それでも勇者になりたくて
@CaiN_Asada
第1話 私はラウラ、勇者だ
逃げる。
逃げる。
心臓は激しく鼓動し、肺からは「ヒューヒュー」と音がしている。
魔法学校出身だということに甘えてしまっていたような気がする。旅をする上で体力が必要だというのは当たり前のことであっただろうに。
まぁ、そんなことを今更悔やんでもしょうがない。
正面から近づいてくる――いや、こちらが走っているのだからこっちが近づいていると言った方が正しいのだろうが――木々を避けながら振り返る余裕もないまま足を動かす。
はて、町では初級のモンスターしか出ない森だと聞いていたのだが、なぜ僕は明らかに僕よりも一回りも二回りも大きい……いや、その表現では足りない、五メートルほどの大きさのマンイーターに追われているのかというと、その原因は、どうしても僕にあるのだろう。
町のギルドで受けたクエストはあまりに簡単なものだった。
「近くにある森から薬草を取ってきてほしい」
多種多様なクエストの張り紙がされた掲示板の中でも隅の方。より詳しく言うのなら右下の角っこにあったどうにも初心者向けのクエストに目を付け、この森へとやって来た。
薬草といえば、この地域ではタジュランという草であり、まさかそんなに取りに行くことが難しいような植物でもない。
そんな植物なら自分で取りに行けと思うかもしれないが、訓練を受けていない商人やらその他一般市民では、僕達にとっては赤子の手をひねる用に容易に倒せるようなモンスターでも命を落としかねない。
なら冒険者がそれを仕入れて売ればいいじゃないかという意見も出てきそうだが、大きな街なら一般流通していそうなものの、薬草なんていうのは冒険者が旅の途中でモンスターに襲われて怪我をした時など、一般市民では有り得ないような大怪我の時にしか使われないため、基本的には冒険者による自給自足というわけだ。
……まぁ、一般市民でも大きな怪我はするもので、例えば建造物を建てている最中に高いところから落ちたりなんかをしたときは使ったりもするが、基本的には療養というのが最も一般的な考えである。(というのも、冒険者という命を張っている職業がある以上、薬草を無駄にはできないという考えのもとである)。
その依頼をしてきたのがどうやら道具屋らしいので、これからは自分の店に薬草を置いて欲しいものだなとはどうしても思ってしまう。
さて、長々と長考するのに(頭痛が痛い的な表現)時間を無駄にしたような気がするが、それでもマンイーターは僕のことを追ってくる。ここまで追って来られると僕に好意があるのではないかと感じるレベルである。
実際はそんなこともなく、捕食対象としてしか僕のことを見ていないのだろうが。
肺よりも足腰が先に限界を迎えそうになって来たので、遂にこの長いモノローグの中でずっと動かし続けていた足を止め、マンイーターの方へと身体を向ける。
そもそも敵がいる方へと背中を向けてはならないというのは戦士の鉄則らしいが、基本職が魔法使いである僕にとってそんなのは鼻をかんで捨てるほどのものでしかない。
ずっと見ていたら首が痛くなりそうなほど大きな生体を前にどうにも怖気づいてしまうが、そろそろ惜しむべき命が失われようとしている頃合いである。
震える足を確かに感じながら、剣先をマンイーターへと向け、僕はすぐにも消え入りそうな声で詠唱を始める。
「ファヤ!!」
初級炎魔法”ファヤ”。初級魔法のため詠唱時間はそんなに長くない。
小さな灯火が人の顔くらいの大きさへと広がり、マンイーターの方へと向かっていく。
植物には火の魔法が効くというのは教科書を読まずとも分かるような知識に思われるだろうが、残念ながらそれは誤りである。
植物に火が付くというのは、山火事というものを連想するからなのだろうが、それは空気が乾燥していて、それでいて落ちた枝葉があるから成り立つことであって、こんな湿度の高い、それも生きた植物相手にどれだけ松明を当てても火がつくことなんてそうそうない。
僕が折角放った炎魔法はその大きな蔦で羽虫でも払うようにかき消されてしまった。
