NHKの全職員を解雇する、という思考実験

島尾

駄作の量産を終了させる面接官 =私

 今日、NHKが日本庭園に関する番組を放送していた。ナレーションの賑やかな声と、職人の仕事に対する真剣勝負の映像。あまりにも不釣り合いだったので、私は面白くなかったと評価するしかない。その要因としてあり得ないものを先に列挙していく。まず日本庭園が地味だということ、次に職人の仕事が裏方だということ、そして西洋人のよくやるイヤラシイ順位付けすらも、番組が面白くなかった要因とはなり得ない。西洋人は西洋人の視点で日本を見るのが当然かつ自然で、もともと不平等が常識という観念で生きている彼らがランキングを付けることは日本人が軽々に批判すべきことではない。西洋人は日本をちゃんと堪能しているからむしろ日本人は敬意を表すべきである。また、番組内で庭師が「私たちはお客様のためにやっている、ランキングのためではない、ゆえに取材されたくない」と言っていたが、それは番組が面白くない要因に結び付く一つの見解である。とはいえ「取材されたくないのに取材されている」という庭師の不機嫌が番組を面白くさせないというのは違う。対象が本当に不機嫌になっている様子を上から目線で眺めること、これほど快楽なことはない。その快楽は「快楽」という醜い言葉をすでに脱し、「面白さ」という美的単語を使用するにふさわしいレベルにあるだろう。また、今更ながら日本庭園は美しい。それを否定する人は今日の番組を評価するべき人間ではない。


 何が面白くなくさせているのか。それは、私が思うに、取材陣が受験勉強マシーンだからではないだろうか。


 多くの大企業は、学歴で人を評価し選別して、優劣を決める。その上で、面接でにこにこできる詐欺能力を持ち合わせた人をより優とし、面接で真の姿を表現できる、心が清らかで正直な人を劣とする。畢竟その大企業を企業たらしめるために動く人員は、学歴が高くて人前で作り笑いができる人間だけとなる。


 さて、日本庭園のみならず、ありとあらゆる芸術文化の類は、既知の事実と未知の捜索、そして偶然その二つが衝突したときに生まれる衝撃によって人間の知覚を震わせるものだと私は考えている。そういうものを紹介する人は、ありとあらゆる汚濁物や耐えがたい懊悩を一方で経験し、またもう一方では、ありとあらゆる美と、新発見をしたときに言葉では表現できない感覚が生まれることを経験して知っているという、少なくともこの二つの条件を満たす必要がある。なぜなら私の考えにおける芸術文化の創造者がたどる過程において、この世にはほとんど美と呼べるものが存在しないことを悟って大変に絶望し、そこから何とかして一つでもいいから美を生み出そうとしてもがくということが起きているに違いないからである。既知の事実の大多数つまらなくて平凡か、汚らしくて醜い。だからこそ未来に、どこかに存在する美を見つけ出す又は自分が美を創ると決意した幾人が、芸術文化を花開かせるのではないだろうか。ゆえに文化芸術を大衆に紹介する者は、少なくとも上に書いた二つの条件を満たしている必要がある。


 さて、NHKは大企業なので、高学歴で愛想のいい人たちの集まりだ。これは彼らを最高級に美化した表現にすぎない。彼らを普通の言葉で言い表すならば、「受験戦争を生き残った戦利品として、勝利こそが美であり敗北こそが醜であるという思考を得た。そして、醜い者の中に美を見出すという概念を知らないくせに醜い者をただ否定して優越感に浸る。自分より身分の高い者の機嫌を損ねて職を失わないようにするために、愛想のいいことだけが人間として正しい、そして正しいことが美であるのだ」と考えている者たちの集団でしかない。彼らの機械的技術が極めて優れているのはこの意味で当然であり、精神内面の深世界を認知することができないのもまた当然である。そして、それら二つの美点と汚点は、残念ながら私が先に挙げた最低限の条件をからっきし満たしていない。


