砂浜

 想像の中の砂浜はあんなにもポップコーンなのに、現実の砂浜は湿気った小麦粉のようできもちが悪い。


「あー、なんか海とか行きたいなあ」


 日菜子は日々に満足していないとき、すぐにそう言い出す。彼女がそれを口にしたことで我々が実際に海に赴く割合は4回に一回だ。


 日菜子が海に行きたいと言い出すのは心がくさくさしている時で、そして彼女の心がくさくさするのは決まって生理前なので、つまり我々は季節が変わるのに合わせて海に行っていることになる。


 海へは電車で行く。令和の若者は車を持たない。


 京急か江ノ電か、どちらにしろ妙に角が丸っこくてシックな色遣いの電車に揺られる。運よくボックス席を押さえられれば景色を見るし、七人掛けの長椅子だったらめいめいスマホをいじって過ごす。


 僕も日菜子も、何年経っても砂浜のことを嘗めている。海の砂のしつこさを何度も経験して分かっているはずなのに、家に帰ってひと眠りするとたちまち全部忘れてしまう。


 子供の頃、おかあさんといっしょで「真夏の砂浜はまるでポップコーンのよう」と刷り込まれたのが、二十八年経っても上書きされない。


 だから僕は毎回重たいスニーカーとジーンズを穿いて来るし、日菜子は履き口の浅いローファーと、地面につきそうなほど長くてひらひらのスカートを履いて来る。


 そして日菜子は決まって「あーもう、砂が靴下にまで入ってくる……」と言って帰りたがる。


 日菜子は「足首が汚れてて嫌だ」とか言って、観光地価格の妙に高くて容量の少ないエビアンで足を洗う。


「さっさと帰って風呂に入りたいな」とお互い考えているくせに、まだ少しだけ残っている不発弾みたいなものが、無意味に我々を歩かせる。


 海岸線に沿って。


「あのね、また彼氏と別れちゃった」


 僕はそれに対して何かどうでもいいジョークを返して、日菜子はすぐに弾けたように笑った。


 日菜子はまたすぐドロドロのバッター液みたいに鬱陶しい女になるのに、僕の頭に染み付いた彼女のイメージが消えないから、季節が巡るごとに同じ過ちを繰り返している。

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