第9話

「なあ、どうするよ……。聞いてる?」

汚れたバックネットにサッカーボールが吸い込まれていく。

「翔ちゃん、二人でサッカーなんて出来ないよ」

「そうだね、どうしよっか」

ネットから帰ってきたボールが目の前まで転がってきた。目でそれを追っていても意識は別の場所にとらわれている。


校舎裏、ニワトリ小屋。

結局あのことは誰にも話せなかった。一昨日の時点で話せなければもう時期は逸してしまった。翔平の口からニワトリの異変のことが告げられることはもうないのかもしれない。

「なあ、どうしたの? 今日話聞いて無いよね?」

かっちゃんはイラっとしたようで再度ボールを乱暴に蹴った。

「聞いてるよ。他の遊びが思いつかないだけだよ」

今日だけで数回は繰り返した話題だ。聞いてなくても返事は出来る。


「かっちゃんのお家はどっか旅行行かないの?」

「夏は行かないって。冬に温泉行くって言ってたけど温泉なんて別に面白くないしな、だってただのでっかい風呂だろ? つまんねえよ」 

かっちゃんは再びボールを蹴ろうと振り上げていた右足をゆっくりと戻した。

「じゃあかっちゃんはどこか行きたいところあるの?」

「ないよ。みんなでサッカーしてるほうが楽しいし」

「でもそのみんながいないからね」

友人たちはほとんど両親の実家に帰っている。日常のほとんどを村から出ない子供からすればそれは年に数度の冒険に違いないのだ。


「優人のやつも裏切りやがって」

「マーちゃん? でも3人じゃ確かにサッカーではできないよね」

マーちゃん、優人は村に残っているが「3人で遊んでもつまらない」と言って僕たちの誘いを断った。そのことをかっちゃんは裏切りと捉えたらしい。いつもはマーちゃんと呼んでいるのだがよっぽど腹に据えかねたらしくあだ名ではなく下の名前を呼び捨てにしている。


「そうだ、いい事思いついた」

「どうしたの? 急に大声出して。なんか面白い遊びでも思いついた?」

二人しかいない校庭にかっちゃんの声は想像以上に響き渡った。

「なぁ、冒険しようぜ」

「冒険? どういうこと?」

かっちゃんは足元に転がってきたボールを拾い上げて楽しそうに近寄ってきた。


「お山だよ。お山の冒険しようぜ。それでさ、今いない奴たちに自慢しようぜ」

お山。この村で一番高い山。頂上には神社があるがかっちゃんが言ってるのは山の裏側のことだ。

「ダメだよ、先生もうちのお母さんだって『危ないあそこには行くな』って言ってるじゃないか」

「翔ちゃんあそこに何あるか知ってる?」

「ゴミの山でしょ? だから危ないって……」

「ゴミって言うのは年寄りから見てさ」

「どういうこと?」


「これはさ、去年卒業した人が言ってた話なんだけど」

「誰が言ってたのさ、名前は?」

「名前は知らない。直接俺と話したわけじゃないから……」

信憑性には大分ケチが付きそうな前ぶりではあるが、まるでゴミ以外がそこにはあるという口吻には興味が引かれる。

「どんな話さ」

「やっぱり興味ある? どうしようかな」

「もう早く教えてよ」


「あそこって浜から見るとゴミだめだけど近くで見ると意外とそうでもないって」

「ゴミは遠くで見ても近くで見てもゴミじゃない?」

「そういうことじゃないよ。あそこにゴミを捨てていくのって都会の奴らか温泉に向かい外の連中だろ? 外の連中は本当にゴミしか捨てないんだ、あいつらは。でも市の奴らはそうでもないんだよ」

「ゴミ以外を捨てるの?」

「いや、あいつらから見ればきっとゴミなんだ。でもゴミって言っても壊れたからゴミなのか使わなくなったからゴミなのかって違うじゃん」

「よくわかんないよ」

「そうだなあ……。本。本だよ」

「本て? 雑誌とかの本?

「そう、そうだよ。例えの話だけどさ、本って読み終えたらその人にとってはゴミになるじゃん? でもまだ読んでない人からすればまだゴミじゃないじゃん。そういう本みたいなのがいっぱいあるって話」

「本かぁ。ちょっと興味はあるけど」

怒られるリスクを取ってまで行くメリットがるかを考えてしまう。

「例えの話だって、もっと面白い物もあるかもしれないじゃん。それを探しに行くから冒険なんだろ、翔ちゃんは夢が無いな」


二人は校舎のエントランスの下で日を避けながら作戦を練ることにした。最初はそこまで乗り気ではなかった翔平も作戦会議の非日常感に酔わされ、前向きに意見を挙げるようになっていた。

