第20話 HPL財団

 目を覚ますとそこはソファの上だった。温もりを感じさせる壁紙と品のいい調度が目に付いた。首を横に傾けると向かいのソファに柊木とダンが座っていた。

「ここは」

「胡桃坂さんの家っす。ダンさんが車で送り届けてくれたっす。胡桃坂さんも、澤さんも、三崎さんも皆無事っす」

「石黒はどうした」

 志島の問に答えたのはダンだった。

「彼は君たちよりも容態が悪かったので、病院へ連れて行った」

 志島は軋む身体を起こし、ダンと相対した。

「……そうか」

「何はともあれ無事でよかった」

「ダン・クローヴァ。あなたと話をしなくてはならない。そうだろう」

「君は疲れている。少し休んだほうがいいんじゃないか」

 問題ない、と志島は切って捨てるように言った。

「これ以上、あなたの芝居に付き合う気もないしな」

 ダンはため息をついた。

「判った。話をしよう」

「済まないが柊木君、少し席を外してくれないか。この男とふたりきりで話がしたい」

 柊木は何か言いたい気持ちをぐっと堪えて、席を立った。

「了解っす。リビングで待ってるっす。何かあれば呼んで下さいっす」

 部屋の扉が閉ざされると、ふたりの間にしばしの沈黙が流れた。沈黙を破ったのはダンの方だった。

「怒っているのか、一歌」

「私はバディだと思っていた」

「私だって君と同じ気持ちだ」

 言い淀むダンを見て、志島は真顔で言った。

「あなたは一体何者だなんだ。一介の准教授が、どうしてあんな装甲車と共に現れる。あの兵隊は一体何なんだ?」

 志島はダンの名刺を取り出し、ローテーブルの上に置いた。

「……確かにその通りだな」

 ダンはサングラスを取り、銀色の瞳で志島を見つめた。

「HPL財団という組織がある。そこでの仕事が私のもうひとつの顔だ。日夜、旧支配者の活動を監視し、旧支配者に一般市民を近づけぬよう働きかけている。彼らは財団の実行部隊でね。一方の私は諜報員といったところさ。私が日本を訪れたのもダゴンの動きを探るためだった」

 ダンの告白に志島はふと視線を外した。確かに思い当たる節はあった。

「過ぎたる好奇心は身を滅ぼす、か」

「何を見た。天文神社で」

「深井の最期を見た。雲が割れて、虚空から腕が伸び……」

 ダンは諭すような口ぶりで志島の言葉を遮った。

「やはりそうか。だが、それ以上はいけない」

 志島はダンの真剣な眼差しを受け、口を噤んだ。

「それ以上口にすると隔離プロトコルが適用されてしまう。よく聞いてくれ、一歌。深井は神社仏閣をターゲットにした詐欺師で、催眠術を用いて被害者から資産を巻き上げた。現在はどこかに高飛びして行方不明。これが事件の真実だ。明日になれば新聞やテレビで報道されるだろう。それ以外は全てゴシップ。これも君を守るためなんだ。済まないが、そう理解してくれ」

 ダンは自らの発言を悔いるかのように沈黙した。志島もまた沈黙し、それから徐に口を開いた。

「私は胡桃坂あかねを救い出せた、成果としてそれで十分だ。だから何も語りはしない。旧支配者のことも、旧神のことも」

 そうしてダンの目を見た。ダンは深く頷き、再びサングラスを掛けた。

「君の理解と配慮に感謝する。一方の私は特異点だ。ゴシップとともに消え去ろう」

「……職務に忠実なんだな」

 ダンは自嘲気味に肩をすぼめ、ため息をついた。

「ダン・クローヴァという男は、どこにでもいて、どこにもいない。さてと、これを君に返さなければ。気を失っている間に預かっていたものだ」

 ダンがジャケットの内ポケットから取り出したのは、天文神社と水門神社の御札だった。

「今なら信じられる。旧神の存在も、そして旧支配者の存在も」

 志島は御札を受け取ると、ダンに手を差し出した。新東京神社でダンが差し出した時のように。

「今回の一件で、君は旧支配者の存在を知ってしまった。旧支配者の勢力は人知れず、だが確実に存在する。もしものことがあればメールを送ってくれ。HPL財団が力になろう。君は掛け替えのないバディだからな」

 ダンは差し出した手に応じ、再び固い握手を交わした。

 

 そしてダンは志島の元から去っていた。本人の言うとおり、確かにダンは特異点だった。志島は玄関を出て、車が視界から消えるまで見送った。ダンが消えた途端、これまでの出来事が夢であったかのような錯覚を覚えた。

「志島先輩」

「志島さん」

 振り返ると柊木と三崎がいた。ふたりとも心配そうな顔をしていた。

「そんな顔をするな。私は大丈夫だ」

 志島はいつものように薄く笑い、家の中へと戻っていった。リビングに入ると胡桃坂の母親が階段を降りてきたことろだった。

「志島さんも目を醒まされたのですね。あの海外の方は……」

「ダン・クローヴァ氏は帰りました。仕事に追われているとかで。丁度、見送ったところです」

 こくりと頷き母親は三人に席を勧めた。各々がダイニングテーブルに着くと、母親は語り出した。

「あかねは眠っています。まるで遊び疲れた子供のように、穏やかな寝息を立てています。あかねの隣で澤さんも一緒に眠っています。ふたりの寝顔を見ていると、これまでの出来事がまるで嘘だったかのうように思えてなりません。私自身もほっとしました」

「あかねさんは催眠術によって、目覚めながら悪夢を見ていたのだと思います。ですが悪夢の元凶は去りました。きっと明日には、真相が報道されることでしょう」

「みなさんのおかげです。なんとお礼を言ったらいいのやら」

 志島と三崎、そして柊木は互いの顔を見合った。

「気にしないでください。それが我々ボランティア委員会のミッションっすから!」

「ということで『生徒お助け作戦』は成功ですね」

 志島は気恥ずかしげに頭を掻いて、「そうだな」と頷いた。

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