第一話 世界を視る者と英雄(1)
「見ていましたよ、救世主様。あのドラゴンの攻撃など、目を閉じていても避けられると言わんばかりの動き! そしてあらゆる攻撃を弾く竜の鱗すら、救世主様の刀の一振りの前では何の意味も無し──流石は私が見定めた男です! ……ええと、続きは何だっけ……」
顔をしかめているリンを前にして、長い金髪の少女は大袈裟な身振り手振りを加えながら、謳うようにリンを称えていたのだが、その最中にちらりと手元に視線を落とした。良く見れば、紙切れが少女の手の中にあった。どうやらあらかじめ書いていた台詞を、ど忘れしてしまったらしい。
だがリンはそんな少女の演劇めいた賛辞には「はいはい」とだけ返すと、椅子にどかりと腰を落ち着けた。テーブルの上に用意されている美味しそうな茶菓子のひとつを手に取ると、それを口に運ぶ。
あまりにも素っ気ない反応のリンに少女は「っはあ~……」と盛大な溜息を吐くと、人差し指の指先をびしっとリンに突き付けた。
「あのさあっ、きちんと出迎えた私に対してその反応は無いんじゃない? いくら何でも対応が塩すぎるでしょ! 君、今回が記念すべき日だって言うのは理解してるの?」
「記念? ……何の?」
「ほーら、やっぱり覚えてない! これだよ、これ!」
少女は手を広げて、リンに見せた。その手を上下にぶんぶんと振る少女だが、肝心のリンは何のことかまったく分かってはいないようで、どうでも良さそうに茶菓子を食べ続けている。
「あー、もう! 今回で丁度、五十回目だよ!? 君が世界を救ったのは! つまり、異なる五十もの世界を危機から救ったってこと! それなのに、何なのその反応! いつから君はそんなんになっちゃったの!?」
「最初からこんなもんだったろ。それよりもアリス、コーヒー淹れてくれ。濃いやつな」
怒り半分、呆れ半分といった様子の金髪の少女をリンはアリスと呼んだ。彼女自身が、リンと出会った時にそう名乗ったのだが、そもそもそれが彼女の名前であるとはリンは思っていない。リンが呼びやすいように、そう思いついて名乗っただけなのだろう。
『世界を視る者』と彼女はまず、リンにそう言ったのだ。
◇
リンは自分がいつ、どの世界で生まれて過ごしたかというのを殆ど忘れてしまっていた。というのも、世界を救ってその世界から消え、また別の世界へ──というのを都合五十回も繰り返していれば、自分の生い立ちを忘れても仕方ないのかも知れない。だがリンと同じ境遇の人間が他にいることはあり得ないので、リンの気持ちを理解できる人間はいないだろう。
だがアリスと会った時のことは、鮮明に覚えている。この大量の本が並ぶ書斎らしき部屋で目が覚めたと思ったら、彼女が目の前にいたのだ。アリスはぶ厚い黒い本をぱらぱらと捲りながら、リンにこう言った。
「私はアリス。まあ、呼びやすいようにそう名乗っておくよ。『世界を視る者』なんて、毎回呼ぶのも呼ばれるのも馬鹿らしいだろう? ……さて、君をここに連れて来たのは、ちょっと頼みたいことがあるからなんだ。聞いてもらえるかな?」
「まあ、暇だし別に構わないが」
「あはは、良いね。全然怯えた様子も、戸惑った様子も見られない。流石は私が数多に存在する世界から見つけた、英雄になるべき男だ」
アリスは目を細めて笑った後、「さて」とその表情を真剣なものに変えた。それから目の前に立つリンに、アリスは囁くようにこう言ったのだった。
「君、誰かに殺されるまで、世界を救い続けてみるつもりはあるかい?」
「また随分と、ぶっ飛んだ誘い方をするもんだな。殺されるまで世界を救い続けろ? 休みなく働けって言っているようなもんか? そこまで労働に喜びは抱いちゃいないが」
肩をすくめるリンは、アリスの誘いを本気としてはいなかった。なかなか楽しめる夢を見ているぐらいの感覚なのだろう。だがアリスは「大真面目さ」と言いながら、リンに一冊の本を投げ渡す。その本をリンが受け取ったのを見てから、アリスは中身を確認するように促した。怪訝そうにリンは受け取った本を適当に開いてみるが、その表情が驚いたものへと変わる。ページを捲り、その本の内容を確認したリンは「おい」と、アリスへ視線を向ける。
