第8話
部隊の拠点を兼ねる領主館は、一階は大部屋の倉庫と納屋、二階は面会室を兼ねた執務室と小さな仮眠室がある。この二階建ての建物には張出台(バルコニー)がついていて、荘園と村落とを見渡せるようになっている。
一階が倉庫で人の出入りが多い都合、室内から二階への直通の出入り口は設けず、建物の外部に階段を設置している。
森から姿を現した、槍を手に持つ重装の騎士は、その裏手から階段を上ろうとして動きを止めた。
一階の倉庫から話し声が聞こえてきたのだ。彼は静かに歩を進め、解放されたままの裏口から一階倉庫へと入っていった。
前面の入り口は閉じているようだ。背にした出口の明かりが差してはいるものの、薄暗い倉庫には、大樽ほどの大きさがある麻袋や麻布で覆われた編み籠、縄で束ねた薪などが、大部屋の三分の一ほどを埋めるように並び積まれている。三分の二ほどは荷受け場だろうひらけた空間、その先に木製の扉がある。
片開きの扉は、三角形の扉止めを床との間に差し込んで開放してあり、中の部屋で軽装の騎士たちが五人、長卓を囲んで談笑していた。
けれども、その内容に彼は立ち止まる。
「巡回なんて怠い事も割り当ての国境警備も、面倒なことは全部ヤツらがやってくれるから楽でいいよな。」
「ああ。グロスマウルもさすがのお貴族様だよな。こんな辺鄙な国境沿いの田舎で贅沢ができるんだからな。おだてておけば色々と便宜を図ってくれるしよ。」
「いずれは出世して王都に戻るつもりらしいぞ、あれで。ま、それまでここいらの農民たちには働いてもらおうぜ。俺たちのおいしい生活のために、さ。」
下卑た嘲笑が室内に広がる。会話の内容に、彼の槍持つ手が力み震える。
一歩を踏み出した足が意図せず小石を蹴って、乾いた硬質音が広い倉庫内に響いた。
「…おい、なんだそこのお前、…うん?」
軽装騎士のうち一人が彼に気づいて立ち上がった。訝しむ仲間を背に、出入り口に立つ。重装騎士は下がりかけた足を留めて、堂々と向き合った。
「先程の話だが、…どういうことだ?」
兜の視界部分はスリットの奥で、相手をじっと見据える。ところで倉庫は窓数が少なく、あっても小さいために倉庫内は日中でも薄暗い。
だから軽装騎士の男は、兜を被る彼の異様な外見にも気付かず、嘲るような笑みを浮かべたのである。
「盗み聞きとはいい趣味だな、聞いたとおりだよ。」
もう一人も立ち上がって彼を侮蔑の目で見下す。
「俺たちは貴族でエリートなの、わかる? お前らみたいなのと違って待遇とかあるのさ。その為に村人を働かせるのは当然だろ!」
部屋に居る男たちも同調して笑った。彼は憮然としながら、思いついた疑問を口にする。
「他の騎士たちはどうしたんだ? 人の気配が無さすぎるが…。」
「はっ、欲の無い連中は隊長代理が就いた途端に出て行って、拠点(ここ)に戻らず雑事を続けているのさ。フェルスグリューン隊長以外は認めない! …だと。これだから田舎出の庶民はお堅いねぇ。」
嘲笑には腹を立てたものの、彼は言葉を飲み込む。
…飲み込もうとしたが叶わなかった。
「ま、それもあと数日だろうな。」
「なんだと?」
「隊長代理の命令を聞かないんだ。当然、ヤツらにも処分が下るってことさ。」
「全員クビになるかもなぁ、ひゃっはは!」
彼は、手を出したい衝動を必死で堪えた。先に手を出せば口実を与えてしまうからだ。槍を握る手指がぎり、と音を立てた。
耳ざとく反応したのは最初の男だった。
「なんだ、お前? いい槍(もん)持ってんじゃねぇか。…そうだ。なぁ皆、修練の時間にしようぜ?」
二人目の男が意図を察して意地悪く笑んだ。
「そうだな。おいお前、稽古をつけてやるから、有り難く思え、よっ!」
「!」
槍が捕まれる前に、彼は倉庫内へ後退する。男たちは不快も露わに小部屋を出てきた。倉庫内は前後の出入り口を立ち塞ぐと、壁に立て掛けてあった木槍をまわし渡して取り囲む。…彼は、置き荷を背にして蒼槍を構えた。
「集団稽古をつけてやろうってんだ、逃げるんじゃねぇよ!」
最初の男は短気のようだ。木槍を構えて突進してきた。彼は先端をいなして槍の柄尻、石突きの部分で鳩尾を強く突くと、一人目の男はあっさり気絶した。
「呆気ない…。」
「いきがんじゃねぇぞ、この野郎!」
