第3話 百瀬クリスという男 1

「景政おじさんは、昔から俺の父と仲が良くてな。その縁で昔から付き合いがあった」


 教授会の次の日の教授室の中、こともな気に言い放った百瀬の言葉に、俺はがっくりと肩を落とす。


「東堂教授って呼べよ、ムカつくから」


 こんなハイソな伝手や人脈がありますよ自慢は、根無し草じみた俺には嫉妬しか感じない。佐竹ーー慎吾、なら、違うのだろうか。


「ていうか何。教授と父親と仲がいいって、お前の親父も芸術関係なのかよ」

「ああ。ニューヨークで画廊の仕事をしている」

「お前ハーフ?」

「そうだが。父がアメリカ人だ」

 

 母が日本人だな、と百瀬は付け加えた。じ、と、百瀬の顔を見る。確かに、日本人にはない肌の白さと彫りの深さである。同じテーブルに向き合って座っているから、顔がよく分かる。


 今の季節は7月。日差しもだいぶキツくて、女子なんかは紫外線対策とか言っていたり、日傘を差している子も多く見かけるようになってきた。俺はもちろんそんな対策をしない。慎吾みたいに紫外線対策をしないと肌が赤くなって痛くなる、という訳でないし日に焼けるってなんか男っぽくて、ワイルドみたいでいいじゃん、と思うような性質である。


「ふーん。金持ちそー」

 

 俺は皮肉たっぷりに言ってやった。学費と家賃は出してもらっているが、生活費は全てバイトで賄う俺とは正反対そうな、優雅な生活を送っていそうだ。しかし、百瀬は、む、とした様子で俺を睨んできた。


「今日、俺は3時起きだ」

「なんでだよ。アニメか?」

「新聞配達のバイト」

「……」


 いけない。一気に親近感を感じてしまった。


「宿は、景政おじさんの家に間借りさせてもらっている。家事を全て行う代わりに家賃は無しだが、画材などを買う金は、全て俺が稼いでいる」

「……そう」


 意外と、アレだな。そこそこ苦労していそうだな、と、俺はパイプ椅子の背もたれにもたれかかった。部屋の中、絵の具の匂いが染み付いていた。

 慎吾から、画材って結構する、というのは聞いている。特に日本画とかヤバいらしい。なんでも、鉱物を絵の具にするのだとか。素人のイメージでも、そりゃ高くなりそうだと思う。


「でも、教授と同居とか羨ましい限りだけどね、僕は」


 俺の言い方が甘い、と感じられるほどの皮肉を込めた言い方だった。俺は、その姿を見て、つい笑ってしまい、百瀬は気まずそうに目を背けた。


「家に帰れば教授がいて。資料も家にたくさんあって。就職先は父親が運営するニューヨークのギャラリー? ふん」

「おおぅ」


 こいつが鼻で笑うなんて。こいつの親には黙っておこう。


「いい身分だね、百瀬」


 奥の小部屋に続く暖簾から現れたのは、俺の親友、佐竹慎吾だった。


「慎吾、教授との話、終わったのか」

「うん」


 慎吾は、俺を見て笑ってから、百瀬を見下した。みおろした、ではない。みくだした。

 こいつ、こんなに器用に表情を変えることができたなんて……! 小学生の頃と大違いだ! 俺は親友として嬉しいぞ慎吾!!

 

「お、お前だって、バイトせずとも、全部出してもらっているんだろう、画材まで……」

「それは否定しないけどね、百瀬」


 そして、慎吾は俺の隣のパイプ椅子に座った。


「……言っとくけど、こいつだって芸術学部行くのに、色々と条件つけられてるんだからな」

「いいよ、悠。確かに、僕だって恵まれてる方だっていうのは否定できないし」


 慎吾は、そう言ってから、何かを振り払うように首を振った。そして、百瀬をしっかりと見つめた。


「東堂教授には、許可もらったから。ヌード画課題、僕と百瀬は同じモデル。分かったね?」

「えぇ」


 百瀬の嫌そうな鳴き声に、俺と慎吾は揃って百瀬を睨むしかなかった。2人分の睨みを向けられた百瀬は、さすがに気まずそうに目を背けた。なんか慎吾と共闘してるみたいで楽しい。