「何なんだこの本は。内容どころか、書いてある文字すらさっぱり読めないぞ。見たことも無い文字だ」
「それはそうだよ。君がいる世界とは、別の世界の文字で書かれた本なんだから。ちなみに内容は、その世界で暴れまわっている魔獣に関すること。その世界にいる人間たちじゃ、太刀打ちできない手強い奴さ」
「お前が適当に書いた本なんじゃないのか?」
とリンが疑いの言葉をかけたと同時に、アリスは更に数冊の本をリンに向かって放り投げる。その全てを器用に受け止めたリンはそれぞれの本の中を確認してみるが、いずれの本もまったく別の見たことも無い言語で書かれたものだった。だがこれらの本もアリスの言う、別の世界の言語で書かれたものだとしたら、リンが一文字も読めないことは頷ける。
「……どうやら、本当みたいだな」
「信じてくれた? その本も全部、それぞれの世界の危機について記されたものさ。私はあくまでも『世界を視る者』だから本来は干渉すべきじゃないんだけど、あまりにも危機に直面している世界が多くてね──そこで私のお眼鏡に適ったのが、君という訳さ。……で、どうする? さっきの話、受ける? 断ったら、君の安全を保障できないかもなあ」
受け取った本を両手で抱えているリンに、アリスは微笑む。可愛らしさの中に、どこか得体の知れない何かを感じさせる微笑みだった。
そんな微笑みを見せられたリンが下した結論は──。
◇
「迷うことなく、「ああ、いいよ」だもんなあ。あれには流石に私も驚いたね」
「思い切り脅していたくせに、よく言う。まあ、俺も楽しめると思ったからな」
リンとアリスの二人は椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合いながらコーヒーを飲んでいる最中だった。出会った時のことをしみじみと思い出していたアリスだったが、「でも私の想像以上だったね」とコーヒーカップを置き、頬杖をついた。
「ぶっちゃけた話、いくつかの世界を救って死ぬかと思ったんだよ、君は。だけど気づいたら、五十もの世界を救っている大英雄だ。……異能云々に縛られていないっていうのが、まさかここまで強いなんてね」
アリスがリンを見定めた大きな理由がそれである。数多く存在している世界には、尋常ならざる能力を持った人間も当然いる。それらはその世界では凄まじい力を発揮するのだが、アリスがその力を持つ者たちを選ばなかった原因も、またそれであった。
要は「その世界で使えている力が、別世界で使えるとは限らない」からだ。世界が変わるというのは、取り巻く環境全てが変わるということ。その中で同じように能力を使えるという保証など、どこにも無い。もし使うことができなかったら、ただの無力な人間に早変わりだ。
だがリンはその能力に関係無く、単純に強い。純粋に強いということは、どの世界においても圧倒的なアドバンテージとなるのだ。だからリンを見つけた時は、彼しかいないとアリスは思ったのだが、その強さはアリスの想定を遥かに超えていた。
「で、今回のあのドラゴンはどうだった? 少しは楽しめたかな」
「まったくだ。雑魚もいいところだろ、あんなデカいトカゲ。……ああ、結局、どうやって喋れるようになったのか分からず終いだったな」
はあ、と息を吐いたリンは濃い目のコーヒーを一口飲む。竜王と呼ばれたドラゴンも、リンにとってはその程度だったということだ。退屈を通り越して、殺伐とした雰囲気を漂わせているリンをアリスは心配していた。少しだけではあるが。
「うーん、何かどんどん荒んでいくねえ。最初の頃はもっと使命感があったような気がしたけど」
「五十回も世界を救ってりゃ、こうもなるだろ。もう作業に近い」
世界を救うのを作業とまで言ったリンに、アリスは「これはちょっとあれだね」と前置きを入れた。あまりにも抽象的だったので、リンはアリスの言うところが何なのか分からないようだ。
そしてその肝心なところを、アリスは口にする。
「しますか、リン。気分転換を。世界を救うの、ちょっとお休みしよう」
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