第4話 閑話 悪役令嬢エリザベート


 人の心が読める……と、言うほどではありません。

 ただ、昔から、人が背後に纏っている空気を『色』として見ることができました。


 例えば、国王陛下は王にふさわしい金色。

 婚約者である王太子殿下は、汚れのない純白。


 義理の弟は澄んだ青。幼なじみである騎士団長の息子は燃えるような赤。貧民街で拾ってきた専属の従者は優しい緑色。といった具合に。


 魂の色と表現するのが一番正確でしょうか?


 ちなみにお父様は黒に近い灰色。

 どうやら、色が黒に近ければ近いほど心が汚れているというか邪悪な存在であるようでした。


 お父様はともかくとして、幸いにしてわたくしの周りには『邪悪な色』はありませんでした。皆さん一癖も二癖もある方ばかりでしたが、心は綺麗で真っ直ぐな方々だったのです。


 貴族でありながら、本音で付き合える方々との平穏な日々。


 そんなわたくしの人生が変わったのは、一年ほど前。

 わたくしや殿下が通う学園に一人の男爵令嬢が編入してきてからでした。


 ――漆黒。


 男爵令嬢は怖気がするほどの『色』を纏っていました。

 しかも、漆黒は彼女の背後に止まらず、『もや』のように周囲へと広がっています。


 あれはダメ。

 近づくことすらできない。

 生まれつきの邪悪に違いない。


 幸いなことに、わたくしやその周囲の人間は上位貴族。下位貴族であり、さらには庶子である男爵令嬢とは関わり合いになるはずがありませんでした。


 そう、本来なら。


 意識して男爵令嬢を避けていたことが悪かったのでしょうか? 気がつくと、わたくしの婚約者である王太子殿下は男爵令嬢に愛を囁いていました。


 義理の弟は殿下と共に男爵令嬢につきまとい、騎士団長の息子は専属騎士のように彼女の側に立ち、わたくしの従者は、まるで男爵令嬢に仕えているかのように背後に侍っていました。


 そして、陛下不在の卒業パーティーで。


 わたくしは殿下から婚約破棄を告げられました。

 身に覚えのない罪を弟が読み上げていました。

 騎士団長の息子は無理矢理わたくしを床に押さえつけて。

 わたくしの従者は、見たこともない冷たい瞳でわたくしを見下ろしていました。


 お父様は『公爵家の恥さらしだ』とわたくしをその場で勘当し、『このような不届き者は地下牢に閉じ込めておきましょう』と殿下に媚を売っていました。


 友人だと思っていた令嬢たちは私の姿を嘲笑していて。わたくしに取り入ろうとしていた連中は遠巻きに眺めるだけでした。


 親しい者たちからの裏切り。

 無実の罪を着せられたわたくしを助けてくれない周囲の連中……。


 しかし、わたくしには希望がありました。


 陛下が帰ってきてくだされば殿下の乱心を叱り飛ばしてくださるでしょう。なにせ、考えの浅い殿下を公私で支えるために、わたくしを婚約者に選んでくださったのは陛下なのですから。


 陛下がご不在の今、お父様の進言通りわたくしは地下牢に入れられるでしょう。しかし、それも今晩だけのこと。明日になれば陛下が戻ってこられるのですから、すぐにわたくしを牢屋から出して、事実関係を確認後、殿下たちに然るべき罰を与えてくださるはずです。


 そんなわたくしの希望を読み取ったわけではないのでしょうが。


「いやよ! もう彼女の顔は見たくないわ! どこか遠くへ追放してください!」


 男爵令嬢が涙を流しながら殿下にすがりつきました。


 義理の弟による『断罪』によると、わたくしは彼女を虐めていたそうですから。あのような態度を取るのは当然なのでしょう。少なくとも彼女にとっては。


 唖然とするわたくしは、確かに見ました。

 男爵令嬢が勝ち誇ったように口元をゆがめたのを。



 ……あぁ。

 すべてあいつのせいか。


 あいつが悪いのか。



 確信を抱いたわたくしは、しかし抵抗することもできずに(男爵令嬢の取り巻きの一人であった)魔術師団長の養子によって強制的に転移させられて……。俗に『 神に見放された土地アゥフ・ギーブン』と呼ばれる荒野に一人投げ出されてしまいました。


 人は水なしでは三日で死んでしまうと家庭教師の先生に教わりました。

 しかしそれは平常であったなら。


 昼夜を問わずに魔物からの襲撃を受けたわたくしは、たった一日で魔力と体力を使い果たしていました。


 力尽きて地面に倒れ込んだわたくし。このままでは衰弱死をするか、あるいは魔物に襲われて死んでしまうでしょう。


 ――死。


 それは、不思議と恐くありませんでした。

 今のわたくしの心を満たしていたのは――憎しみ。


 あの女。

 王太子。

 弟。幼なじみ。従者。そしてお父様。


 憎い。


 憎い。


 憎い。憎い。憎い。憎い。


 殺してやる。殺してやる。殺してやる。


 たとえ悪魔に魂を売ってでも。

 たとえ魔王に与したとしても。


 復讐できるなら、何だってしてやる。


 だから。


 誰か。


 お願いだから。


 こんな命ならあげるから。


 だれか――




「――悲しいね」




 どこかから声が降ってきた。



「神の因子を持つ『神子』に無実の罪を着せて、こんな仕打ちをするなんて。人間は、本当にどうしようもない子に育ってしまったのかな?」



 声音は幼いのに、なぜだか母親に語りかけられているような気がした。



「私とあなたは、そうだね。赤の他人って訳でもないのだから。そこまで懇願されたら一つだけ願いを叶えてあげるしかないよね。契約によって、あなたの命は終わってしまうけど。それでもいいのなら」



