聖女は皇女を狙っている

りょーめん

第一部 聖女と皇女

序章 聖女は皇女の命を狙っている

 朝から降り続いていた霧のように粒の細かな雨が止んで、流れる雲の隙間から白い光の柱のような陽射しが地上へ差し始めた。


 ごとごとと揺れる馬車の荷台の上で、私は雫のしたたるフードを肩に下ろし、荷馬車の後ろに流れていく景色を眺めた。


 どんよりとした曇り空を鏡のように銀色に輝く水面に映す水たまりが街道のあちこちに浮いている。


 「そろそろ目的の場所まで着きますでな」


 雨の染み込んだ外套を膝の上で畳んでいると、御者台の上の老人が私を振り返って告げた。


 「この先の丘を越えたら街が見えてきます。雨も止んだし、街並みを眺めなさったらええです」

 「……そうします。ありがとう」


 私が小さく頭を下げると、今朝、近くの農村から運んでくれているその農夫の老人はかすかに微笑んで、手綱を握って前方へ向き直った。


 〈大陸正教会〉の熱心な信徒だという彼は、私をなんの疑いもなく馬車の荷台に乗せて、運んでくれている。


 私は胸元に隠していた聖印を取り出し、掌の上に乗せて見詰めた。


 〈大陸正教会〉の修道女の中でも特殊な力を持った者に『聖女』の称号と共に与えられる金の聖印──


 (……でも、私は……。私の力は……)


 歪んでしまった。

 歪んでしまって、二度と元のようには戻らない。


 気付けば、自分の左手を覆う薄手の手袋を憂鬱な眼差しで見詰めていた。

 一つ息を吐き、私は馬車の荷台の上で顔を上げたる


 その視線の先に──なだらかな丘を乗り越え、城壁に囲まれた都市が姿を現した。


 〇


 雑然とした印象を与える建物が密集したその都市を囲う城壁は、そのそばに近づくと見上げるほどに高かった。


 馬車は城壁の外にも無秩序に広がる、雑然とした粗末な建物の間を通り過ぎる。

 私は、城壁の周りに暮らす粗末な身なりの、種族も雑多な人々の姿を眺めた。


 「あんまり見ねぇ方がええですだよ、聖女様」


 御者台の上からここまで運んでくれた老人が横目に振り返る。


 「あちこちからあぶれたはぐれ者が集まってできた集落でさ」

 「そうなん、ですか」

 「短い間に街が大きく立派になったぁいいが、流民も寄り着くようになっちまいましてね。わしらぁ村でもよそ者をよく見かけるようなりました」


 老人が嘆息たんそくするのを聞きながら、私は水たまりの上で一緒にはしゃいでいる獣人種と人間の子供たちを眺める。


 大陸の大きな都市の周りにはこのような流民が集まってできた街が増えているのだという。だが、実際にその光景を目の当たりにしたのは初めてだ。


 流民の集落の中を通って城壁の門にたどり着くと、衛兵が一人一人、街に入ろうとする者を検めていた。


 普段から農村の野菜を町に運んでいるという老人が手形を取り出すのを見て、私も胸元の聖印を服の上から握り締める。


 ──〈大陸正教会〉の聖印は身元の確かな保証になる。

 聖女ともなれば──深く追及はされないだろう。


 そう思っていると、馬車の横をみすぼらしい身なりの獣人種の女性が駆けてきた。


 「すみません!すみません!通してください!」


 街に駆け込もうとしたその女性が衛兵に阻まれ、懸命に頭を下げる。


 「おい、手形のない者や身分の不確かな者を入れるわけにはいかんのだぞ!」

 「わ、分かっています。でも、坊やが、急病で、お医者様に……」


 衛兵に威圧されて、獣人種の女性は怯えながらも胸に抱いた幼い子供をぎゅっと抱えて、深々と頭を下げる。


 「今すぐお医者様に見せた方がいいと言われたのです!それで……!」

 「言われても駄目だ!許可がなければ通せない!お前らもよく分かってるだろ!」

 「そこをなんとか……!」


 目の前で起こった押し問答に、私は思わず馬車の荷台を飛び降りた。


 横目に御者の老人が引き留めようとする姿も見えたが、ぐっと下腹に力を込めて押し問答している衛兵と獣人種の女性に向き合う。


 「あの……よろしいですか?」


 横から声をかけると、獣人種の女性が振り返る。

 その目尻に透明な涙の粒が浮かんでいるのに、私は小さく頭を下げてから彼女が胸に抱く子供の額に触れた。


 熱がある。子供が演技している様子もない。

 私は、少し躊躇ためらった後で左手の手袋を外し、子供の体に触れた。


 聖女の癒しの力は、一概には言えないのだけど、精霊種が魔素を感じ取るように人の生命力を知覚することで操れる力だと私は思う。


 子供の小さな体の中にある生命力を感じ取って思わず安堵する。


 (……大丈夫。この程度、なら……)