 宮崎駿のドキュメンタリーは酷評が多かったらしい。私は別にどうとも思わなかったが(というのも、その作品を誰が作ったかということを知ることに意味がないと分かっているから)、ある人が言うには、宮崎駿と取材陣との間に最低限の信頼関係が結ばれていないことが原因だという。宮崎駿は取材陣に対し、「お前には話さねえぞ」という旨の態度言動が現れていたという。それが真なのかは証明できないが、もし仮に真だとすれば、宮崎駿という芸術人の基本とする世界と取材陣のロボット的な短絡的世界とが水と油のごとく微塵もリンクしなかったのではないだろうか。


 私はNHKが陥っているこの惨状を打破しNHKを救うために、一つの夢のような提案をする。すなわち、社長から末端に至るまでNHKの全職員を一斉解雇するというものだ。一つ重要な点があって、それは「NHK」という名前を変えないことだ。この世界に少なくとも存在はしていてもらわないと、改善ということができないからというのが一つの理由である。さて、全職員を解雇してしまうと社員0人となって会社が存続できない。よってすぐさま再雇用が始まる。真っ先に雇用されるのはニュースを読むアナウンサーだろう。彼らの淡々として流麗な声でもってしらせを聞くことは、今後どんなにAIが発展しようとも捨ててはならない人間文化だと私は思う。次に再雇用するのは、技術者である。専門的な装置を操作でき、なおかつ熟練の域に達している彼らを再雇用すれば、ニュースを報道することは再開できる。

 

 ここからが本題である。


 NHKが文化芸術および科学哲学、いわゆる人類の思想を、大衆に知らせる役割を担ってもらわねばならない。こう言うと何人かの人は「youtubeがあるだろう」と問うだろう。しかし、ネットの情報は自分の見たいものだけが見られるようにコントロールされ、見たことのないものはますます見えにくくなるようコントロールされ、そうやって人間を中毒状態に貶める一種の毒物であるからして、堂々と「youtube」あるいはその他SNSに依存した文化芸術伝達手法を薦めるわけにはいかない。ネットの罠、あるいは盲点といえよう。一方でNHKは一般国民から受信料を取って番組作りをやっているのだから、ネットのような自己中心的なタコツボにはまらせる仕組みは無い。文化芸術の神髄を認知させるためにより適したメディアは、やはりyoutubeより、改善されたのちのNHKではなかろうか。もちろんその2つとも視聴することには私は賛成である。


 それで、必然取材陣を雇う段階に入らねばならなくなる。

 今までのように「愛想のいい高学歴」を抜擢すれば最後、今までと同じ惨憺たる内容の番組を世の中にまき散らすことになってしまう。100人雇ったうち2,3人そういうのがいるのは問題ないが、100人全員そういう類の者を雇ってしまったら、この大改革には何の意味もなくなる。


 私が面接官であれば、どうするか考えてみた。

 まず面接室を出ることから始める。人を理解するという土台不可能なことを絶対やらねばならないのならば、なるだけ100%理解に近づくために邁進せねばならない。そこで、退屈な椅子から立ち上がって、ホルムアルデヒドの臭いのする居心地の悪い部屋から脱し、過去の遺物と新規応募たちを5年間、自由な旅行に費やすことを義務にしてみる。ここでわざと「義務」と書いたが、義務感ほど芸術文化と相性の悪いものはない。よって応募者全員に義務感を完全に忘却してもらうために、旅費と同時に生活費(それは比較的贅沢な生活を送ることができるレベルの額)を支給する。そして彼らが5年経って顔が老け込み愛想も崩れてきたころ、初めて面接をするだろう。面接会場は、面接官である私が決めるのではない。応募者が最も快適に、いままでのありとあらゆる経験を赤裸々に吐き出すことのできる場所を、彼ら自身に決めてもらってかまわない。履歴書の志望欄をメモに使ってもらってもかまわないし、志望動機を書かなくともよい。これは、彼らが指定した場所に面接官たる私が赴くということだが、100%の人間理解に努めるためならば面接官の仕事として最低限これくらいはやるべきである。

