第6話変な生き物
俺は慌てて木の陰に身を隠し、その緑の物体を遠目で観察する。
体に毛は無く、とても大柄なその生物は何かを探すようにキョロキョロと視線を飛ばしながら、ゆっくりではあるが俺のいる方向へと移動してくる。
(ちょ、ちょっと待て! まさか俺の存在に気付いてるのか……⁉)
明らかにその生物の身長は俺の二倍はあり、のっぺりとした顔から俺に戦う意思が無い事を汲み取る感受性があるとも思えない。
(頼む……! 早くどこかに消えてくれ……!)
逸る心臓を押さえつけながら、俺は息を殺しあの生物がどこかへ去ってくれる事を願うが、その生物はどんどんと俺との距離を詰めてくる。
近づいてくる程感じる不快な獣臭。余程腹が減っているのか、口周りは涎でベトベトでそれが更に不快感を生む。
(どうする……! 多分あいつは俺の大体の位置を把握してる。このままこの場所に留まっていても駄目だし……)
救いなのはあの生物が俺の位置を完璧には把握出来ていないという事。
俺を狙うというより食欲を満たす為生物の気配を大まかに辿っているだけだろうが、俺がいる位置が完璧に把握できているならすぐに距離を詰めてくる筈だ。
そしてもう一つ救いなのがこの場所は森林の中という事。つまり遮蔽物となる木々が多い。
あの巨体に短い足では走っても速度は出ないだろうし、体のキレも悪い筈だ。
遮蔽物があるのは俺も走りづらい部分があるが、あの生物程ではないだろう。
俺は一度深呼吸し、今から実行する作戦を頭の中でシュミレーションする。
(俺が身を隠している木にあいつが最も接近した時――その瞬間が勝負だ)
このまま自分が通ってきた道を走り抜けるのもいいが、そうすると途中にあの荒野を通らないといけない。
そうすると遮蔽となってくれる木々が無く、俺の姿が丸見えだ。それなら多少リスクはあるが、あの生物の横を走り抜けた方がいい。
あの鈍足そうな見た目。急に飛び出してきた俺に素早く反応できるとは思えない。
ドス……ドス……という大地を踏みしめる足音が徐々に近づいてくる。俺は腰を落とし準備。そしてその音を最も感じたその瞬間を見計らい、
(――今だッ!)
完全に『静』だった状態から足の筋肉を爆発させスタートを切る。その時だった。
「うおッ⁉」
まるで自分の体が閃光と化したように見える景色を次々に置き去りにしていく。自分が今体験している速度は人力で生み出せる速度ではない。だが紛れもなく俺は自身の脚力だけでこの速度を生み出した。
(な、何だよこれ……! どうなってんだよ……! と、取り敢えず止まらないと……ッ!)
俺は両足に力を込め地面に突き刺すようにして速度を緩める。俺の後ろには大量の砂ぼこりが舞い、程なくして聞こえていた風を切る音が止む。
「……っ、ど、どうなってんだ。あり得ないだろ……っ」
後ろを向けば当然あの生き物の姿は無い。自分の両足を確認するが何か機械が付いている訳でもなく、あの速度を生み出したのが自分の足だと再確認する。
(俺の体、どうなってるんだよ……。異世界に来た影響でおかしくなっちゃったのか?)
……だが結果的にあの生物から逃げきれた事は良い事だ。あんなのと戦うなんて考えられないし。
俺は自分の体に異変がない事を確認してから、更に森の中を進んでいく。すると、
「――あ! あれは家、だよな? 村が見えるぞ!」
森の中を進んでいき、俺はようやく森の中を抜ける。そうすると見えてきたのはポツポツと建物がある小さな村だった。村の周りには何やら人の姿が見える。
まだ距離はあるが、見知らぬ世界で森の中に放り出され変な生物と鉢合わせした身としては、人間の存在が感じられ少しほっとした気持ちになる。
「よかった……。取り敢えずあの村に行って色々聞いてみよう。――ん?」
その村へ向おうとしたその時、俺はある事に気付く。その村の周りにいる人達がキラキラと太陽光を反射させていた。あれは……、
「あれって……防具、か?」
よく目を凝らすと……そうだ、間違いない。
村の周りには昔話で出てくる西洋の騎士が身に纏うような白金の防具を着た人間が、少数見受けられる。
(……凄ぇ。滅茶苦茶異世界っぽい)
まあでも騎士ならいい人な筈だし。優しく接してくれるだろう。
そんな呑気な事を考えながら俺は森を脱出しその村へと歩を進める。
「……あ。さっきみたいな速度で走れたら早く着くよな……。――よし」
結構距離がある為、折角あれ程に走るスピードが速くなったのなら有効活用しない手はない。
俺は先ほどと同じように普通に地面を蹴りスタートを切る。……だが、
「……あれ?」
先ほどはスタート切った瞬間、全身にとてつもない加速感が走ったのだが、今はその加速感が全く無い。
「な、何でだ? あの時のは一体……」
俺は何度もスタートを切ってみるが、あの時のような速度は生まれない。
……そう簡単に異能力は手に入らないという事か。
「……はあ。まあ、いいけどさ。俺は野球をしにこの世界に来た訳だし。あんなのあっても逆に困るし」
必死な言い訳を自分に言い聞かせながら、俺は諦めて普通の速度で村へと向かうのであった。
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