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 研究室生活の中で、二次会での不吉な会話はすぐに裏付けられた。教授が食後、何らかの薬を服用しているのはすぐに確認できた。そして、彼が病的なまでの気分屋だということも。


 教授の機嫌は1日のうちにころころと変わった。例えば、鼻歌を歌いながら花に水をやっているかと思えば、その直後には無言かつ無表情でシュレッダーをかけ続けるようなことは日常茶飯事だった。彼は自分の思ったことをすぐに実行できないとイライラして突然キレる。朝礼では何も言わなかったのに、夕方、私たちが帰ろうと思い始めた頃に突然実験の指示を出してきて、キビキビと手伝わないとやはり怒る。


 研究室の学生ははっきり言って「物言う道具」である。教授をヒエラルキーの頂点として、学生の立場は実験で使う大腸菌より低い。教授に直接ついた2人よりマシとはいえ、私たちは日々、彼の思いつきに振り回された。


 皆の顔に疲労の色が濃くなってきたある日、教授の指示で学生部屋の棚を整理していた私は、5年ほど前の日付の入った出席簿を見つけた。この研究室では毎朝出欠を取る。それは今よりも学生が沢山いた時期のものだった。


 何気なくページを繰っていると、通りがかった博士課程の先輩が「Nさんという人の欄を見てみな」と言ってきた。また、あのニヤニヤ笑いをしていた。悪い予感を覚えつつ確認すると、Nという人は最初こそ毎日出席していたが、6月頃から出席と欠席を繰り返すようになった。夏には出席の日がなくなり、4年の後期になると名前そのものが消えていた。


「Nさんね、精神的におかしくなって研究室やめたんだよ。休学して、復学した後は学部長に直談判して研究室を変えて、それで卒業したんだ」


 引きつった笑みを浮かべる私に、先輩は楽しげに説明した。


 配属から2ヶ月も経たないうちに、教授に付いたTの様子が明らかにおかしくなり始めた。顔色は悪く、表情もなくなって、朝もよく遅刻するようになった。心配になった私たちは、保健管理センターのカウンセリングを受けることを勧めた。


 後日、カウンセリングに行ったTは、疲れ切った顔でとても嫌な話をしてくれた。センターの精神科医曰く、私たちの先輩ほぼ全員がそこでカウンセリングを受けていたというのである。無論、博士課程の先輩2人もここでのカウンセリング経験者だ。予想以上の惨状に、私たちは言葉を失った。


 それからしばらくして、Tは研究室に来なくなった。私たちからの連絡にも返答はなく、やがて見かねた准教授が手を回して、別の研究室に行けるようにしてくれた。彼女はすぐに見違えるように元気になった。


 そんなことがあった直後だったから、私はあの時、Kの言葉を聞いて本当に驚いてしまった。


「え、ここに進学するの? 本気で?」


 共に教授の指導を受けるTがいなくなってから、教授はますます気分屋に拍車をかけていた。教授に振り回され、疲れ切っていつも愚痴を言っていたKが、進学までするとはさすがに正気の沙汰と思えなかった。


「なんだかんだいって、あの教授って優秀なんだよ。私、ずっとこのテーマをやりたいって思ってたんだ。だからこの研究室来たんだし」

「でもさ……ここいたら……」


 Sが最も強く外部へ進学を勧めたが、それは私たちも同感だった。ここにいる学生が精神を病んでいくのはすでによく分かっていた。私たち3人だって、かなり限界まで来ていたのだ。


「やりたいことがやっと出来るようになったのに、納得いくまでやれないのはイヤ。あとのことは走りながら考える」

「なにそれ」

「赤の女王仮説。走り続けなければその場にとどまることは出来ないっていう」

「ああ、生物は常に進化し続けていないと、生き続けることが出来ないってあれ?」

「そう、それ。だから、私も走り続けないといけないの」


 私たちには、彼女はすでに病んでいるようにしか見えなかった。他の選択肢がいくらでもあるということを、私たち3人は彼女に伝えようとした。このタイミングなら大学とは別の大学院に進むという選択で、実に円満な形教授と縁が切れる。時期は遅いかもしれないが、民間企業への就職という手もあった。公務員試験もまだ受験できる時期だった。


 Kは学内進学の道を選んだ。


 私はといえば、別の大学院に行くことを決め、あとは血を吐くような思いで卒論を書き終えた。不思議なことに、卒論を書いていたあの12月の前後2ヶ月のことは全く記憶にない。


 進学した先の所属研究室は、まるで天国のような所だった。ちゃんと見学と下調べをして選んだだけあって、教授以下、先生達は皆まともな人ばかりだったし、所属する学生も皆心身ともに健康そうだった。印刷物をばんばん出しても怒られないし、夕方になって突然用を告げられることもない。私は非常に良好な環境で勉強し、研究に打ち込むことが出来た。


 すぐに2年が過ぎて、私はそのまま博士課程に進学した。周囲からは大変だから覚悟するようにと散々言われたが、それでも私はどうしても研究を続けたいと思うようになっていた。


 そして驚くべきことに、Kもまた、続く3年をあの研究室で過ごすことを決めていた。その頃のKは以前に比べて痩せていて、進学は止めた方が良いと皆で説得したが、彼女はどうしても研究を続けたいと聞かなかった。ただ、その時の私には、彼女の研究へのこだわりが分からなくもなかった。


 あれは博士課程に進んだ直後くらいだったか。一人暮らしの自宅で一人夕飯を食べていたら、珍しくKから電話がかかってきた。


 電話の向こうのKは教授の愚痴を言い続けていた。ほとんどは聞きなれた内容ではあったが、わずかに不穏なものが混じり始めていた。


 教授が与えたKの現在の研究テーマが、全くうまくいっていないらしい。彼女は手法の変更を教授に求めた。しかし、それが教授の逆鱗に触れ、最近では会うたびにチクチクと嫌みを言われるようになっているという。小言は研究のことだけならず、研究室の掃除や実験用具の整理状態、さらには下級生の態度にまで文句をつけられたという。私は、彼女を慰めるしかなかった。


 その日以来、Kから連絡は一度もなかった。SやTとはたまに会って飲みに行くことがあったが、彼女が参加することは一度もなかった。次第に、私もKのことを忘れていった。


 そして、博士課程4年目に入った初夏、Kは帰らぬ人となった。

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