万事休す。
絶体絶命。
もう他に魔法がないなんてことはないが、どれも所詮は初級魔法。この森の中でも並外れて強いモンスターを倒すには威力があまりに足りなすぎる。
甘んじて死を受け入れようとしたその時だった。
背後から強い熱風が押し寄せ、僕のものとは比べ物にならない程大きな炎が一瞬にしてマンイーターを包み込んだ。
「大丈夫だったかい?」
強い。
あまりにも強い。
すぐに振り返ろうとしたが、情けないことに僕の足は完全にすくんでしまい、腰が抜けるというのはこのことかと肌身をもって感じた。
首と目だけで後ろを振り返ると、そこには初級の森にいるにはあまりに異質な程頑丈そうな鎧を身に纏った女性が立っていた。
上級冒険者なのであろう。どうしてこんなところにいるのかは分からないが、その魔法はあまりにも凄まじかった。
「あー、これは完全に腰が抜けちゃっていますね」
「……そうか」
女性は僕に差し出そうとしていた手をそっと腰の横へと戻した。
魔法学校にいた頃から、それは凄い魔法を撃つ魔法使いは両手に収まらない程見てきたが、この女性は上級冒険者の中でもかなりの魔力を持っていると窺える。
「弟子にしてください」
「断る」
僕は頭で文字を作り出すよりも早く口から言葉を漏らしてしまった。
そして、それを脳が理解するよりも早く断られてしまった。
「早いですね。『悪いが、弟子は取っていないんだ』みたいなやつですか」
「まぁ、そういったところではあるが、それよりも純粋にあの程度のマンイーターに腰を抜かすような弱いやつを弟子に取る気なんて更々ない」
出会って数秒の人に弱いやつ認定をされてしまった。
そのショックに浸る暇もないうちに女性は僕の前で腕を組み仁王立ちになった。
「何故マンイーターに襲われた?」
「何故というのは分からないですね。奥地に入りすぎたのでしょうか」
「何故奥地まで?」
薬草を取るために……というのは通じそうにもない。
先程言った通り、薬草というのは冒険者ならば取りに行くのにそんなに苦労しないような植物である。
奥地にまで足を運ぶ必要なんて全くもってない。
「聞き方を変えよう。何故マンイーターにちょっかいを出した?」
「……何故、というのは?」
確信を避けようと、無駄な抵抗を示すしかない。
「冒険者なら分かっているはずだ。あれほどのモンスターならばこちらから攻撃でも仕掛けない限りわざわざ襲ってこようとしない。食虫植物というのは知能が低いから、人間の強さを図ることができない以上、なるだけ関わらないというのがあいつらの筋だ。それでいて襲われたということは何かあるのだろう?」
僕は沈黙した。これ以上話せることは無かった。どんなことを言ったとして、言い訳交じりになってしまう。
その時だった。物陰から泣きじゃくった声で少女がこちらへと向かって来た。
やって来るや否や、僕の抜けた腰に向かってダイブしてくる。痛みはないが、なんだか心苦しいものがある。
「その子は?」
重苦しい表情で女性はこちらを見つめてきた。
流石にこれ以上隠しておく必要もあるまい。
「迷子の子です。このリボンには見覚えがある。確か道具屋の子でしょう」
「何故そんな子がここに?」
この人何故が多いな……。
「何故かは分かりませんが、この森の奥で泣きじゃくっていたんです。おそらく、それを攻撃だと判断したのでしょう。マンイーターが少女に攻撃しそうになっていたんです」
彼女が何故という度に僕が何故という回数が増えていく。
少女を見やると、安心したような表情ではあるものの、未だ体は強張っており、何かに怯えているようだった。
「どうしてこんな森に一人で入ったりしたんだ?」
「怒る?」
「怒らないから」
少なくとも僕は。
「あのね、お父さんが、お仕事をしているときに、機械に腕を挟んじゃって。怖くて。でも、お父さんに治ってほしいから、薬草が欲しくて」
薬草というのは前述通り、モンスターに襲われたときや大きな怪我をしたときにしか使われない。道具屋の主人も余程大きな怪我をしたのだろう。――それは少女には見るに堪えないような。