「お弁当持っていこうぜ」

「それは無理だよ。お母さんになんて言い訳すればいいのさ」

実は解決策はあった。母以外に頼めばいい。祖母はおそらく母に告げ口をしてしまうだろう。だが伯母であれば怪しまれずに用意してくれたかもしれない。

だがバレるリスクをわざわざ犯すつもりまではなかった。


「じゃあ午前に行って、ご飯食べたらもう一回行こう」

「いや午後だけにしよう」

「午後だけ? それじゃ時間が足りないよ」

かっちゃんはどういうスケジュールを描いているのかわからない。お山のゴミだめは大人から立ち入りを禁止されているだけで出入りに特別時間を要するわけでは無い。


「まず大人たちにバレないことが大事だよ。お山でいい物が見つかってもバレたら絶対没収されて怒られるよ。それじゃ行くだけ損だよ」

「でもいない奴らに自慢できる」

それがかっちゃんの一番の目的なのだろう。彼にとっての裏切り者に対する小さな復讐。


「リュックに水筒も持って行かないとな」

「それでさ、結局いつ行くの? 今日?」

予定の詳細部分ばかり言及して肝心な情報は不明なままだ。

「そりゃあ今日だよ。善は急げって言うだろ?」

「そうなの? でももう2時だけど、今日でいいの?」

二人の門限は5時だ。多少の融通は利くにしても探索に使える時間は残り2時間半程度になる。


「明日も行こうぜ。どうせならあいつらが戻るまで毎日でも」

「さっき言ったじゃん、もう忘れたのバレたら台無しなんだよ? 行けば行くほど見つかる可能性も上がるんだ」

不満げなかっちゃんは何か言いたそう口をとがらせていたが諦めたのか明日だけの1日に納得した。

わかっている。かっちゃんは別に大人にばれたって構わないと考えているのだ。お宝の有無なんてそもそもどうでもいい。貴重な体験を独占することが目的なのだから。


「なぁなぁ、下見に行かない?」

「下見かぁ」

実際お山のゴミだめ行く道はわからない。浜からよく見えるがその間に墓場と民家、そして雑木林が続いている。

「行き方がわかんないし確かめに行こうか」

「よしじゃあ行こうぜ」

「自転車は置いて行ってよ。かっちゃん速いんだもん」


「どこから行けばいいんだろうね?」

山の周囲をぐるりと探索してみたが浜辺からもちろん、墓場からも住宅地からも行き方がわからない。

「やっぱりあの広場を横切るしかないよ」

正確に言えば行き方はわかっている。住宅地に歩きだだっ広い空き地を横切り低い柵と茂みを越えればそこがゴミだめだ。

「あそこを誰にも見つからないで通るのは無理だよ」

二人は粟坂山を挟んでゴミだめと反対側の寺の境内のブランコに腰を下ろしている。


「じゃあお山を登ってそこから降りる?」

「無理だよ。だって崖だよ? 落ちたら死んじゃうよ」

「……」

さすがにかっちゃんも無謀と分かっているのがこれ以上は強く主張しない。

二つの案、何れも強硬策。それ以外の選択肢が思いつかないまま時間だけが流れていく。


「こんにちは」

後方、境内の外から二人へと声をかける男。

「こ、こんにちは」

見たことのない男性。村は狭い。会ったことのない男性、しかも二人の父親より少し若い程度の若者。

(外から来た人だろうか?)

「おじさん、誰?」

物怖じしないかっちゃんは怪訝そうに男に問いかける。


「おじさんかぁ。君たちからすればおじさんか」

「で、誰なのさ?」

男の反応が面白かったのかかっちゃんは「おじさん」と強調して同じことを聞いた。

「長尾家の一人息子だよ」

「長尾さん……お父さんと同じ職場の人だった気がする」

「へえ。あのおじさん、子供いたんだな。いつも一人だから独身だと思ってた」

「母さんは死んじゃったからね」

「ご、ごめんなさい」

「いいよ。子供に気を使われるとそっちのほうが申し訳ない」


「しかしまぁ、この村も子供がここまで減ったのか。それとも他の場所で遊んでるのかな」

長尾さんは境内を見回して後僕たち二人を見て呟いた。

「違うよ。みんな旅行に行ってるんだ」

「旅行? そうか。そうだよな、そういう時代だよな」

「多分勘違いしてます。みんなおじいちゃんとおばあちゃんの家に行ってるんですよ」

「ああ、そういうことか。でもご両親のどちらかがこの村の出身じゃないってだけで結構新鮮だな」

「俺の母さんも岐阜出身なんだけど『夏はこっちのほうが過ごしやすい』って言って帰らないんだよな」

「岐阜か、ボクは行ったことあるの?」

「あるけど、どこにも遊びには行かなかったよ」

「おじさんも夏休みですか?」

普段見かけない人でも数年ぶりの帰省だとすれば僕たちが見たことが無くても不思議ではない。

「まぁ……そんなところかな」

男は誤魔化すように笑った。


「あのゴミ山にお宝なんてあるかね」

「あるかもしれないだろ」

気を許したかっちゃんは長尾さんにお山の探検の話をしてしまった。ただ長尾さんの反応は僕の予想とは違うものだった。

「危ないって言ってもあるのはゴミだろうし、子供だけで行かなければ別に平気だよ。何ならゴミ拾いでもすれば年寄りもみんな褒めるってもんよ」

僕たちにはない発想だった。しかしそうなると。

「一緒に来てくれる大人なんていないよ。みんな『行くな行くな』ってそれで終わりなんだから」

「じゃあ俺も今は暇だし君たちがよければ一緒に行こうかな」


長尾さんと別れてかっちゃんと二人になるとかっちゃんは嬉しそうに僕に話しかける。

「これで堂々と行けるな」

「それでも僕はお母さんには内緒にするよ」

「どうして? おじさんがいるんだし別に大丈夫だろ?」

「かっちゃんは話せばいいよ。僕はやめておく」

「まぁ、別に好きにすればいいと思うけど」



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