 私はふうっと一つ息を吐いて、子供の痛みを抑えるよう生命力に干渉した。

 すると、目に見えて苦悶の表情を浮かべていた子供の顔が和らぐ。

 それを見た母親が「ああ」と力が抜けたような息を吐き、地面にへたり込んだ。


 「食あたり、だと思います。一時的に症状と、痛みを和らげただけなので……ここから、お医者様に見せた方がいいですよ」


 私は母親にそう告げると、衛兵に向き直って背筋を伸ばした。


 「この人、嘘は言ってません。急病人に間違い、ありません。手近なお医者様の所まで付き添って、手当だけでも受けさせてあげられませんか?」

 「あんたは……」


 城門の衛兵が困惑した様子で顔を見合わせるのに、私は胸元から〈大陸正教会〉の聖女の聖印を見せる。


 詰所の衛兵たちが、一瞬ざわめく。

 その場で責任ある立場らしい衛兵が、私の胸元の聖印と顔を見て頭を下げる。


 「……了解しました。おい」


 そして、その場にいた衛兵の一人を指して、獣人種の母親につける。


 「馬養通りに医者がいたろ。そこまで案内してやれ」

 「はっ」


 そう言って、衛兵は獣人種の母親をつれて詰め所を出て行く。

 獣人種の母親は呆然としていたが、衛兵に手を引かれ立ち上がると、私の方を振り向き「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。


 私は、とにかくこの場が収まったことにほっと胸をなでおろし、聖印を再び懐へと戻した。


 〇


 『聖女様、この街でいちいちああいう騒ぎに首を突っ込んでいたら、身がもちませんで」


 再び馬車に乗って街の通りに出たところで、老人が呆れた風につぶやく。

 私は身を縮めて小さく頭を下げた。


 「すみません。でも、見過ごせなくて……」

 「……まあ、そういう所が聖女たる所以ゆえんなのでしょうがねぇ」


 老人が御者台の上でそうつぶやいた途端、不意に辺りが賑やかになった。


 「おっと……」

 「なにか、騒ぎですか?」


 あたしが荷台の上で身を乗り出すと、老人がかるく首を振った。


 「いやあ、珍しいことじゃありませんで」


 老人が太い指で前方の通りを指差すのに、私はその先に目を向けた。


 ──「この迷宮街……〈ソルディム〉にとってはね」


 老人が通りを覗ける場所まで馬車を進めたので、私も御者台に乗って身を乗り出す。すると、通りを武装した探索者らしい一団が通り過ぎる所だった。


 華やかな外套や鎧を身に着けた軽く数十人はいる探索者たちを、通りに出た人々が歓声を上げて出迎え、小さな色とりどりの花弁が宙を舞っている。


 「聖女様は運がいいでな」


 その威風堂々とした面々を見て、老人が微笑んだ。


 「彼らが今、一番この街で高名な迷宮の探索者集団でさぁね」


 私は、その集団の真ん中で祝福を受ける一人の人物を見て、目を見開く。


 「〈帝都〉のヴァレンシア皇女の率いる〈黒き塔の旅団〉でさあ」


 老人の言葉が遠く聞こえる。


 (皇女……彼女が……)


 一団の中にいる艶やかな飴色の革鎧を身に纏い、細剣レイピアを腰の精緻せいちな細工の施された鞘に納める少女。

 大勢の人々の祝福を受け手を振り返す、堂々と振る舞う凛とした姿。


 私の視界の中で彼女以外の存在が色を失う。

 自分の胸の鼓動の音だけが聞こえる。


 私がこの街に──迷宮ダンジョンと呼ばれる異空間につながるこの都、〈ソルディム〉に〈大陸正教会〉から遣わされた理由。


 私は──


 聖女わたし皇女あのこの命を狙っている。

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