父親に怪我を治してほしいからというのも嘘ではないだろうが、その実、親の大層な怪我なんて見たくないし、血の匂いなんて嗅ぎたくもないというところだろう。
「少年、私は君のことを見くびっていたようだ。先程、腰抜けクソ雑魚超ド初級魔法使いだという発言を訂正されてくれ」
「そもそもそこまで言われていない!」
「言葉に出さずともそう思っていた」
「そんな風に思っていたのか! 僕の尊敬の念を返せ!」
「人の気持ちを汲み取ることは冒険者として必要なスキルだぞ」
「そんな気持ちなんて汲み取りたくも受け取りたくもない!」
どうやら実力者というのは弱者の気持ちがわからないものらしい。
「そんなことはさておき」
「そんなことだ? 僕の踏みにじられた気持ちはどうしてくれる!」
「それについてさ。君がどれだけクソ雑魚超ド級初級間抜け魔法使いだったとしても」
「おい、さっきまで間抜けは無かったぞ!」
「話を遮るな。君がどれだけクソ雑魚超ド級初級間抜けロリコン魔法使いだったとしても、少女を助けるなんていうことはそう簡単にはできないことだ」
「お前が心無い単語を付け足したせいで、まるで悪意を持って少女を助けたみたいになっているじゃないか!」
「師匠に対して『お前』とは失礼な奴だな」
「誰もお前を師匠にした記憶なんかない」
「君が言い出したんだろう? 弟子にしてほしいと」
そうだった……。
その強力な魔法を見たからという程度のことでこの人の弟子になろうだなんて魂胆が間違っていた。今度からはちゃんとその人の人となりを確認しなくてはならない。
ただ、その今度というのはこれから先、来そうにもなかった。
少女を道具屋へと送り――終始、少女はわんわんと泣いていた――、その道具屋の主人の肘から先のない右腕を見て、ようやく薬草をどこかに落としてきてしまったことに気づいた。
「すこぶる君は役に立たないようだね」
と言いながら女性は自分の持っていた薬草を道具屋の主人に手渡した。
これでクエストは達成である。
まぁ、僕は肝心の薬草をどこかに落としてきてしまったため、少女を助けたという事実はあれど、クエストをクリアしたのはどちらかと言えばこの女性なのだが。
名残惜しくも始まりの村を後にした直後、女性は先程の報酬を僕の方へと向けてきた。
「報酬は君が受け取ればいい」
「いや、僕は結局何もできていないですよ」
「やれやれ、そんなお人好しでこれまでどうして生きてこられたのか、不思議でたまらないよ。いいかい、自分の利益になりうることは多少のリスクを背負いながらも得るべきものだと思うよ」
「リスクがあるんですか!?」
「あぁ、もちろんだとも。先程は弟子と言ったが、正確には奴隷だ。そう、君は私の奴隷になってもらう」
「奴隷だと!? 一体どんな地下労働が待っているというんだ!?」
「地下労働だと? 笑わせるな。君の知見は古いようだな。トレンドは性奴隷だ」
「なんだと!? 女性限定のものだと思っていたぞ!!」
「男女差別はよせ。これからは男が性奴隷になる時代だ」
「くっ……弟子入りを甘んじて受け入れてしまったのが僕の人生で一番の失態だ!!」
まず受け入れてなどいない。提案したのが僕だ。
「あのぅ、もういいですか」
「なんだ……ってうわ!!」
背後にはボス級のオークが立っていた。
「楽しそうに話していたから、なかなか入れなくて……」
「オークなら不意を突いて襲ってこい!!」
襲って来られていたら僕は死んでいただろうが。
途端、烈火の如くオークは炎に包まれた。「烈火の如く」という言葉を本当に炎に繋がる枕詞として使ったのは僕が初めてなのではないだろうか。
「そういえば、忘れていた」
豚の焼ける匂いがするのがこんなにも惜しく感じたことはこれまでもこれから無いことだろう。激しい炎を背景にし、髪を靡かせているその姿はこの世のものとは思えないほどに美しく感じられた。
「私はラウラ、勇者だ」
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