SFとホラー置き場

@PrimoFiume

生態系

 人間が地球の支配者であることに疑いを持つものはいないだろう。だが、自然界に存在する生物たちもまた、素晴らしい能力を備えている。例えばフクロウの翼は静音性に優れ、その構造は新幹線のパンタグラフに取り入れられているのは有名な話だ。また、潜水艦の名前としてしばしば用いられるノーチラスはオウムガイを意味する。驚くべきことに、潜水艦のメカニズムはその太古の生物の構造を参考にしたものである。

 人は時に劣った人のことを単細胞と形容する。しかし、この単細胞生物というのもまたそのイメージを覆す機能を秘めている。人間は大体六十兆の細胞で構成されているわけだが単細胞生物はその名の通り、たった一つの細胞で生物として成立している。

 ゾウリムシに焦点を当ててみよう。移動には細胞の周りに生えたおよそ三千五百本の繊毛で行う。食胞と呼ばれる口に相当するものと細胞肛門を備えているのだが、それはつまり消化”器官”に相当する機能を備えていることを意味する。細胞が集まったものを組織と言い、組織が集まったものが器官である。繰り返すが、この器官に相当する働きを一つの機能として、たった一個の細胞が持っているのは驚きという他ない。

 それだけではない。単細胞生物が細胞分裂で増えることは広く知られているが、彼等が接合と呼ばれる交尾にも似た行為を行うことを知る人はそうはいないだろう。とは言え、これはいわゆる生殖行為とは異なる。その目的は遺伝子の交換にあり産卵や出産を目的としたものではないのだ。もし細胞分裂だけを繰り返すなら、全ての個体はクローンであり、全く同じ遺伝子を持つことになる。つまり、何らかの環境の変化でいとも容易く絶滅してしまうという危険と隣り合わせということだ。それを避ける為に、彼らは接合という手段をもって、お互いの遺伝子を時々書き換えるているのだ。人間でも教育を受けたものでなければ知らないようなことを彼らは誰から教わるでもなく本能的に理解しているのだ。


 さらにミクロな部分に焦点を当てるならミトコンドリアである。その名を聞いたことがないという人はいないと思うが、果たしてそれが一体何者なのかということを説明できる人は一握りだろう。敢えて語弊のある表現をするなら寄生虫である。とは言えミトコンドリアは虫ではないし、むしろ生物にとっては大きな恩恵を与えてくれる有益な存在でもある。何故ならミトコンドリアのおかげであらゆる生物は摂取した栄養を燃焼できるようになったからだ。燃焼には酸素が必要であり、ミトコンドリアはこの酸素を使用する機能を細胞に授けているのだ。

 原始的な生物は海底火山の周辺を根城とし、そこから溢れるミネラルを栄養としていたと考えられている。ミトコンドリアがどこからやってきて、どういった経緯で細胞を棲家としたのかは分かっていないが、結果的にミトコンドリアとの共生は、生物に飛躍的な運動能力の向上をもたらした。もし人間からミトコンドリアを取り除いたとしたらもはや息をすることさえままならないのである。


 次に絶滅という観点に目を向けてみることにする。恐竜が地球の支配者であった時代、ある種の生物が絶滅するのは千年に一度だったと言われている。しかし、それは人間が台頭するようになって一変した。1975年から2000年で見てみると、毎年四万種のペースで生物が絶滅している。およそ十五分に一種の計算だ。人間が生態系に大きな影響を与えていることは間違いない。これは単に四万という数字で処理してはならない由々しき問題である。生態系というものは実に絶妙なバランスで成り立っていて、何かが欠ければ思わぬ影響が現れる。いわゆるバタフライエフェクトというものだ。蝶の羽ばたきさえも、巡り巡って何かしらの大きな現象を引き起こす。日本語では風吹けば桶屋が儲かるという表現が当てはまる。

 例えばの話、蚊とは人間にとって迷惑な存在でしかない。かゆい、うっとおしいといった、些細なことから、伝染病を媒介するキャリアとして深刻な被害をもたらす。しかし、だからと言って絶滅させてしまうと生態系が崩壊することは容易に想像がつく。