 

 ごそごそと暖簾の奥から、物音が聞こえて、その暖簾の向こうから顔を出したのは、東堂教授だった。


「さ、佐竹くんがあそこまで我を張るとは……」

「教授。こいつのせいで悠は退学されかけましたし、部活だって停部中なんですからね」

 

 分かっています? と、慎吾は教授にまで強い視線を向けた。俺は、それに尚更感動するしかない。慎吾が、ここまで強くなったなんて!!


「それに。こいつの弱点、僕だって知ってます。早く悠を解放するために僕も協力します」

 

 だって、親友ですし、と、慎吾は小さく呟いた。俺は、それにもう胸が一杯になる気持ちだった。


「協力……」


 しかし、嫌そうな顔をしたのは百瀬である。顔を露骨に顰めて、眉間に皺が寄っていた。景政おじさん、と、教授に縋るような目を向けていた。教授は、その視線を受けて、困った様に眉を寄せた。


「百瀬の弱点って何」

「まあ、見た方が早いよ」


 そうして、慎吾はスマホを動かした。カバーも黒い革製の質のいい手帳型のスマホカバーだ。よく手入れされているのが分かる。その中のスマホを真剣な目で動かした後、慎吾は俺にスマホの画面を見せた。


「このファイル、全部こいつの作品だから」


 その言葉に、なぜ、とこぼれ落ちるかのような百瀬の声が出た。それに、東堂教授が「佐竹くんは、研究熱心だからね……」と引き攣ったような様子だった。

 慎吾の取っている講義だと、講師にもよるが出来上がった学生の絵をずらっと学生たちの前に並べて、その場で一枚一枚講評する、なんて事も多いらしい。もちろん作品の写真撮るのをOKな学生とNGな学生がいて、百瀬は割と何でも撮らせていた、と慎吾は言っていた。


 他にも、慎吾は作品の写真を撮るのを許されたのなら、写真を撮って、自分の作品の為に、と研究をしていたらしい。俺の親友は、勉強熱心で立派だな……!


 そんな親友からスマホを受け取って、見る。

 先程、3時起き、というのを聞いて、アニメか、と適当に言った俺だったが、当たらずとも遠からずのようで、アニメ絵の様な作風の画像が入っていた。やはり、うまい。それに、全体的にデザインが目を惹く。ポップで、カラフルで、つい描いたのが百瀬だというのを忘れて、見入ってしまいそうだったーー前半までは。


「百瀬はデザイン専攻だけど、1年のうちは僕の絵画専攻とよく科目が被ってるんだよ。デッサンとか、デザインでも基本だからね」


 デッサン。

 鉛筆で白い紙の上にモチーフをの本質を捉え、写実的に描く、という事だ。これも、うまい。りんごとか色がついていなくとも目の前に浮かび上がってきそうである。何枚かの静物画の後、次に現れたのは、顔が見えない女の絵だった。


「……」


 顔が見えない。

 顔が、見えない。

 顔を、背けている。

 背中を、向けている。


 俯かせて、顔の影を強く描いている。


「お前、顔描く苦手なの」


 流石の俺も、すぐ気がついた。

 

 たくさんのデッサンや絵。静物画はどれも見事な出来なのに、人間の胴体もこれまた見事なのに、なぜか、その人物画は全てが全て、顔が無かった。

 最初の方に戻ってデザイン画を見る。その中にいる人間の姿をじっと見るが、こちらは違和感がない。漫画的な、アニメ的な、イラストの人間の顔は、しっかりと描かれていた。


「そう。こいつ、何でか顔を描くのを避けまくってたんだよね。他はいい出来なのに」


 慎吾は、呆れたようにため息をついて、腕を組んで顔を振った。

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