第10話

 高原に吹き渡る風は快く、各所に点在する森林は牧歌的でさえある。

 険しい山脈を中心に下弦の三日月のごとく大森林が広がり、その緑に抱かれるように拠点があった。なだらかながら高低差のある丘陵の道先で、鉄門扉の格子が建物を透かし見せる。一瞬の人影が過ぎる。

(あれは…?)

 気のせいかと首を振り、レーヴェンは門扉の前で馬を下りた。

 振り向いて後続の人々に告げる。

「これから我々で突入する。皆は、様子を見ながら部下についてきてくれ。」

 頷く人々に、彼は仲間達と目配せして門扉を開く。敷地内へ警戒しつつ入る。

 門扉をゆっくり開けば耳障りの高音が鳴るも、咎める者は出てこない。どころか異様な静けさに一行も村の人々も困惑した。人の気配すら稀薄なのだ。

 だが前触れなく大きい物音がして彼らは一斉に建物を見上げる。二階の張出台(バルコニー)に人影が飛び出す。追ってもう一人も出てくる。

 彼らは声を殺して様子を窺う。張出台の二人は気付いていないようだ。

 レーヴェンは手振りで合図し、静かに建物とへ近づいていく。地形の高低差と点在する樹木のおかげで、低地の人々は気付かれずに様子を見守ることができた。

 その張出台で二人が、正確には片一方が声を荒げている。

「わた、私はこの領地を、権限を手に入れて! いずれは王都へ戻るのだ、貴族の一員として!」

 異様な風体の重装騎士は、蒼い槍を乗せた肩を器用に竦めてみせる。

「矛盾しているぞ。そもそもここへは赴任しているのであって統治している訳ではない。」

 この騎士に比べれば軽装の男は、怒りのままに甲高い声を出す。

「五月蠅い! お前は私の邪魔ばかりをして、だから殺したんだぞ、なのに!」

 発言の瞬間、見守る村人たちの表情が強張る。中には歯を食いしばって拳を握り締める者も居た。その気持ちは彼も同じだった。唇を噛んで耐える。

「民と領地を支配すべきは気高き貴族! 貴族が治めるべきなのだ!」

「―――違う。」

 否定に込められた力強さに、相対する男と観衆が息を呑む。

「領地を治め、民を導くべきは、…貴族であろうとなかろうと…民の暮らしと領地の行く末を案じ、その幸福と安寧を願う者だ。」

「戯れ言を!」

「否、これは信念だ。騎士道とは斯くあるもの。―――覚悟!」

 蒼槍を構えた騎士は、容赦なく相手を攻め立てる。金属音が響く。

「ぁ、ぁ、…畜生ぉおぉ!」

 短刀を弾かれた男は後退し、腰当たる手摺りの真下と相手とを交互に見やり、張出台から飛び降りた。受け身は取ったものの、痛みに呻く。

「く、そ、…?」

 蹲る男の前に、レーヴェンとその手勢が立ち塞がる。

「話は聞かせてもらったぞ、グロスマウル。」

「き、さま、なぜここに?!」

 立ち上がろうとしたグロスマウルは、坂の下、樹木の影から続々と現れた村人たちの姿に驚愕する。

「皆が証人だ。…本部からの命令だ、貴様を拘束する。大人しく縛につけ。」

「フェアトラークが伯爵位であろうと、そんな権限は貴様に無い!」

「あるさ、ここに。本部からの命令だと言っただろう?」

 そう言って、懐ろから取り出した令状を広げ、淡々と読み上げる。

「――捕縛すべし、とな。商隊からの苦情、各農村への狼藉に横領や情報の隠ぺいと人事その他。王都には報告済みだ。…別の意味で凱旋だな?」

 グロスマウルは蒼褪めた顔を俯けて地面に突っ伏した。その様子を村人たちは睨みつける。見下ろす彼の眼差しも冷ややかだった。

「そいつを連れて行け。念のため建物内部も調べてくれ。」

 部下達がグロスマウルを捕縛するのを横目に通り過ぎ、レーヴェンは建物の裏手にまわった。

 できるだけ足音を忍ばせながら近づけば、

「やっぱりな。」

「…っ。」

 建物と森の中間、大らかに枝葉を伸ばす一本立ちの樹木を見上げていた重装の騎士は、小さく肩を震わせて勢い背を向けた。

「おい、待て!」

 立ち去ろうとする相手を呼び止めて、レーヴェンは少しずつ距離を縮める。

「待ってくれ! …すまなかった、フェル。」

 聞き慣れた愛称よりも覇気の無さに驚いて、フェルスグリューンは振り返る。

「なぜ。お前は何も悪くないだろう?」

「いいや、」

 レーヴェンは隣りに立ち止まると、傍らの樹木を見上げた。樹梢越しの空は青色が薄れ、白から金色に移ろいつつあった。

「お前が死んだことすら気づけなかったんだ。もっと早く事態を把握していれば、こうなる前に、間に合ったかも知れないのに。」

「お前はお前の部隊がある。それに俺も鈍かったんだ、どうしようもないさ。」

 蒼槍を肩に預けて、首を振る。もしもの話は叶わない。

「幻は消える。―――お別れだ、レーヴ。」

「フェル!」

「後のことは、お前に頼みたい。すまないが…、」

「…っん、の、馬鹿野郎!」

 声と共に相手の鎧の胸部へ拳を叩きつけた。睨む顔をくしゃりと歪めて、俯くと額を拳に乗せる。

「そうじゃないだろう! …お前はどこまでっ、お人好しなんだよ、…。」

 フェルスグリューンは苦笑して、槍持つ片手はそのままに、空く片手で相手の肩を叩く。

「お前にはいつも感謝していた。救われていたのは俺の方だ。」

「フェル…。」

 蒼い槍を握り直し、異形の重騎士は背を向ける。

「お前の幸福を願っている。……誇れし友よ。」

「…畜生、分かった、任せろ。俺も、俺だって…お前の冥福を祈っているからな、……親友。」

 再び立ち止ったフェルスグリューンは、片手で兜を外すと、脇に抱えて振り向いた。

 陰りの無い、朗らかな笑顔だった。

「有り難うな。」

 レーヴェンは軽く目を瞠ると、苦笑して言った。

「それは、こっちの台詞だ…ありがとう。」

 そうして幻の騎士は、今度こそ森へ去り、その姿は梢差す光に薄れていく。


  光は、美しい緑の輝きに満ちていた―――。

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