 まず蚊の幼虫であるボウフラを捕食する水生昆虫や小型の魚が影響を受ける。今度はそれをエサとするザリガニやカニ、中型の魚の個体数が激減し、水鳥の死活問題に繋がる。いうまでもなく成虫が与える影響も甚大である。コウモリ、トンボや蜘蛛などの肉食昆虫から始まり、それを食べる鳥たち食物連鎖のバランスが一気に崩れるだろう。さらにコウモリの糞は洞窟に住む魚たちの貴重な栄養源でもある。人間にとって迷惑だからといって絶滅させていいものではないのだ。

 その一方で、これまで散々生態系を破壊しておきながら、外来種が生態系に悪影響を及ぼしていると声高に叫んだり、絶滅危惧種レッドリスト入りしてから保護を呼びかけたりというのは実に滑稽な話である。

 万物の霊長などという言葉は驕り高ぶった愚かな人間の戯言にすぎない。


 人間こそが生態系における諸悪の根源なのだ。


 小人閑居しょうにんかんきょして不善を成すという言葉がある。たちの悪い人間が暇を持て余しているとロクなことをしでかさないという意味である。劇場型殺人、いわゆる大した動機もなく殺人を行う愉快犯などが出現し始めたのは人々の生活水準が向上してからの話だ。海外では、テッド=バンディ、ジェフリー=ダーマーなどが有名どころだが、いまや日本においても無差別殺人は決して珍しいものではなくなった。ニュースを見ていれば「誰でも良かった」「人を殺してみたかった」そんなおよそ一般的な人々には理解し難い言葉がごく当たり前のように流れてくる。


 そんな中、東京で事件が起きた。コンビニに無施錠でとめてあった中型トラックを男が奪い、暴走運転を繰り返した。通行人を次々に跳ね飛ばし、死者の数は三十人にも登る。男の運転するトラックはパトカーに追跡されながらも逃走を続け、最終的にレインボーブリッジからダイブした。

 その後の捜索で引き上げられたトラックから男の溺死体が発見された。もともと男の所有ではないトラックから認められた所見は、脱出しようとした痕跡として運転席の窓が割られていたことのみである。しかし、所持品から男の身元はすぐに割れ、警察は男の家族に面通しを行い裏をとることもできた。

 その後も警察は男の身辺を調査したが、前科はなく彼を知るものは口々に信じられない、そんな大それたことをするような人ではないと漏らした。結局のところ、男には過激派思想や、新興宗教に傾倒しているというような形跡は見つけられず、その動機は謎に包まれた。その男の二面性はワイドショーの格好のネタとなり、しばらくは社会を賑わせたが、すでに容疑者が死亡しているということもあって、事件は徐々に風化していった。


 そして、新たな狂気が目を覚ます。


 その少年が死体に興味を持ったきっかけは祖父の葬儀の時である。少年は優しい祖父を慕っていたのだが、棺に横たえられた祖父の変わり果てた姿はもはやただの物体にしか見えなかった。悲しみという感情はなく、何故だか性的な興奮にも似た気持ちの昂ぶりを感じていた。


 もっと死体がみたい。


 少年は試しに小動物を手にかけた。しかし、それは少年が期待していたエキサイティングなものではなく、むしろ抱いたのは後悔の念だけだ。少年は考えた結果、一つの結論に至る。人間だ、人間の死体じゃないとダメなんだと。

 それから少年はホラー映画を観るようになった。最初のうちこそ、ある種の興奮を覚えたもののリアリティに物足りなさを感じてすぐに飽きてしまった。その後、少年は死体の解剖に関するドキュメンタリー小説を読みふけることになる。それらの書籍は少年の心を激しく揺さぶった。やがて、少年にはスクリーンの中の殺戮シーンが何もかも嘘っぽく見えてくるようになってきた。例えば、背後から喉笛を掻き切るような場面だ。そう言った時、殺戮者は左手でターゲットの頭を後ろに大きく反らし、露わになった喉を一閃する。だがそんなことでは頸動脈など切れはしない。何故なら首を後ろに反らしてしまうと頸動脈は胸鎖乳突筋に隠れてしまうからだ。最もそういった素人の手口を描写した方が映像として映えることは少年にも分かってはいた。だが、そういったごまかしの演出など、少年には納得できるものではない。少年はついに人を殺そうと決意する。その願いはできるだけ死体をたくさんみることだ。一人殺したくらいで警察に捕まってしまっては意味がない。少年は何度もイメージトレーニングを繰り返した。


