第5話
魂の彼は、過去の夢を見ていた。親友との出会い、従騎士としての日々、そして叙勲。思い出の場面が流れてゆく。
過去の彼は、小さな苗木を抱えていた。
『許可は取ったのかよ?』
少し年若い彼の親友が、呆れたように苗木を見下ろす。
『ああ。枝も材木として役に立つから、共用ということでな。』
過去の彼は、大事そうに苗木の根本、麻布と麻紐に巻かれた土根の部分を撫でる。その手つきは優しげだ。
『まったく、本当に好きだよな。…これで副官があいつじゃなければ何も心配いらないのに。』
親友の言葉に、彼は肩を竦めてみせる。
『そう言うなって。仕方がないさ、決めるのは上司なのだから。』
景色が遠くなり、魂の彼は郷愁にも似た感慨を覚えながら意識を転ずる。
『覚えてるか? あの苗木のこと。』
年相応に大人びた親友は頷いて、歩きながら横を向く。
『あれだろ? 赴任した時に記念に植えた樹。それがどうしたんだ?』
過去の彼は、同様に歩きながらちょっと残念そうに親友を見つめ返した。
『ああ、その樹の傍に草花が芽吹いてな。それがどうも葉の形からして、トリカブトみたいなんだ。』
親友は軽く瞠目して立ち止まる。
『それって毒草だろ? 大丈夫なのか?』
過去の彼は親友を促して、また歩きはじめる。
『大丈夫ではないな。特に根が危険だから、可哀想だが、焼却処分になるな。』
親友も少し眉を下げた。
『だよなぁ。…それって、ソイツだけか?』
彼は腕を組んで唸る。
『今のところは、な。…けど、近くに群生地でもあったら危険だし、近いうちに調べる必要があるとは思ってる。遠ければいいけどな。』
『だな。未確定とはいえ、近場に養蜂所が無くて良かったよな。』
『ああ。』
(確か、その後は蜂蜜の話で盛り上がったんだよな。)
魂の彼は、…叶わぬ想いに切なくなった。朗らかに笑うあの親友に、もう二度と逢えないのだ―――もう?
疑問が浮かんですぐに再び意識が流される。…その場面は、背後からの衝撃から始まった。
『なっ、く…!』
瞬間、過去の彼は次撃を辛うじて避けたものの、けれど三撃目で腕を斬られた。散血に点々と赤染まる手袋、その片手には掘り上げたばかりの草花をゆるく握っており、幼げな草姿が覗いている。
『どうして…!』
過去の彼は詰問する。相手は、まるで背中を向ける瞬間を待ち伏せていたように斬りつけてきた。
彼の副官だった。
『どうして? その植物を育てて、何事かを企てているのは貴様だろう?』
下卑た笑みで両刃の剣を振るい、過去の彼に傷を負わせてゆく。
『違っ、うぁ! …ふ、くっ、…そもそも理由が無い!』
過去の彼は丸腰だ、しかも相手は砦から離れるように森へ奥へと追いつめてゆく。周囲の緑が濃く深まる。
『理由だと? …それは、貴様が下層の出だからさ!』
過去の彼が足を斬りつけられて体勢を崩す。大樹の幹に手をつき振り向いた瞬間、
『が、…っ……は…ぁ……っ、』
過去の彼は、―――魂の彼は目を見開く。視線はゆっくりと下がり、腹部を貫く両刃の剣、その柄を持つ相手の、手甲を濡らす血の紅を見下ろす。
『…貴族のボクを差し置いて、下賤な土人が隊長になった。…それが罪だ!』
一気に剣を引き抜かれて、彼は大地へ倒れ伏す。手に持っていた幼い草は転がり落ちて、副官の足元で土根を晒す。
『っは、…はは、…あっはははは、はは、ははは、ははっ!』
糸が切れたように笑いながら、副官は剣の血を振り払い鞘に納刀する。
飛び散る血滴が、地面と幼草とに赤く浸みる。
『ああ、っはは、はあ、…これで隊長の座はボクのものだ、はは…』
肩で息をしながら背を向ける。その際に足元の植物を踏み躙ったことにも気付かない。
『これでボクが隊長だ…そして出世し、王都に戻るんだ…見返してやる…ふ、ふふ。……貴族こそ、』
副官だった筈の男には、既に目先の事しか頭に無い。
『貴族こそ、選ばれた者こそが! 民草を支配するべきなのだ、…』
不確かな足取りで去っていく背中が、灌木と樹々に紛れて見えなくなる。
「(ぉぃ待て! ……?)」
魂の彼は、気付くと森の中にいた。あのとき手をついた大樹は樹皮が削られて無残に木肌の内側を晒し、地面では部分的に黒土が見えて、掘り返した痕跡があった。…その下は、言うまでもない。
「(―――そうか。…俺は、ここで死んだのか。)」
「…思い、出しちゃったんだね。」
「(っ、…君は、さっきの…、…。)」
魂の彼は振り向く。視線を下方に向けると、翅小人が哀しげに、踏み躙られた幼草に手を置いていた。
「そう、アンタはここで殺されたんだ。…理不尽な逆恨みで。」
「(ああ、思い出したよ。…。そういえば君は―――?)」
「僕のことはいいから。…これからどうするの?」
「(!)」
魂の彼はびくりと反応した。
「アンタを殺した奴に復讐する? 殺されたんだもの、やられたらやり返すものだよね?」
「(…しかし、)」
「魂だけじゃ何もできないって? 身体なら何とでもなるよ。アンタが望めば…。」
翅小人は地上から、魂の彼をじっと見つめている。
「アンタはどうしたい?」
「(俺、は…。)」
翅小人の静かな、けれど強い視線から逃がれるように背を向けて、傷つけられた大樹を見やり、黒土の荒い大地を見下ろす。
「(俺は、どうしたいのだろう。…どう、したいのか…。)」
魂の彼は、物思いに沈んでいった。
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