第19話 勧請祭③

 志島と三崎はタクシーを飛ばして、天門神社へと急いだ。夜も更け、高台へと至る道は空いていた。ドライバーはバックミラー越しに訝しむような視線を向けた。学生ふたりがこんな夜中に何をしているのか。至極真っ当な反応だが、志島は車窓から風景を眺めるばかりで一向に意に介さなかった。

「我々は天文部で、これから天文観測のために高台へと向かうんです」

 視線に耐えられなくなった三崎が適当な理由をでっち上げると、ドライバーは一応の理解を示したかのように視線を戻した。目的地に到着すると、いよいよ誰も居ない夜の山林が眼前に迫った。

「先輩方ーッ!」

 不意に声が聞こえた。声の方を見やると、坂道を登る自転車があった。声の主は澤照美だった。

「澤さん、こんな所まで自転車で来たの?」

 大容量バッテリーを積んだ電動自転車を降りると、こともなげに澤は言った。

「これくらい、どうってことないです。それよりも本当にこの場所で合っているんですか?」

 澤を呼び出したのは他でもない志島だった。角の立つ言い草は、澤の素直さの裏返しだった。そんな澤の素直さが、志島には頼もしく思えた。

「あれだ。微かに光が見えるだろう」

 志島はこんもりと生い茂る山を見上げ、指さした。木々と空との境界のあたりが微かに明るかった。

「あそこにあかねが居るの?」

「儀式を執り行うなら、旧支配者の力の及ぶ場所が相応しいからな」

 三崎が一歩先に出た。

「神社までの道は覚えています。ここから先は私が先導しましょう」

 そうして志島と澤は、三崎に従い森の中へと足を踏み入れたのだった。


 山道はさらに暗かったが、幸いにも空は晴れていた。木々の隙間から月明かりが漏れ、目さえ慣れてしまえば苦労せずに前進できた。途中、かての遺構が見え隠れした。「これが例の研究所跡です」と一応の説明を加え、三崎はさらに歩みを進めた。時間にして一〇分ほど、頂上が近づいてきた。木々が途切れ、空が開けた。禍々しい調子の祭り囃子が鳴り響いている。三崎が腰を低くすると、志島と澤もそれに従った。斜面に沿ってわずかに身を乗り出すと、山頂の様子が伺えた。法被を着た集団が天門神社の前で円陣を作り、笛や太鼓に合わせて呪文を唱えている。人垣の間から円の中心が見えた。深井と石黒、そして胡桃坂がそこにいた。三崎はふたりに素早く情報を伝えた。

「どうしますか」

「私に考えがある。澤君、依頼したものをこちらに」

 志島の求めに応じ、澤はバッグの中からあるものを取り出した。それは胡桃坂の部屋から持ち出したものだった。澤が志島に手渡したものは、水門神社と彫られた御札だった。

「志島さん、それは……」

 手の上で転がすと裏にはエルダーサイン。ずしり重みがあり、艶があった。

「胡桃坂あかねの手によって持ち出された新東京神社の御札だ。彼女は持ち続けていてくれた」

「そんなちっぽけな御札で一体何を……」

 不安げな様子の澤に、志島は真剣な眼差しで応じた。

「私が囮になる。その隙にふたりは胡桃坂あかねを奪還するんだ」

「そんな無茶な!」

「三崎君は新東京神社に来る途中、光の柱を見たか?」

「……見ました」

「あれがエルダーサインの力だ。あの光は奴らに効く」

「判りました。今は志島さんを信じて行動しましょう」

 三崎に念を押され、澤はしぶしぶ同意した。

「でも、自分ひとりが犠牲になって仲間を助けるとか、そういうの絶対にナシですからね!」

「言ってくれるじゃないか。だが、そんなヒロイズム、これっぽっちも持ち合わせてはいない。胡桃坂を奪還したら全員で撤退だ」

 志島は右手に水門神社、左手に天門神社の御札を持ち、それぞれを手の中に握り込んだ。視線で合図を送ると、三崎と澤は山頂の縁に身を隠しながら移動を開始した。ふたりを見送った後、志島は集団に向かって走り出した。


――ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うが=なぐる ふたぐん


「父なる鱓権ダゴンよ。我が種族の長よ。我らはあなたの子。あなた様に付き従う者。あなた様の悲願は、我らの悲願。全ては偉大なる神、クトゥルフ様の復活のため! ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うが=なぐる ふたぐん……」

 星門神社の社は、儀式の祭壇と化していた。石灯籠に火が灯され、開け放たれた社の前には新東京神社の社務所で見た鱓権ダゴンの彫像が置かれていた。祭壇に向かい祝詞を唱えるのは深井だった。その脇に爛々と目を輝かせる石黒と、生気をすっかり失った胡桃坂がいた。

「生贄を御前に」

 深井が指示すると、石黒は胡桃坂を社の前に座らせた。

「父なる鱓権よ。我らの前に御身を示したまえ!」

 深井が両手を天に掲げると、晴れていたはずの夜空に徐々に雲が集まり始めた。儀式が最高潮に差し掛かったタイミングで、志島は人垣を割って、深井の前に躍り出た。

「それ以上はさせない!」

「何者!」

「旧神ノーデンスの加護を得る者だ」

 志島は両手のエルダーサインを、ぐるりと囲む者に見せつけた。

「小癪な真似を! 皆の者、何をしている。早く引っ捕らえろ」

 深井の指示とは裏腹に誰ひとり志島に近づこうとしなかった。目には見えないオーラが志島の周囲を覆っていた。オーラのせいで、近づけないのだった。

「力を貸してくれ、ノーデンス!!」

 右手のエルダーサインを天に掲げ、叫んだ次の瞬間、曇天を突き抜け光の柱が降り注いだ。志島は、まるで滝行のように降り注がれる波動に耐え続けた。目はおろか、呼吸すらままならなかった。時間にして十数秒。だが志島にとっては永遠のような長さに感じられた。やがて降り注がれる波動が弱まると、ゆっくりと目を見開き、周囲を見渡した。

「……やったか」

 気を失い、折り重なって倒れる法被の者ども。だが、淡い期待はいとも容易く崩れ去った

「バカめ。同じ手を二度喰らうと思ったか!」

 視線の先に佇むのは、何事もなかった様子の深井だった。

「そんな。ノーデンスの力が及ばないなんて……」

 深井は己の身体の周りにガス状のオーラを纏っていた。分厚いオーラの層が、石黒と胡桃坂までもを覆い尽くしていた。

「フハハハハ。これこそが父なる鱓権ダゴンの御業。一族の血を濃く受け継ぐ者にのみもたらされる加護なのだ。旧神の虚仮威しなど通用せぬわ」

 深井と石黒は、まるで罠に掛かった獲物にとどめを刺すかのように、じりじりと志島の元へと歩み寄った。

「切札が何の役にも立たぬとは実に惨めだな、志島一歌」

「これ以上、私に近づくな」

「そうはいかない。これ以上は邪魔をされたくないからな。少し乱暴をしてでも、大人しくしてもらおうか」

 そういうと石黒は自らのズボンに手を掛けベルトを引き抜くと、舌舐めずりをしながら、ビュンビュンと鞭のように振り回した。対する志島はものすごい剣幕で睨みつけた。

「観念しろ!」

 勢いよく振り下ろされたベルトを、志島は避けようととせず、身体で受け止めた。その代わりに、石黒の背後に向かって視線を送った。今だ、と。視線の先には三崎と澤がいた。ふたりとも身を伏せて機会を待っていたのだった。志島の合図と共に、ふたりは飛び出した。石黒が志島を相手取り、深井が背を向ける僅かな隙に社へと駆け寄ったのだった。三崎がへたり込む胡桃坂を抱え上げると、一方の澤は鱓権ダゴンの彫像をむんずと掴み上げた。背後の気配に気づいた深井はよたよたと振り向き、その光景に色を失った。