 ついに少年が計画を実行に移す日がやってきた。ターゲットは幼児、人気のないところに誘いだして首を絞める。ただそれだけのことなのに、いざやってみると難しいものだと少年は痛感することになる。カブトムシを取りに行こうと誘ったら喜んでついてきたものの、途中で帰ると言い出した。その言葉に焦った少年は咄嗟に幼児の首を絞めた。計画通りにいかなかった苛立ちはあったが、両手から伝わってくる痙攣が、今自分は人を殺しているという実感となってかつてないほど少年を興奮させた。当初少年は死体を持ち帰るつもりでいたのだが、正に性的興奮のように、ことを終えたあと一気に気持ちが萎えたことには少年自身驚いた。ここで少年は確信する。自分は死体愛好者ではない、死体を見たいのではない、人を殺したいだけなのだと。頭の中に声が響いているような気がした。


 殺せ! もっと殺せ!


 少年は無造作に幼児の亡骸を茂みに運び、何食わぬ顔で帰路につく。当然遺体はすぐさま発見されてその日のトップニュースになった。警察は犯人が大人である前提で捜査を進めたため、それが少年に味方した。少年は次はもっと上手くやろうと、綿密に計画を立てることにした。


 次の犯行は十月末、ハロウィンに決行されることとなる。


 少年は有名なホラー映画の殺人鬼の扮装をしてホームセンターで買ったチェンソー片手に夜の街へと出かけた。一目で本物のチェンソーと分かってしまうと具合が悪い。ダンボールで作ったカバーで覆い、作り物に見えるようにカモフラージュした。

 ハロウィンの日、渋谷のスクランブル交差点は大勢の若者たちでごった返す。何かをきっかけに暴動が起きないよう大勢の警察が周辺警備にあたる。つまり他の場所なら警備が手薄なのだと少年は考えた。渋谷でなくてもあちこちでハロウィンのイベントは行われている。普段だったら通報されるようないでたちで街を徘徊していても、この日ばかりは気に留める人も少ない。少年はハロウィンのメッカから離れたクラブに入るなり、チェンソーを起動して、一心不乱に振り回した。文字通り血の雨が降った。フロアは一瞬で血の海と化し、店内は悲鳴に包まれた。血に足を滑らせて倒れ込んだ女性は、床に溜まった血に染まり絶叫する。黒服が制止しようとしても、チェンソーを振り回す殺人鬼を前になす術がない。客たちはパニックに陥り、フロアを恐怖が支配する。少年はこれぞ求めていたものだといわんばかりに興奮し、我を忘れて逃げ惑う人々を追いかけ、その背中に容赦なくチェンソーを振り下ろした。

 パトカーのサイレンが夜の街に鳴り響く。それは少年の予想よりも早かった。普段より警察は人手が不足している上に周辺道路の渋滞で、もっと時間がかかるものだとたかを括っていたのだ。少年は防犯カメラの死角に入り殺人鬼の衣装とマスクを脱ぎ捨てた。その下にはホラーではない別の衣装を着込んでいる。これなら走って逃げてもクラブ客の生存者として欺けるのではないかと考えたのである。しかし、やはり何ごとも思い通りには運ばないものである。少年の中では完璧と思っていた計画だが思わぬ見落としがあった。

 真っ先に逃げ出した客たちはとっくに現場を離れている。その後に逃げた者たちの服や靴は血で汚れていた。それなのに、それより遅れて逃げてきた少年が血の一滴もついていないのは不自然なのだ。遭遇した警察の雰囲気から少年は危険を察知して制止を無視して逃げた。道中、衣装を脱ぎ捨てて普段着の装いでタクシーに飛び乗った。


