見下ろす

 見下ろすことしかできない。


 愚かな我々に対する罰か、来る変革を迎えるための進化か。人は水上を移動する術を得た。


 魚の持つ浮袋を参考に、おなかの中には大きな浮袋を備え、冷たい水に体温を奪われぬよう、全身を厚い皮下脂肪で覆った。


 ブクブクと太った豚の化物のような、あるいは陸に打ち上げられた深海魚のような醜いその姿で、人々は不毛の大地から水上へと進出した。


 新たなる我々は泳ぎを必要としない。ただ水の流れに合わせ、ぷかぷかと浮いて移動する。行き当った先にたまたま人がいれば会話を交わし、腹が減ったらそこら辺に浮いている水草や魚の死骸を食う。



 そもそも、我々は泳げない。



 厚い脂肪と浮袋を備えたこの体は、水に沈むことができないのだ。どんなに頑張って水に潜ろうとしても、さながらプールのビート板のように勢いよく水上に飛び出してしまう。


 筋力もどんどん低下しているから、水中で推進するために必要最低限のバタ足すらもままならない。


 というわけで、我々はただ仰向けになって浮いている。視界の九割は青空である。

 ある日、我々のうちの一人がうつ伏せになった。水上に居を移したとはいえ体のつくりは哺乳類のままの我々は、当然そのままでは呼吸ができずに死んでしまう。


 おそらくは、この状況に絶望した故の自殺だろう。うつ伏せになる前、我々のうちの一人は「ヴヴヴ……」と辞世の句を漏らしていた。


 しかし我々のうちの一人は死ななかった。何分か後、筋肉のほとんど残っていないぶよぶよの足を必死にバタバタとやって体を半回転させたと思ったら、さっきまで白く濁っていた目をキラキラと輝かせて何事か喚き始めた。


 聞くところ、どうやらこの水中の下には、かつて天敵であった人類が滅びたことにより貝類の知能が劇的に進化し、人の文明に似たコミュニティを築き上げているらしい。


 我々のうちの何人かは、かつて栄華を誇った人類の輝かしき過去を思い出し、我先にと文明に手を伸ばした。


 しかしそう、我々はそれに辿り着けはしない。最後の一人が死に絶えるまで、永久に我々は浮いたままだ。


 見下ろすことしかできないのならば、何もない上を見ていた方がまだましだ。我々のうちのひとりの私は、耳の穴を水で満たして空を見上げる。

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