「アンタ! よくも私の親友を傷つけたわね!」

「貴様ら、そこで何をしておる!」

「これはね、アンタへのお返しよ!」

「ふざけるな! 早くそれを戻さぬか!」

 ぎょろりとした目をさらに見開いて必死に訴える深井。だが澤は聞く耳を持たなかった。

「嫌よ! アンタ達の好き勝手に、あかねを巻き込んだのが悪いんでしょ!」

「待て、止めろ! 取り返しのつかないことになるぞ!」

 深井の必死の叫びも虚しく、澤は彫像をがむしゃらに振り回した。澤の手からすっぽ抜けると、彫像は石灯籠めがけて飛んでいった。石膏でできた彫像は、石灯籠の台座に当たると粉々に砕けてしまった。その音が響き渡ると、空を覆い尽くす程の雲が一気に立ちこめ、生暖かい風が吹き始めるのだった。

「はぁ、はぁ、はぁ。深井殿。何が起きたのですか。はぁ、はぁ……」

 ベルトを無闇に振り回すだけの石黒は志島との距離を縮められずにいた。それどころか、もとよりなかった体力が底を突き、今や息も絶え絶えといった有様。

「どこを見ている。私をモノにするんじゃなかったのか?」

 フィジカルとメンタルがちぐはぐな石黒。ずり落ちたズボンが足首に絡みつき、ひとりでにひっくり返ってしまった。

「……くぅ、畜生」

 悔し涙を浮かべる石黒。志島は軽蔑の視線を送り、次いで天を仰ぐ深井を見た。

「嗚呼、父なる鱓権鱓権よ。静まりたまえ。静まりたまえ」

 深井は渦を巻き始めた曇天に手を合わせ、何やら許しを請うていた。その様子に不穏の影を読み取った志島は、三崎と澤に檄を飛ばした。

「今すぐ逃げろ!」

 三崎と澤は胡桃坂の身体を互いに支え合いながら、一目散に走り出した。志島は志島で、ひっくり返った石黒の首根っこを掴み、ブリーフ一丁どうなろうと知らず、強引に引き摺っていった。五人がほとんど転げ落ちるように山の斜面に飛び込むと、次の瞬間、管楽器を彷彿とさせる重低音が鳴り響き、 雲の切れ間が七色に光り始めたのだった。

「偉大なる我が父よ……」

 志島は見逃さなかった。七色の光の中から、人知を越えた大きさの青白い腕がにゅうと伸び、深井の身体を鷲掴みににする様を。腕に掴まれ光の中に飲み込まれる深井の恍惚とした表情を。

「志島さん!」

 これ以上は気が狂う、そう確信した矢先、意識を呼び戻したのは三崎の声だった。志島は既に言葉を失い、現実感を喪失していた。残るは動物の本能のみ。逃げろ。志島は本能のままに駆け出した。


 気がつくとそこは天文神社のバス停前だった。バスなど来るはずがなかった。だが誰ひとりとしてその場から動けずにいた。

 そんな折、山道を照らすヘッドライトが近づいて来るのが見えた。五人の前に現れたのは警察車両と思しき数台の装甲車だった。停車するなりボディアーマーとガスマスクを装備した物々しい装いの者が次々と降りてくる。最後に降りた者の姿を見て、志島は声のない叫びを上げた。

「一歌、大丈夫か?!」

 現れたのはダン・クローヴァだった。志島はやり場のない感情をぶつけるべくダンの元へと詰め寄った。

「ドクター! 至急、彼らのSAN値チェックを!」

 スーツの襟を掴んだところで緊張の糸が途切れた。志島はダンの胸元に力なく寄りかかると、そのまま気を失うのだった。

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