第2話 それは忘れないでな

ラウラというらしい女性の弟子となって二時間半。空は既に紅く染まり、東の空が暗闇を見せ始めてきた頃合いであるが、なかなか次の町は見えてこない。


というか、次の町を知らない。


「あの、今はどこへ向かっているんですか?」


「なに、分かっていなかったのか!?」


「……まぁ、聞かされてないので」


『そんなことも知らないのか!?』みたいな反応を”そんなことも知らないのかハラスメント”と名付けた方がいいと思う。いや、ネーミングセンスが皆無すぎるだろ。


「このまま東の方へと向かっていけばアクロスという町に着く。少し大きな教会があるくらいで、なんてことない町だ」


「そこへ行ってどうするんですか?」


「まぁ、その町ではお祈りでもするとして、そこを抜けた先にあるフランテというそれなりに大きい街が今のところの目的地だ。そこに私の所属するギルドがある」


「ギルドに入ってるんですね」


「当たり前だ。冒険者である以上、ギルドに入っておかなくては大きい仕事が入ってこないからな。それに、フリーでいると、何かと怪しまれることもある」


「怪しまれること?」


「あぁ。知らないか? 最近は『黒の守り人』と言ったか、そんな犯罪集団が小さな町を襲っているらしい。フリーでも結果を残していればいいが、そうでなければ所属を隠しているのではないかと疑われてしまう」


『黒の守り人』というのは僕でも聞いたことがあるほど、今話題となっている犯罪集団である。小さな町を襲っては金品を漁り、そのためなら殺人をも厭わないという邪知暴虐っぷりである。


「小さな町を襲っているというから大したことない連中なのかと思っていたが、初犯から数か月が経ってもギルドのやつらはその尻尾も掴めないらしい」


魔王が倒されて早二年。その時はついに平和がやって来たかと思われたが、なかなかどうにもそう簡単にはいかないようだ。


「あー、アクロスまではまだ距離がある。もう日が暮れるし、ここで野宿としよう。焚火に使えそうな木の枝を集めてきてくれないか」


ラウラに言われた通り、木の枝を集めている途中、木の陰で何かが動くのが見えた。


よく目を凝らしてみると、どうやら兎のようである。


しめた、と思い、暗闇の中ならば闇魔法の方が良かろうと、木陰から初級闇魔法”ヤミャ”を撃つ。


放った魔法は見事に兎の腹部に当たり、しとめることに成功した。


上手い具合に食料も手に入ったところで、木の枝集めも取りやめ、ラウラがいるであろう場所に戻ると、そこにはもう意識の無い猪がいた。


「なーにやさぐれている」


そう寒くもない夜を明かすには十分だが、先ほどの猪を焼くには心もとないくらいの焚火が二人の頬を撫でていた。


「別に、やさぐれてなんかいないですよ」


本当は自分が捕った兎なんかよりも一回りも二回りも大きい猪をさも当たり前のように捕えているラウラに嫉妬の気持ちが無かったわけでもないのだが、僕とラウラでは純粋な力でもサバイバル力でも歴然の差があるということは分かり切っていたことなので、どうにも生臭い猪の肉を噛みしめ、愚痴を飲み込む。


と、同時に二時間半前のラウラの発言を反芻する。


「私はラウラ、勇者だ」


自分の職を言うのなら戦士とでも言った方が普通であったはずだ。


ならば、何故敢えてそのような言い方をしたのか。


ラウラは兎の肉をよく噛みもせずに飲み込むと、喉に詰まらせたらしく、ゴホゴホと咳をし始めた。……どうにも勇者っていう風貌でもないんだよなぁ。


慌てるでもなく、呆れた表情で水をラウラに渡すと、どうにも照れくさそうに言った。


「いやー、すまん。ギルドの奴らにはよく注意されるんだけど、最近は自分一人の旅が多かったから」


「よく噛まないと太りますよ」


「おい、女性にそういうことを言うな!」


そういうと「んっ、んっ」と咳払いをした。


音色だけを聴けばエロいはずなんだが、この人からする音だと思うと何故か居酒屋のおっさんのようにしか聞こえない。つまり、女性だと認識していない。


「そういえば、あの私は勇者だっていう発言何だったんですか?」


「……改めて聞かれると恥ずかしいな。自分なりにかっこつけたつもりだったんだが」


かっこつけただけの発言だった。


「いや、勿論かっこつけただけではないぞ!! 私は少なくとも君より、というか上級冒険者の中ではトップレベルで勇気のある人間だ。『この猪の肉、ちゃんと火が通ってるかな? でも食えるよな?』って思えるくらいには勇気がある」


