん面白くなって、最後はちゃんと落ちをつける。言わば、ドラマや映画と一緒だよ。最後まで観ないと、落語の価値は分からないんだ」
三場君の話を聞いて、私は目から鱗が落ちる思いだった。
私は少し観ただけでつまらないと判断して、その後まったく観ようとしなかった。
これからはちゃんと最後まで観て判断しよう。
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