「荒川まで」


 タクシーの運転手は、何でそんなところへと思いつつ少年に尋ねる。

「やっぱりハロウィンのイベントか何かですか?」

 少年は動揺しつつも、そうですと答えた。タクシー運転手の質問に焦ったからではない、何故、行き先を荒川なんかにしたのだろうと自分自身混乱したからだ。いくら考えても理由なんかわからない。とにかくそこに行かなければいけないという漠然とした、それでいて明確な指令が脳から直接降りてきたような気がしたのだ。何者かの命令とは違う、あくまで自分の意思決定で行動しているという感覚に、ますます訳がわからなくなった。

 日本の警察は有能だ。ドラマや小説で見るように、警察が解けないような難事件をどこぞの探偵が解決してしまうなんてことは現実にはあり得ない。警察の捜査の手が少年に届くのも時間の問題だ。そう分かっていても、少年は逃亡を続ける。


「ここで降ります」

「こんな所でいいんですか? 誰も集まっていないみたいですけど」

 そう言っていぶかる運転手に、大丈夫ですと少年は答えた。

「そうですか、じゃあ料金は、……」

 その瞬間、少年の頭の中に声のようなものが響いた。


 殺せ! 殺せ!


 それが声なのかどうかもわからないのに、はっきりとそういう意味だと少年には分かった。もう用意している計画などありはしない。本能の赴くままに運転手の背後から、ポケットに忍ばせておいたナイフをその喉に当てる。少年は後頭部を思い切り頸動脈を引き裂く。瞬間、勢いよく吹き出した血がフロントガラスを染めた。少年はタクシーを降りて叫んだ。


 死ね! 死ね! 死ね!


 その言葉に、少年は戦慄する。それは世間の人々に向けたものではなく、自分自身に向けられたものであったからだ。少年に死ぬ気なんてなかった。それなのに死ななければいけないという思いに脳が支配されてしまったような感覚を覚え、少年は懸命に抗おうとした。しかし、そんな思いとは裏腹に少年は川に向かってゆっくりと歩み出す。


 やめろ! 僕は死にたくない! 少年の思いは言葉を成さずに、ただ虚しく頭の中を駆け巡る。


 止まれ! ダメだ! 止ま……


 必死に抵抗しようとしても、それを思考することさえ許さないとでもいうかのように、すぐさま何か大いなる力によってかき消されてしまう。

 今や少年は完全な傀儡かいらいと化した。自我などもう残ってはいない。少年は虚な目で川の中へと進み、やがてゆっくりと沈んでいった。


 息を引き取った少年が川面に浮かぶと、そのズボンの裾から細長い物体が、その身をのたうち回らせながら現れた。


 ハリガネムシ


 主にカマキリやカマドウマに見られる寄生虫。そう聞くと人はそれを下等な生物とみなすだろう。だが、このハリガネムシという生き物もまた生態系を保つことに重要な役割を担っている。

 まずハリガネムシは水生昆虫に取り込まれる。その水生昆虫が飛んだり陸に上がったりすることで、肉食昆虫に捕食されてそこに寄生する。そして、十分成長した頃、宿主の脳に、ある種のタンパク質を注入することで宿主を操り入水させる。ハリガネムシ自体は交尾のパートナーを探しに水中へと脱出し、死んだ宿主はそのまま魚のエサになる。信じられないことに、渓流に住む魚が年間に摂取する栄養の六割はハリガネムシの恩恵にあずかっているものだという研究がある。それだけではない、もしハリガネムシがいなくなれば川魚は水生昆虫を主食とするようになり、その結果として藻が増える。藻が増えると落ち葉の分解が遅れて川の生態系が一変することになる。

 ハリガネムシ自身がそんなことを考えて行動しているわけではないだろう。たまたまその生態が上手く合致したに過ぎないと考えるのが自然である。


 人間に寄生した彼、もしくは彼女が増えすぎた人間を減らそうと行動を起こしたのかどうかは誰にもわからない。

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