 いい。

 死んだっていい。

 だから、あいつらを――



「何を望む?」



 復讐を。



「どういう風に?」



 あいつらを、殺したい。


 視界の端に、黒い『もや』が映った。

 あの女と同じ。

 きっと、今の私も漆黒の『色』をしているのだろう。黒い『もや』が身体を包み込んでいるのだろう。

 人を恨んで、恨んで、恨みぬいて……。あの女と同じ場所にまで堕ちてしまったのだ。


 でも、それでもいい。


 復讐したい。


 あいつらを、殺したい。


 あいつらの大切なものを奪った上で、苦しませて苦しませて殺したい。



「大切なもの、ね。それは範囲が広すぎるかな。あの女の大切なものは、王妃としての未来かな? 王太子にとっての大切なものは、自分が治めることになる国かな? 義理の弟にとって大切なものは、転がり込んでくる公爵の地位――」



 ――国を。


 あんな国、滅んでしまえばいい。

 貴族も、王族も、みんなみんな死んでしまえばいい。



「壮大な復讐だ。人間が行うには何年何十年もかかるね。一国の滅亡を悪魔に願うには、キミの魂じゃ軽すぎる。国を滅ぼすともなれば、それこそ魔王にお願いしないと――」



 ――魔王を。

 魔王に、国を、滅ぼしてもらう。皆殺しにしてもらう。


 あんな国なんて滅べばいい。

 人間なんて滅びればいい。


 たとえその後に世界が滅んだって……。



「……改めて問おう。神子たるエリザベートよ、その命を捨てて何をこいねがうのか」



 ――魔王の復活を。



「よろしい。いにしえの契約に従い、魔王をキミの亡骸に転生させる」



 それはおそらく神話に語られる伝説。

 初代の神子は命を捨てて奇跡を願い、その身体に神を降ろしたのだという。



「神の名において 祝福を・・・。キミの行く道に幸多からんことを。――これからの出会いが、キミの救いになることを祈っているよ」



 かみさま……?


 わたくしは最後の力を振り絞って『かみさま』を見上げて、そして――







 ――不思議と軽かった。


 死んだのだから身体が軽いのは当たり前ですけれど、それだけではなく、心がとても軽く感じました。


 恨みの感情はなくなっていませんけれど、驚くほど薄くなっていて。身体を包み込んでいたはずの黒い『もや』も消え去っていました。


 もしかしたら。最後に神様が『祝福』してくださいましたから。あの黒い『もや』は消え去ったのかもしれません。


 ……ただ、それでもあの女を許すことはできませんけれど。


 わたくしの足は透けて、地面から少し浮かんでいます。間違いなく幽霊。いいえ、恨みを抱いたまま死んだのだから悪霊とか、怨霊でしょう。ならば復讐をしなければなりません。あの女や王太子たちに……。


「あ、そうですわ」


 神様に魔王の復活をお願いしたのですから、わたくしの亡骸に魔王が降りているはずです。


 わたくしは自分の亡骸を探して――見つけました。


 とてもきれい。


 それはもちろんわたくしの亡骸のこと、ではありません。亡骸に降りているはずの魔王。その魔王の『色』がとても、とても綺麗だったのです。


 陛下の持つ『色』よりもなお高貴な。なお純潔な。金色を超えたまばゆい輝き。わたくしの貧弱な語彙力ではとてもその綺麗さを表現することはできません。


 かつて。

 とても似た『色』を見たことがあります。


 伝説のSランク冒険者。人の身でありながら邪神を討ち、神殺しへと至った『神槍』。その『神槍』の『色』にそっくりだったのです。


 神様との契約なのですから、間違いなく魔王であるはずです。

 でも、こんな綺麗な『色』を持った御方が悪人であるはずがありません。


 わたくしの個人的な復讐に付き合わせることが申し訳なくなるような……。と、そんなことを考えながらわたくしがまだ目を覚まさない魔王に近づくと。


 ごっつんと。


 急に目を覚まして上半身を起こした魔王の額と、わたくしの鼻がぶつかりました。幽霊でなかったら間違いなく鼻血が出ている勢いで。


「――! ――――っ!」


 痛い。

 めちゃくちゃ痛いです。


 しばらく悶絶したわたくしはやっとの思いで立ち上がりました。元とはいえ公爵家の令嬢。不幸な接触事故がありましたが、初めて会う方にはきちんとした挨拶をしませんと。


 わたくしは小さく咳払いをしてから魔王に向けて頭を下げました。


「お初にお目にかかります。わたくし、エリザベートと申します」


 家名を名乗るのは止めておきました。もはやわたくしは公爵家を勘当された身ですから。


「……?」


 魔王からの反応がありません。


「あの、」


 反応無し。


「すみません、」


 反応無し。


「ちょっと!」


 反応無し。



「――無視するなーっ!」




 これが、わたくしとラークの出会いでした。






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