第8話

おばあちゃんはちょっとだけ苦手だ。

嫌いなわけでは無い。遊んでくれるわけでもないし、ずっと膝の上に載せて同じ話を繰り返す。「さっきも同じこと話したよ」というと笑いながら「もう一度教えて頂戴」と言われる。

おじいちゃんはいつも不機嫌そうでもっと苦手だ。だけど今まで怒られたことはない。

お母さんもきっと僕と同じように二人が苦手なんだと思う。適当な言い訳をして出かけることがよくある。


「おばあちゃん」

「どうしたの? 翔ちゃん、お腹すいた?」

頭上で猫なで声がする。

「僕今日、生物係だから学校行ってこないと」

「生物係? 夏休みなのに学校に行かないといけないの? 大変ね」

「全然大変じゃないよ、だからちょっと行ってくるね」

「一人で大丈夫? 一緒に行きましょうか?」

おばあちゃんは僕を膝から降ろすと自分も椅子から立ち上がろうとした。

「大丈夫だよ、毎日一人で通ってるんだよ。平気平気」

「そう? じゃあ気を付けて行ってくるのよ」

おばあちゃんは少し悩んでから諦めたように口にした。


おばあちゃんはたまに会うくらいでちょうどいい。二日もべったりしていると疲れてしまう。だが後ろめたい思いはある。おばあちゃんとは同じ会話を繰り返すのが苦痛なだけだ。一緒に学校に来たことは一度もない。初めての経験であればまた違った楽しみもあったかもしれない。

「でももし学校に友達いたら恥ずかしいもんな」

まだ小学校での生活も4年と半分も残ってるのだ、いつかおばあちゃんと一緒に学校を見る機会もあるだろう。


学校に着くと破れていた餌袋のことを急に思い出した。あの時は遊びたい一心で見なかったことにしたが先生にバレているかもしれない。担任の先生は失敗してもそこまで怒らないが嘘をつくと鬼のように怒る。あの時は横にかっちゃんがいたからよかったが一人だと急にそれが恐ろしく思えてくる。


重い足取りで校舎裏へ行くと相変わらず餌袋は一昨日のままだった。

「あれ? 一昨日のまま?」

ということは昨日も誰も来ていないのか、それとも僕と同じように見て見ぬ振りをしたのか。ボードを確認すると前日も空欄だ。

「近藤正美(4年)、この人確か旅行だったな。旅行行く予定あるのに何で生物係引きく受けたんだろ」

しかしちょうどいい。今日破れていたことにして先生に報告すればいいのだ。


破れた個所を覗きこむと一昨日より広がっている。これで「今日見つけた」と言って信じてもらえるかは少し怪しい。

「やっぱり一昨日言えばよかったよ」

裂けた部分を手で擦ってみたがかえって他の部分と色彩が変わって不自然になってしまった。誤魔化そうと小細工をすると必要以上に自分の責任になりそうなのであとは祈るだけでこれ以上の悪足掻きは諦めることにした。


ともかく本来の目的をやり遂げなくてはならない。ニワトリたちは昨日も餌を食べられていないのだ。早く食事をあげなければ可哀そうだ。

一番上の餌袋は一昨日のままだ。

……違和感を覚える。静かすぎる。

「一昨日もこんなに静かだったかな」

あの時は校庭で友達が遊んでいたし隣にはかっちゃんもいたので比較はできない。


シンと無音の音が鼓膜を刺激する。

「なんでこんなに……。あっそうだ」

わざと声に出して無音をかき消しつつ足音を大きめに立てて小屋へ近づく。

小屋の中からの反応はない。

「まさか死んでないよな」

今までの不安が些末に感じるほどの焦燥が胸中を支配する。ニワトリを死なせてしまったら袋の穴どころではない。どれほど叱られるかわからない。


小屋の小窓から中を覗き込むとニワトリは彫刻のように立ったままピクリとも動かない。立っているのであれば少なくとも死んではいない。しかし今の翔平にそのような冷静な判断は出来ない。ガチャガチャと南京錠を弄るが鍵がうまく回らない。