二人目が怒りのままに槍を揮ってくる。二合三合と打ち合い籠手を叩いて木槍を手放す瞬間、蒼槍の柄で横っ面を殴れば、吹っ飛んだ体躯は倉庫内の荷物を崩して見えなくなった。三人目を相手取る彼の背後で四人目が不意打ちを狙うも木槍は空振り、勢い交叉した木槍の重なりを強く床へと叩きつけ、怯んだ隙をついて左右を攻撃、それぞれが石畳に昏倒した。
薄暗い倉庫内で立っているのは、彼とあと一人。
「ぅ、嘘だろ…? 騎士としては弱くないはずなのに…!」
「鍛錬不足だな。うちの部下たちはもっと強いぞ。」
「うちの、部下、たち?…そんな筈は!」
五人目の軽装騎士は逃げ腰で後退さり、彼に近い裏口とは反対側の表扉へ向かう。脅えながら扉を押し開けて差し込む光に振り向いて…腰を抜かした。
人ならざる者、異形の重騎士が、美しい蒼槍を手に佇んでいた。
その彼が問う。
「俺は、お前たちの言う元隊長だ。グロスマウルはどこだ?」
腑抜けた男は震えながら答える。
「じょ、上階に…。ぃい、いまの時間なら、ひっる、」
「そうか、わかった。お前は寝ているコイツらを先程の部屋に運んでおけ。」
「は、ぁ、はぃぃ…!」
こうして幸運な五人目は、外出る彼の後ろ姿を見送ったのだった。
表扉から外へ出れば青空が広がっていた。彼の持つ槍よりも爽やかな紺碧。
「…改めて見ると感慨深いな。」
建物を背にして正面に鉄の門扉があり、右手に厩舎、左手に少し離れて宿舎がある。その間に渡り廊下と、二階への階段が伸びている。
彼はもう一度、正門を、その先の村へと続く風景を見やり、遠方に目を眇めて苦笑した。
「やはりアイツは正義感の強い、真面目な奴だ。…後のことは大丈夫だな。」
その笑む口も真一文字に引き結び、階段へ歩いてゆく。
二階に入り、短い廊下の先の扉前に立つ。人の居る気配に、彼は一度だけ目を瞑り、扉を押し開く。
果たして、目的の男は執務机に酒肴を広げ、優雅に酒杯を傾けていた。兜の内側で、彼の眼差しが険しくなる。
「なんだ、ノックもしな、ひいっ?!」
「昼間から酒を飲むとはな…仕事はどうしたんだ、グロスマウル?」
「なっ…その声はまさかフェ、フェルスグリューンか?!」
隊長代理のグロスマウルは音立てて椅子から立ち上がり、一歩を後退る。
「お前は殺したはずだ、あれから半月以上も経っているのに、あり得ない!」
彼はゆったりとした足取りで執務部屋に踏み入った。後ろ手に扉を閉める。
「半月、か。こちらでも色々あったのでな。…お前の部下に聞いたぞ、村人たちに狼藉を働いているそうだな?」
「狼藉?…く、ははっ!」
椅子から執務机の横に立つと、男は嘲笑する。
「庶民が貴族のために働くのは普通の事だ。」
「…お前、」
反駁しようとして、彼は異様さに気が付いた。グロスマウルの眼差しが爛々と輝いている。―――明らかな殺意。
「舞い戻ってくるのなら、何度でも殺してやる…。」
事務机から離れ、グロスマウルはゆっくりと部屋の中央へ歩み寄る。その手は腰鞘から細剣を引き抜く。
彼は無言で蒼槍を構えた。
「…そして、必ずや冥府へ送ってやる!」
床を踏み蹴る音が合図だった。剣の切先と槍がぶつかる。
細剣の素早い突きと体捌きは、さすがに副隊長・隊長代理とを歴任するだけの事はある。彼は槍で剣先を受け流しながら様子を窺う。
「たかが、植物好きの! 田舎者の、癖に、出しゃばって!」
酒の影響か鍛錬不足か、細剣の動きに乱れが出始め、精細さを欠いてゆく。
「辺境の、国境警備で、貴族も何も、無いと、思うが?」
甲高い音が一つ響くと槍の動きが攻勢に転じる。今度は相手が防戦一方だ。
「き、さま、あっ!!」
「うおお!!」
彼の気合の声と共に槍の一振りで細剣が弾かれ飛んだ。調度品にぶつかり床へ転がる。
その細剣の先端が拉(ひしゃ)げていた。
「これで終わりだ。」
たたらを踏む相手の眼前に槍の穂先を突きつけて、彼は宣告する。
「これで、終わり…?」
はは、は…力無く笑って、けれど眼光の異常さは変わらない。
「終わる…? …ぉ、終わるものかっ、終わらないぃー!」
「っ、うおっ、あ、待て!」
護身用の短刀を振りまわして彼との距離を空けると、グロスマウルは張出台(バルコニー)へ続く扉を蹴破った。彼もすぐに後を追う。
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