第二話 世界を視る者と英雄(2)
「いきなり何を言ってんだ、お前は」
「リンの為を思って提案したんじゃないか。世界を救っておきながら、だるそうにコーヒーと茶菓子を味わうのは正直、末期だね。ここで間を挟むのも重要だなと思ったんだ」
呆れたように言うリンに、アリスはうんうんと頷いて見せる。気分転換とは言われても、具体的に何をするのかリンには全く思いつかない。
アリスと出会って、契約を交わしてからというもの、ひたすらに世界を救い続けてきた。確かに最初の頃は使命感というか、今よりもずっとやる気はあったと自分でも思う。リンが今まで赴いた世界でも、友情のようなものを育んだことはある。しかし結局、リンが世界を救ってしまえばその世界にもう用は無くなってしまい、また別の世界へというのをひたすらに繰り返してきた。
そしていつからか、その世界にいる人間たちと関わるのを殆どしなくなっていった。いくら親しくなったとしても、リンが同じ世界に留まることは無いのだ。ならば出来るだけ無駄を減らし、その世界の脅威を排除するのが効率的だと考えるようになった。
つまりは作業的に、リンは世界を救うようになっていった。リンを窮地に追い込む敵がいればその考えも変わったのだろうが、今回に至るまでリンに危機感を与えるような敵が現れることは無かった。
「まー、君を楽しませるというか命の危険を感じさせる敵がいないせいっていうのもあるんだけどね。……でも、もしそうなったら君はアレを使うだけか」
「誰が使うか、あんなもん。そうしたくないから、ここまで強くなったんだよ俺は」
「その結果がリンに退屈をもたらすことになるとはね。皮肉にも程がある」
忌々しそうに呟くリンに、アリスも思うところがあるのか小さく息を吐いた。リンがコーヒーを飲み終え、カップを皿の上に置いた後、少しの間沈黙が流れた。
この空気を変えようとしたのか、「それはそれとして」とアリスは笑みを浮かべる。
「そんなリンに、行ってもらおうと思っている世界を見つけたんだ。その世界は特に危機が迫っているという訳じゃないんだけど、なかなかに面白そうでね──今の君にとっては、良い気分転換になるんじゃないのかな」
とアリスは言いながら取り出した一冊の本を手にし、ページをぱらぱらと捲っていく。恐らくはリンには読めない言語で書かれたものなので、本を覗き込んで中を確認しようという気は、リンにはなかった。
「世界を救うためにお前と契約をしたんだろ。その必要が無い世界になんて行ってどうするんだ」
「だから言ってるじゃないか、気分転換だって。それにリンに行ってもらおうと考えている次の世界は、どうも様々な世界から干渉を受けているようで──その結果、日常的に魔物やら怪物が現れているらしい」
「様々な世界から干渉を受けている?」
「ああ。雨が降りやすい場所とか、雪崩が起きやすい場所とかあるだろう? その究極版と思ってくれ。数多に存在する世界が奇跡的にも重なり合う所に、その世界は存在しているんだ。これは例が無いね」
アリスはその世界についての説明が書かれた(と思われる)本を読みながら、ふんふんと頷いている。手持ち無沙汰なリンは脚を組み、アリスの次の言葉を待っていた。
「ふうん、どうやら長い間そうなった結果、その世界の人々は魔物や怪物と戦う様子を配信して、他の人たちに見てもらうことが大きな流行になっているようだね。人気配信者にもなればそれで得る利益で生活を送っているようだし、沢山の競争をしているようだ。まあそうなるにはいくつかの条件はあるみたいだけど、君なら何の問題も無いだろうね」
「……おいちょっと待て、アリス。お前の言っていることが、何一つして理解できない。それは俺が馬鹿だからじゃないと思いたいんだが」
「あー、ごめんごめん。私もこんな風に、ある種の娯楽としている世界なんて初めて見たからね。驚いているんだ、つまるところ。君が理解できないのは当然さ」
アリスはぱたんと本を閉じ、アリスが言った今の内容をまったく把握できていないリンに笑いかけた。いくら頭を捻ってもその世界のことが想像できないのか、リンはしかめっ面を浮かべている。
「まあここでいくら説明をしても頭に入らないだろうから、いつものようにリンを別世界に送ったら、その瞬間に頭の中に情報を入れるよ。そうすれば私が言っていたことも、理解できる筈さ」
「送られる情報量が多すぎて、頭が爆発しなきゃいいけどな」
「大丈夫大丈夫、あくまでも私が送るのは情報。リンが実際に見て聞いて、そして体験して初めてその世界のことが分かるんだから。それに──随分と忘れているんじゃないの? その新鮮な感覚。世界に送られて、作業的に敵を倒してはい終わりなんて、英雄としてはあまりにも寂しいと思わない?」
「……どうだかな」
アリスの問いかけに、リンははぐらかすように呟いた。しかしその呟きは、殆ど肯定だと思ってもいいだろう。事実、リンはアリスに対して文句を言ってはいなかった。
実際のところ、リンはその世界のことに興味を抱いていた。どんな所なのだろうと、少しワクワクしている自分がいることに自分自身で気づいている。
だからリンは、アリスに質問をした。
「その世界に行ったとして、俺は何をすればいい? 倒すべき敵もいないんだろ?」
「何をすればいいかって? うーん……別に何もしなくていいよ。君が戦いたくなければ、それでも問題無いし。ただその世界でしばらくの間、過ごしてみればいいんじゃないかな」
「また随分と適当だな。『世界を視る者』が聞いて呆れる」
「気分転換だって言ってるでしょ。これをして欲しいなんて言ったら、それにならないじゃん。たまには英雄じゃなく、一人の人間として過ごしてみなよ」
英雄じゃなく、一人の人間として──その言葉を聞いて、リンはこの書斎の天井を見上げた。
アリスの誘いを受けたのも好奇心からだ。そもそも英雄になってやろうという野心や願望はリンには無く、アリスと出会わなければ年齢を重ね、その内に寿命で死んでいただろう。
世界を何度も何度も救ったのも英雄としてではなく、リンという一人の人間がそれを選んだからだ。本当にリンが高尚な人間で、冒険譚で語り継がれるような英雄そのものであったら、世界を救うことにうんざりなどしていない。
そういう点で考えれば、『世界を視る者』──アリスは人選を間違ったとも言えるが、それも今更だ。言ったところで、元の世界にリンを帰すことはしないだろう。
ならば一人の人間として久しぶりに、好奇心を抱いている世界に行って過ごしてみるのも悪くは無いかと、リンは思ったのだ。
「出発はいつにするんだ?」
「ん? そうだね、君が良いと言えばいつでもその世界に送り込むけど」
「じゃあもう少し待ってくれ。しばらく寝る」
「コーヒー飲んだ後で寝れるの? ていうか、歯を磨いてから寝てくれよ。虫歯持ちの英雄なんて、私の趣味じゃ無いんだけど」
「お前の趣味なんて知らん。……ちょっと聞くが、俺を選んだ理由は他にあるのか?」
「君を選んだ他の理由? ああ、それは──顔かな。不細工な英雄なんて論外でしょ、見た目から気にしていかないと」
「その理由を最初に知っていれば、多分受けなかっただろうな」
そんな会話をした後、リンは椅子に座ったまま目を瞑った。リンは基本的にどこでも寝れる。これもまた、様々な世界に行くにあたって非常に重要なことなのだ。
アリスの小言を聞きながらだったので、眠りにつくのに少し時間はかかってしまったが。
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