「もう死んでる? いやまだ間に合う」支離滅裂な思考のまま懸命に鍵と格闘し漸くの思いで小屋の中に入ることが出来た。


乱暴に小屋に入るもニワトリには反応はない。

諦めて視線を脇に移すと餌を入れる皿が目に入った。

「あれ? 全然減ってない……」

皿の中身は一昨日に足してからほとんど変化が無い。

「夏バテだったのかな」

北国とは言え四季の温度変化はニワトリの体調に影響を与えるには十分だ。しかし短期間で死んでしまうほど暑かったかは疑問だ。少なくとも一昨日は生きていた。


恐る恐る視線をニワトリへと戻す。じっくりと観察していると呼吸で僅かに身体が動いているように見える。

「死んでない」という安心感は微塵もなく、ただただ不気味で仕方がない。入ってきた時は真逆、今度は足音を殺してニワトリを刺激しない様にゆっくりと近づく。

一羽だけ様子がおかしいだけならここまで恐怖しなかっただろう。三羽すべてが似たような姿勢で固まったまま動かない。


固まる頭を左右に振り、何とか冷静に考えようとする。

考えようと考えまいと選択肢は二つしか思い浮かばない。

「先生に報告するか、また見なかったことにするか」

いや、先生にどう報告すればいいんだ? どこからどこまで?

正直に話せば必ず自分も追及されるだろう。怒られる自分を想像して急に不満が沸いてい来る。僕は何も悪いことをしていない。餌袋の穴だって小さなものだった。

高々それっぽちのことで自分が叱られるのは納得がいかない。


幼い怒りを腕に込めて小屋の扉を開けると大きな音が響く。狭い小屋に反響した音は翔平の背中を刺激する。……音だけだろうか? なんだか背中がむず痒い気がする。

雲が通ったのか採光用の窓から刺す光が陰る。

あれだけ静かだった小屋だが今では自分の心臓の音が忙しなくうるさい。

確かに感じる恐怖に耐え、勢いよく振り返る。


真っ赤で、小さな光が六つ。

ニワトリたちはもとの姿勢から首だけをこちらに向けて僕を見ていた。

「な、なんだよ。何見てるんだよ。腹減ってるなら残ってるやつ食えよな」

奴らは動かない。

息苦しい。緊張でこみ上げる唾液で呼吸すらうまくできない気がしてきた。

「もう僕は帰るからな。餌はあるしいいよな」

視線が外せない。目を離すと襲われそうイメージが脳内で繰り返される。


目を離さず後ずさりをする。身体を半分が出たところで勢いよく扉を閉める。小屋の中からバサッバサッと羽根の音が聞こえる。

餌やりもボードの名前ももうそれどころではなかった。一瞬職員室に向かおうとも思ったがすぐに方向を変えて自宅へと向かう。


「あら? 翔ちゃんおかえりなさい。早かったのね。どうしたのよ? 汗だくじゃないのよ」

「ううん、走ってきただけ」

「急がなくてもよかったのにね。こっちおいで汗吹いてあげるわ」

おばあちゃんは何か勘違いしてるのか嬉しそうに僕の頭をハンカチで撫でる。

家を出る前にはあれだけ嫌がっていた祖母だが今は暢気な彼女の対応が翔平を落ち着かせてくれる。


コツコツと薄い木板を叩く音がする。

ニワトリ小屋の扉の内側から聞こえてくる音だ。

暑さにやられたのか何かの病気なのかそれはわからない。だが翔平の与えた刺激がニワトリたちに何かしらの変化を与えたのは間違いない。

コツコツ、コツコツ。

少しずつ、ゆっくりと扉が開いていく。

扉の前に落ちている金属は夏の陽光に妖しく反射していた

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