浅蜊
祐里
碧
子供の頃、白、グレー、薄茶、黒でできている数珠玉の実を好んでいた。
「色、ちょっと似てるわ。ざらざらだけど」
一人暮らしの部屋、キッチンで砂抜きのために塩水に浸けられた
幼少期に家にあった、着物の
「砂抜き中の浅蜊ってこんなに目を出すんだなあ」
小学校高学年になると、家の呉服屋の手伝いで裁縫をさせられた。和裁の先生は祖父だった。手伝いの合間に、お手玉の縫い目が
「冷蔵庫……じゃなくて、ここ置いとけばいいか」
小さな藁のような植物の破片が出てくるのが愛おしくて、指先が冷たくなっても、針を持って懸命に数珠玉を空っぽにし続けた。二百粒以上あった数珠玉は、全て空っぽになった。
わずかに軽くなった数珠玉は、祖母に渡すことになっていた。これでアクセサリーを作ってみるかと聞かれたが、地味な数珠玉たちが人を飾るきれいなアクセサリーになれるとは思えず、断った。
母はとてもやり手で、経営にその手腕を発揮していた。呉服屋の営業のために、子供たちに日本舞踊を習わせていたくらいだ。母に連れられて稽古に行くたびに、きれいな着物ね、かわいいわね、上手ね、お菓子たくさん食べていいのよ、などと先生や他のお弟子さんに言われたが、褒められるとその分、自分の中から何かが抜けていくように感じられた。
「おお、移動してる」
スマートフォンをカーディガンのポケットから取り出して、調べてみる。浅蜊の目のように見えたものは
日本舞踊の稽古は毎週四回あった。初めて舞台に立ったのは、六歳の秋。市民会館の大きな舞台で、一年に一回、稽古の成果を披露していた。毎回、観客たちは口々にかわいらしいと褒めそやした。舞台用の化粧として全体を真っ白に塗られ、目の周りと口は大仰な赤で塗られた顔のどこがかわいいのだろうと思っていた。
「あっ、こらっ、水吹くなって」
高校生になってすぐのある日、日本舞踊の先生に「みどりちゃん、色気が出てきたわね。
屋敷娘まではよかった。武家屋敷に勤める年若く可憐な娘が、休みの日に何をしようかとうきうきしながら考える様を表す踊りには、まるで華麗なフィギュアスケートのように、美しく激しい動きを要求された。稽古用の薄い浴衣でも舞踊を演じ終えると汗だくになったが、それも楽しいと思った。だが、藤娘や櫓のお七はしっとりした切なさや狂気などを込めないといけないため難易度が高く、時間も長く演じなければならない。自分には無理だと、瞬間的にはっきり悟った。
先生の「色気が出てきた」という言葉も理解できず、もう舞踊を演じる気力がなくなり、母にやめたいと申し出た。同様に習っていた妹もよく褒められていたからか、意外にもあっさり許してもらえた。
そうして、空っぽになった。あっけなかった。
「浅蜊の味噌汁、たまに
浅蜊が元気よくボウルの外に吹き出した塩水を布巾で拭き、話しかける。もちろん答えはない。
日本舞踊をやめてからは、空洞を抱えてカラカラに乾いた自分に何かを与えたくて、迷いながら生きていた。生きるのをやめようと考えたことはなかった。ただ、潤いや栄養として何を欲すればいいのかもわからず、死んだように生きていただけだ。
幸い、空気を読むのは得意だった。高校で周囲の生徒たちを見ながら、空っぽの自分でも何とか仲の良い友人を作れ、それなりに楽しい高校生活を送る人物を演じることができた。
高校卒業後は、そのまま社会人になるのが怖くて、四年間の猶予をもらえる大学に進んだ。大学生活でも、高校生の時と同じように空気を読もうとした。しかし大学では個が優先されるため、誰かの真似で何かを乗り切れるということが少なくなった。
昨年度の後期テストは『可』ばかりだったけど『不可』がなくてよかった、と考える。キッチンの換気扇のスイッチを入れ、カーディガンの下に手を潜り込ませて胸ポケットからマルボロを一本取り出し、黄土色のフィルターを咥える。ライターで火を点けようとするが、ガスが切れているのか火花がいくつか散るだけだ。
ガスコンロの青い火でマルボロに着火させて一口吸い込み、吐き出す。その煙が換気扇へと流れていく様を、ぼんやりと眺めた。
「あっ、味噌なかった」
味噌とライターを買いに行くために、マルボロを吸い終えてから財布とスマートフォンと鍵をポケットに突っ込み、玄関を出る。雲が太陽を隠していて、もう昼前なのにひんやりとした空気だ。
アパートの外階段を下りていると、スマートフォンに通知が入った。
『誕生日おめでとう』
同じ大学の友人からのメッセージだ。すぐに返信するため、階段の途中で一旦止まってスマートフォンの背中をしっかりと持つ。
『自分の誕生日のこと忘れてた。ていうか知ってたんだ?』
『みどりの日に生まれたって言ってたから。今日、二十九日だよ』
そういえば、雑談で言ったかもしれない。当時四月二十九日だったみどりの日に生まれたから、
『よく覚えてたな』
『碧くんの誕生日、祝いたかったんだ』
『ありがとう』と返し、近所のミニスーパーで味噌とライターを買う。自宅に帰って昼食用に安い味噌で作った浅蜊の味噌汁は、十分おいしく感じた。
食後に新しいライターで火を点けたマルボロは、吸われなくても紫煙を上げ、灰を落として少しずつ短くなっていった。
※「櫓のお七」は「八百屋お七」のことです。江戸時代、好きな人に会うために放火という大罪を犯した八百屋の娘の話で、
浅蜊 祐里 @yukie_miumiu
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