「そんな勇気はいらない!! 冒険者として安全確保は第一として必要なことだろ!! というかクエスチョンマークが付いている時点で自分の中で確定していないし、絶妙に勇気を振り出せてない状態だろ!!」


この人についてきたのはやはり失敗だったのかもしれないと思わされた。


「でも、そんなところに突っかかってくるなんて、もしかして勇者にでも憧れているのか?」


即答はできない。でも、憧れていないわけがない。


勇者というのは魔王を倒した者に与えられる称号。それは全冒険者にとって憧れであり、目標であるというのは間違いないことではないだろうか。


「……そりゃ、なりたいという気持ちはありますよ。でも、僕は魔法使いだし。……勇者というのは片手に剣、片手に盾を持った戦士がなるものでしょう?」


そういうとラウラは首をかしげた。


「勇者っていうのは勇気ある者のことだろう? そこに戦士やら魔法使いやらって関係あるか?」


強き者ほど簡単にものを言いやがる。いつだってそうだ。自分は間違っていないと心の底から信じている。弱さを疑わない。できないという事実を認めない。


「じゃあ、戦士以外で勇者だと言われた人を見たことがあるんですか!」


「――そりゃ、見たことはないけど……」


「じゃあ――っ」


そこで僕は言葉を飲み込んだ。今度は何も口に含んでいないまま。名一杯空気を噛みしめて。


無駄だ。伝わらない。理解しようとしていない人に対して何を言っても伝わるわけがない。分かってる。分かってる。今までだってずっとそうだ。


「ちょっと、頭冷やしてきます」


足を素早く運び、焚火から離れる。


そうだ、熱くなってしまったのは焚火のせい。夜風に当たれば叶いもしない夢のことなんて忘れられる。


焚火から離れてすぐに息が上がり始める。これも自分の悪いところ。知ってる。全部分かってる。


少し離れれば、もう辺りは暗闇の中。近づこうとする獣がいても僕には見えない。


どうにも、人に当たってばかりになってしまう自分に心底嫌にやってしまう。誰かに愚痴をぶつけたって、相手が嫌な思いをして、自分もそれで嫌になって、何にもならないというのに。


まぁ、今回は愚痴を寸前のところで飲み込むことができた。これは小さな一歩と言っていいだろう。


勇者に憧れた経緯というのはさして大きなものでもない。


それは僕がまだ小さく、魔法学校に入ってすらいない頃、母に読み聞かせて貰った絵本に出てきた勇者の伝説というのがとても印象に残っていたからという程度のものだ。


幼き頃の――というか割とつい最近までの自分は、いや今でも、自分は特別な存在で、それでいて他人にはない秀でたものがあるのではないかと信じて疑わない瞬間がある。


魔法使いでは勇者になれない。そんなのが詭弁であるというのは自分自身が一番理解している。でも、何か理由を作らなくては魔法学校を出て、とても小さな箱庭から抜け出して、そこで知った自分ではあまりに届きそうもない才能達に、ただ努力の量で負けているという事実に、圧し潰されそうになってしまう。


何処へ行くでもなく歩いていると、向かい風が行く手を阻む。それに何故か安心すら覚えてしまう。


夜風に当たれば、暗くなっていた心も少しは晴れてくる。


さて、何て言って戻ろうかと思っていた矢先、後ろから「カサッ」という音がした。


慌てて振り返り、暗視魔法を使う。


そこにいたのは他の誰でもないラウラだった。笑うでもなく、悲しむでもなく、神妙な面付きでそこに立っていた。


すぐにその顔はほころんだ。


「まぁ、なんだ、うん。勇者って言ったら、確かに戦士だよな。それは認めるよ。でもさ、もし、君が上級冒険者になりたいなら、それを超えて勇者になりたいって言うなら、全部必要だから。それは忘れないでな」


いつになく――いや、出会ってまだ半日も経っていないが――優しい言葉を選んでくれていた。


ラウラ自身も決して苦労しないできたわけではないはずだ。僕と同じ気持ちを持ちながら、それを打倒してきたはずだ。


全部言い切ったのかと思ったが、ラウラはまた振り返った。


「あ、そうだ。さっきの闇魔法、めちゃくちゃ正確だったな。土台がちゃんとしてる証拠だ」


そういうと、ラウラはまたニカッと笑った。


どうにも、救われるにはまだ早い気がしてしまった。

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