 それにかかる費用を捻出するために、現在国民がNHKに支払っている受信料を50倍から100倍程度値上げする。それだけだと不平不満が出てNHKにガソリンをまいて放火する輩が出てきそうなので、まず、現在国民を洗脳し堕落させているゲームのほとんど全てをプレイ不能な状況にし、また、男性国民のほとんどを洗脳させ麻痺堕落させているいかがわしいAVをかつてのような入手困難なものに戻す。その代わりに今の給料の500倍ほどの金銭を不労所得として支給する。ではそのお金はどこからひねり出すのか、と言えば、もちろんゲーム会社とAV会社である。現在日本を牛耳っているゲーム会社を「国民洗脳の罪」で摘発し、それらが保有しているすべてのカネを、ゲームのプレイヤー=消費者に賠償金として支払わせる。実質、それが不労所得となるのである。ディスプレイ上では、現実には起こり得ない挙動や現実には起こしてはならない罪を犯すことを是とされていて、それを現実に生きる人間の快楽と結びつけて、生きるために必要なお金を搾取している団体。それがゲーム会社の実態である。最近バーチャルリアリティーで体験、みたいなことを言う会社も現れてきたが、そんなことを推奨するよりも、国民たちに遠出してもらって、太古の昔からこの日本に存在する大自然に全身を浸す、すなわち無限にリアリティーがある状態に身をさらすほうが、楽しいはずだ。そして現在失われつつある現実空間における協力関係を復活させ、ネット上でますます蔓延る砂上の楼閣のごとき無意味な連帯関係を根底から徹底的に廃し、人間の無力さと愚かさ、自然の強さと恐ろしさ、コミュニケーションの本来のあり方を、老若男女問わず原始人がやるがごとく一から学ぶのである。また、AV関連の事業者を「性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律」に違反するとして、過去に例をみないきわめて速い速度で一掃する。その際、女優も男優もスカウターもその他の関係者も一斉に、ブラックホールに吸い込まれるような勢いで、何かしら政治的な特殊圧力を巧みに操作して徹底的に排除する。心配しなくとも、生理的欲求を巧みに利用する悪党は、ブラックホールから這い出るエネルギーを常に持っている。おそらく1ヶ月もたたないうちに卑猥な映像が何かしらの実物的な記録媒体の密輸密売やダークウェブ上への投稿という形で発生するだろう。そして時代が進めば現代のように誰でも気軽に閲覧できる状態に戻ると推測する。そうなれば再びそれらを一掃することに取り掛かることになるだろう。

 こういった悪なる2集団に対して慈悲の心で接する理由は一つもない。むしろただただ弱体化して宇宙の果ての塵になることを望む。夢のような改革家かつ面接官となった私は、このようにしてNHKを復活せしめてみせる。


 そのとき、製作者である取材陣、視聴者である国民は、何を思うのだろう。いびつで苦しい現代の評価主義からついに脱し、原始人からやり直して大自然の中で生活を営むことで心を解放して精神衛生を健全に育み、アヘンやコカインのごとく中毒的なゲームやAVの地位は沼底に転落してほぼ誰もアクセスしなくなっている。代わりに、これまでゲームとAVで培った高度な諸スキルをもってして現実に喧嘩や性交が行われている。そんな雰囲気のもと、「美」ならびに「面白さ」を番組の中からみずから探究し、また享受することは、おそらく身体的・精神的に健全で、現代の息苦しくとげとげしい日々を抜本的に変えてくれるに違いないと信じるところである。


【きっと改革後の世界は永遠ではない。再びゲームが台頭し、AVが容易に閲覧できる時代がくるだろう。歴史が繰り返されるという、なかば法則的事実に対しては、NHKの面接官ごときには対応不能である】

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