第15話
ここ最近ずっと忙しかった。僧侶になってもう何度目の夏かわからないというのに未だに慣れる気がしない。それでも昔よりは幾分かマシ、当初は脳も体も千切れてバラバラになるかと本気で思ったものだ。
このような規模の大きくない村ですらこの忙しさ、もっと大きな地域だと……。いや、地域の規模もきっと信仰の度合いも関係ないのだろう。
このように取り留めのない思索に耽るのもいつ以来か、カレンダーで見ると大した時間は経っていないが疲れ切った頭脳にもはや正確な時間感覚はなかった。
ここ数日寝るためだけに存在した自室に戻ると寝間着に着替える。古い書物を胸いっぱいに吸い込むとようやく帰ってきたと思える。村の年寄り衆は身体に支障がない限りほど全員が喫煙者だ。一人二人なら構わないが寺の手伝いという名目の座談会で何人も何人も永延とタバコを吸われてはこちらの嗅覚もおかしくなってしまう。
手伝いという体を取っている以上彼らにもこちらからは強く言えない。
そういえばそのことで数日前に母がまた毒を吐いていた。大病を患っている父がいる家屋の中で無遠慮にタバコを吸われると迷惑だと。
でも私にはわかっている。本当の母の怒りの矛先は彼らではないと。私だと。
母が愚痴を口にしていた時に私に向けていた視線。あれは「なんでお前は何もしないのだ」と主張した目だった。
目を細めるとこの部屋にも紫煙が漂っているような錯覚を覚える。仕事では線香、それ以外の時間もタバコ。鼻だけでなく目ですら錯綜した刺激を受けている。
指で瞼を揉んで錯覚を振り払い再び目を開ける。錯覚なら構わないが本当に煙が存在するのでは洒落にはならない。火の始末をしっかりしているがありえない話ではない。
このまま寝てもいいのだが明日以降はこれと言った予定も入っていない。無論それでも遅く起床することは母が許さない。
身体は明日以降でもゆっくりすれば回復するのだ、今は少しでも精神にゆとりを持たせたい。書棚に寄り最も古い書物を手に取る。
「享保元年」この寺の歴史はもっと古いのだがもとは別の場所から移されてきたもので、この村の歴史が形として残っている物はこれが最古だ。
歴々の住職たちが記したものだが中絶している時期もある。実際、祖父も父もこういったものを書き残そうとはしてこなかった。
「私も人のことは言えませんがね」
書物が痛まないようにゆっくりと元の位置に戻す。村史とはいかなくとも現代の記録は私たちが記さなくとも役所に数字として残っている。それを言い訳に私も現代に無を向けず過去の事績に没頭している。
村民も私の趣味に関心はするが興味は示さない。その程よい距離感がまた私を趣味の世界へと誘いこんでいく。
いつの間にか眠っていたらしい。だらしなく文机に突っ伏し顔の位置にはよだれまで残っている。幸いに書物は汚れはない。
さすがに疲れが残っていたらしい、諦めてもう布団で寝ようと思い書物を片付ける。情けない醜態ではあったが昔は本読みながら勉強をしながらよくこうやって眠っていたものだった。
布団に入り込んでも懐かしさから少しうれしい気分に浸っていた。
私の子供の時分。間違いなく上の世代よりはずっと恵まれていたと思う。少し上の世代だと焼け野原で、もう少し上の世代だとそれこそ戦争に駆り出されていた時代だ。
それに比べて私はずっと恵まれている。
世代だけはない。環境も恵まれている。
目立つことはないが寺はこの村では裕福なほうだ。日常も勉強にも経済的な障害は何もなかった。
そう、何もかも恵まれていた。
何度もそう思い込もうとしてきた。そのほうがずっと楽だったから。
背中、腕、頬、打たれた箇所は数え切れない。当時は「間違えた自分が悪い」そう考えていた。しかし成長するにつれ全てが全て教育のための暴力とは思えなくなった。
今の母の姿を見て確信するようになった。
無論、今の私に欠点が無い、教育する余地がないという自惚れを抱いているわけでない。病床の父もまだまだ私に満足してはいない。ただ父は住職として足りない点を指摘するだけに過ぎない。母はそれ以外の全てで迂遠に私を非難する。
いつまでこんな生活が続くのだろうか。
宗教家として、いや一人の人間として母の不幸を願うわけにはいかない。
願うわけには……。
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